クモをとらえて巣に帰るクモバチのエキサイティングなテイクアウト。なかなか見られるものではないのでバス1本ぐらい逃す価値は十分にあるのではないか。
頑強なクモを麻酔針で無力化してしまう冷徹な仕事人みたいなクモバチだが、スズメバチなどのように刺激すると襲ってきたりという事もなく、基本的に安全なハチだ。それでも無理に掴んだりすると刺されたりもするようなので無闇に触れたりせず温かい目で尾行してほしい。
10年ぶりのクモ運び
暖かくなってきたし、ひさしぶりにヘビでも探すかと狭山丘陵のあたりをうろついていたら、予想どおりヘビは見つからず、悲しいし約束もあるので帰らなきゃとバス停を目指し低山の山道を急いでいた。
ふと地面を見ると、解体できないセミダブルベッドを運ぶ引越し業者のように黒い虫がでかい物体を引きずって後ろ向きに歩いている。
狩りバチ、その名の通り狩りをするハチの総称で、我々になじみの深いアシナガバチやスズメバチもこの仲間である。
しかし、彼らのように集団で巨大な巣を作らず、単独で徘徊してクモやイモムシなどにおしりの針から麻酔を打ち込み生きたまま巣に持ち帰り、卵を産み付けて生まれてくる子の餌にするというおそろしくおもしろい生態のハチ達もいる、というかいっぱいいる。
ここで出会ったのはクモバチという、もっぱらクモばかりを狙うハチである。ベッコウバチという名のほうが知られているかもしれない。
「狩蜂生態図鑑」(田中義弘・全国農村教育協会)によると元々「ベッコウバチ科」と呼ばれていたが翅がベッコウ色の種は一部にすぎないなどの理由で「クモバチ科」に改称されたらしい。
前にクモバチが獲物を引きずり歩く姿を見たのは約10年前である。ハチを専門に観察しているわけではない私が次に出会えるのはいつになるだろう。この出会いは一期一会なのではないか、でも前に会っているから二度目の一期一会か、なんだそれは。
いったいどこまで引きずっていくのか検討もつかないが、この千載一遇の機会を逃してはいかんのではないか。バスの時間ギリギリまでこの道中を見届けていこう、一緒にハチん家まで歩こうと決意した。
運ばれているのはコアシダカグモ。網をはらずに住宅やいい感じの旅館の壁に待機しゴキブリを捕らえて食べるので、ゴキブリに悩む人達から「軍曹」と讃えられているアシダカグモの仲間である。
格闘家のようにビルドアップされた体つき、太く長い脚とするどい牙ですばしこいゴキブリをがっちり捕らえる正確無比な攻撃、なにより産毛がわさっと生えてて恐ろしい。麻酔を打ち込むにしてもこんな完全無欠の戦闘マシーンの懐に飛び込んで無力化し、かさばる家具のようにしてしまうとは。いったいどんなノウハウで攻略しているのだろうか。
向かって右側、よくみるとクモの脚が一本切れている。運搬の際に邪魔になる脚を切断して運ぶクモバチもいるようだがこれはどうなのかわからない。一本だけ切っても大勢に影響なさそうだし。
くわえて運び出す動画をどうぞ。しつこいけど桜が春ですね。
動画ではわかりにくいかもしれないがクモの脚先がわずかに動いている。死んでいるのではなく麻酔で動けなくなっているのがわかる。
私も昨年、親知らずを抜くために全身麻酔で手術を受けたので麻酔仲間である。
うららかな春の青空の下、意識はありながら抵抗できずによくわからない黒いハチに引きずられ、よくわからない人間に共感されているクモの身になってみると恐ろしい、なにこの不条理。
アリ襲来
運ぶクモバチにとっても道中のオフロードは簡単ではない。我々にとってみればなんでもない微妙な地形変化や雑草がSASUKEの障害物のように立ちはだかる。
バランスは崩れるし砂地にはまって動けなくなるし.......。
草木や地形による障害だけでなくクワガタの首ちょんぱがゴロっと転がっていたりしてだいぶメンタルにもくる。
買い物の帰り、道端にバッファローの頭蓋骨が転がってたらブルーになるだろう。
荒地感を増幅させるアイテムが嫌な予感を醸し出すと、この家路で最大のクライシスが襲ってきた。
いつの間にかクモにアリが食らいついていた。観察しながら全然気づかなかった。このままクモを横取りせんとあれよあれよという間に脚から胴へ飛び移り奪い取ろうとする。
執拗な攻撃に耐えかねてクモバチは放棄するようにクモから離れる。
こうなってはこのクモはもうアリの手の内、残念ながらテイクアウトはここで終了かと思ったがクモバチも簡単には引き下がらなかった。
ギャートルズがマンモスを仕留めたぐらいのテンションで引っ張ってきたクモである。思い直したように舞い戻り、隙をついてクモを奪い返し、アリどもを振り落とすべく走り出す。なんとスリリングな展開。傍観者冥利に尽きる。
攻防を動画でどうぞ。アリの粘り強さが恐ろしい。
でかいトレーラーのように動くクモに追いすがるアリ達、スピードをあげるも追いすがり、その数は増えていく。このワイルドさときたら、マッドマックスかよ。
クモバチとアリの引っ張り合い。法もモラルもない、大岡裁きでもぜんぜん解決できない争いがここで繰り広げられている。
綱引き動画をどうぞ。アリがわりと引き勝ってるのがすごい。
結局クモバチの執着は身を結び、緩斜面で小枝や草をうまく利用してアリを振り切りクモを我が手に取り戻した。
ここでクモバチは近くの木に登りはじめる。木に巣でも作っているのか、でもこんなでかいクモを獲ってこなければならないのにそんな大変なところに作るものだろうか。
引っ越しの時に2階にでかいマットレス運びたいといったら引っ越し屋さんにだいぶ微妙な表情されたし。
このままどこか木のうろにでも入るのかと思ったがそんな事もなくて、しばらくぼーっとしたりうろうろした後、また降りていった。
アリとの激闘で消耗した心身を休め、ちょっと一旦仕切り直ししましょうとなったのか、想定した帰宅コースを外れて感覚がバグっていたのか、ハチの心見物人知らずである。
ついに帰宅!ヤッター
やがて木の冊の根本にたどりつくと雑草の茂みにクモを隠し、反対側に掘られた穴の様子を見に行った。
安全を確かめるとクモを取り出し、穴のそばまで運ぶ。ゴールを目前にしてこの慎重さがすごい、かっこいい。この前10万円のレンズを間違えて買った身としてはぜひとも見習いたい。
ゆっくりとクモを引き込み巣穴へ搬入する。
おつかれっした!
発見から約1時間、約4mのカントリーロードを歩み、クモバチはテイクアウトに成功した。巣穴の中でこのクモに卵を生み、生まれた幼虫はクモを食べて成長する。
こんな壮絶な帰宅があるだろうか。私が西友で半額になったキクラゲ玉子炒めを買って、傾いてこぼれないか気にしながら帰るのとはわけがちがう、生きる事の厳しさと苦悩と、それでも避け得ない本能がほとばしる魂の帰宅を見学させてもらった。私ももっと真剣に帰宅しよう。