知られざるからしそば
京都には薄味の中華というものがあるらしいと聞いたことがありますが、からしそばは初耳でした。京都で生まれ育った友人に聞いてみても知らないとのこと。
京都といえば日本文化の観光の街というイメージでしたが中華料理もおもしろいものがあるんですね。
繁華街の町中華のメニューとして
訪れたのは龍鳳というお店。町中華然としています。
中に入っても観光客らしき方はいません。地元の人たちがチャーハンやら麺類を食べています。
和辛子の香りが立つ
一体どこがからしそばなのかと思いながら麺を持ち上げるとツンとした香りが来ました。こういった町中華的なメニューでからしといえば唐辛子のイメージがあるんですが(東京で行く店がそうだったので)、和辛子の香り。
でも一つ告白させてください。実際この時、私の頭の中には(……チキンナゲットマスタードソース!)という声が響きました。
目の前にあるのは中華あんのそばなのに、思い出すのはマクドナルドなんです。考えてみれば私達がからし菜の種の香りを嗅ぐことってあれとからし酢味噌くらいしかないんじゃないでしょうか。
それもからし酢味噌は冷たく香りも立ち上がりません。なのであの大きなMの字を思い出すことになってしまうのです。
どうしてこれが全国で食べられないのか
口に運ぶ前からかなり刺激のある料理なんですが食べてみるとやはりからしがツーンときて驚きます。つづいて旨味。これは…!?
五目あんかけ焼きそば的なメニューは想像がつきますよね。あれに和辛子を入れてください。その想像の味を1.8倍くらいにしたものがこれです。おいしいんですよこれ。珍しいだけでなくまっとうに美味しいんです。
実際食べてみたいなと思われた方は中華あんに和辛子を入れることで近いものになるんじゃないでしょうか(正しくは麺にからしと酢醤油をからめるそうですが)。とても身近な味なんです。
お酢を入れてももちろん良い
終盤ではお酢を入れてからも美味しかった。いやーよかった。からしそばはかなりおいしい。地方の珍しいものという枠には収まらない地肩の強さを見せてくれました。
多幸感がみなぎります。物珍しさから食べてみたものが美味しい。この美味しさを伝えなければ。それにはもう少し食べてみたい。好循環が回り始めました。
がぜん興味を持った私はGoogle Mapsで「からしそば」を入力し次のお店を探すことにしました。
おしゃれな中華にもからしそば
次のお店は堀川通の今宮あたりにある鳳飛というお店です。こちらも広東料理で鳳の字があって似た印象ですが、お店は町中華というより少し高級感がある印象。カウンターにはボトルが並んでいました。
ここはからしそばの他にも「からし鶏」というメニューもあり、そちらは唐辛子系の辛さだそう。それにしてもこのそそるメニュー表。見たことがない文字の比率が多いと良いメニュー表だと言えるんじゃないでしょうか。
からしを使っているのに素材の味が埋もれない
よい店だなーと思うのはこのからしそばにしても具が全部おいしいという印象が前に来たんです。具材に主役を持ってこれるのっていいお店じゃないですか?(ここは根拠なく適当に言ってます)
しいたけを噛み締めながらこのきのこはとても一般的なのに思ったよりインパクトがあるよな~とか、鶏とピーマンの相性のよさよとかですね。この辺りがしっかり感じられるのっておそらくですが、調味料や油が少ないことが原因だと思うんです。
町中華というには高級感があり、床が油っこくないし、シューマイにしてもからしそばにしても油のくどさがなく。あれ? これってもしかして薄味の中華というやつなんでしょうか?
立ち上がって詩を朗読する
ああ、からしそば、好きです、からしそば。その安定のうまさよ。私はその場で立ち上がり詩をすらすらと朗読しはじめました。
それはからしそばがうまかったという事実を述べた詩でした。ホメロスが書いたイーリアスのようにただからしそばがうまいという事実だけを述べた叙事詩というものです。
私は本日3件目に突入することにしました。鳳舞楼、行ってみましょう。
からしそばはつづく
本気を出せば夕方と夜で麺類は二回食べられる。そう信じて京都御所近くの鳳舞楼にやってきました。
昆布が入っているという
入った時間がラストオーダーの時間でお客さんもご飯というよりはお酒を飲んでいる時間帯でしたがこちらも町中華というよりお酒を飲むのによさそうなお店でした。
ここでもからしそばは撈麺と書かれていて、「伝統のからしそば」を進歩させてあると。小麦粉もブレンドされて、昆布と鶏ガラの餡がかかっているそうです。……昆布!?
ここが地球だったのか…!!
店内には雑誌の切り抜き的なものが置いてたので読んでみると、どうやらこれは鳳舞というお店が昔あってそこのお弟子さんたちのお店なんだそうです。そうなんです。だから今日はお店に「鳳」とつく店が多かったんです。
戦前の京都にできた中華料理店のコックさんが、京都の人の味覚に合わせて昆布出汁を使った中華を始めたと。その味をうけつぐものが「京都中華」と呼ばれるそうです。
なんと! ここで私のニューロンが発火し、鶏ガラと昆布出汁でとった中華だしがシナプスを駆け巡りました。冒頭でふれた京都の薄味中華こそ、からしそばそのものだったんです。
詩を朗読し、アゴラでの会話が始まる
からしそばとは麺に酢醤油とからしを和えるそう。なので和えるという意味で撈麺と表記されているそうです。
そのような背景を知ったうえで食べるとまた新たな気持ちでやはり好きです、からしそば。いや、京都中華。
もちろんここでも一回詩の朗読を挟み、そのうえこの美味しさについて広場に集まった市民たちで意見を交わし合いました。
「そもそも食べ比べること自体に意味があるんでしょうか」と尋ねる者がいます。仮にソクラテスとしましょう。
「私は、正直に言うと、何店も同じものを食べる意味を分かっておりません。そうした方が記事としてもっともらしいからという消極的な理由で何店も回っていたのです。あなたはそんな風に思っているのでしょう。ちがいますか?」ソクラテスは問います。
「そのとおりだ」とゴルギアスは答えます。
「私もその思いでした。ですが、ここのからしそばはツンとくるのに嫌な感じがしない。そうなんです。からしにはわずかな苦味やえぐみとも言えるものがあったことにここで気づきます。これは他と食べ比べることでわかり得た事実である。そうであるならば食べ比べることは意味があったのではありませんか?」とソクラテスは聞きます。
「そのとおりだ」とゴルギアスは答えます。
そうです、論破です。口内で論破が起こったんです。ここのからしそばはツンとした辛味はあるのにどういうわけかからしのエグみもしない。格別上品なからしそばでした。
ケンミンショー、またしてもお前か
あんまりにも美味しかったのでお会計を済ませながら感想を伝えました。
よかった、実は昨日ケンミンショーに呼ばれてこのからしそばを久本雅美さんらにお出ししたんです、という話を聞きました。「こういうものは初めて食べた」と久本さんらはみんなびっくりしてはりました、ということでした。
そのとき、私の脳幹のあたりに赤い雷が落ちました。またしてもケンミンショー、お前か。お前はどうして私の行く先々にたちはだかるのか。
検索するとこの記事が出る直前に放送されるようでした。私はここで運命や人生といったものを司る人間を超越したような存在のことを意識しました。
2日に及ぶからしそばめぐり
3店めぐったのだからもう「食べ比べ」としては達成されているんですが、京都取材が2日に及んだためにもう2店行きました。
祇園にある平安というお店です。こちらは鳳の字がついていません。
からさが学歴に例えられている
このお店ではからしそばの辛さが選べるんです。それも中学、高校、大学というまさかの学力に辛味を例えた選び方なんです。
そんなときあなたならどうしますか? 私はすぐさま「大学で」と告げたわけです。そこには大学を出ているのに学と関係のない仕事をしているコンプレックスがあったのだと思います。
浪人ともいえる
するとここの大将はいささか心配そうに「高校でも十分辛いから、一回それで試してみて、足らんかったらつけてあげるからそれでええと思うわ」とやさしい言葉をかけてくれました。
気持ちは大学に行きたいんですが、実際の学力としては高校生卒業程度。これは浪人という状態ではないのでしょうか。
しっかり辛いからしそば
平安高校は京都の野球の名門校なんですけれども、まさに名門校の名に違わず、からしの強さにおののきました。野球の強さとからしの強さには相関がある。そんな世界の仕組みをまた一つ知りました。
平安のからしそばはワイルド。からしというものは苦味やエグみをはらんでいるものと分かったんですが、そんなことをいとわない、「君はからしを食べに来たんじゃないのかい?」というメッセージさえ感じます。
からめのからしそばは一気にすするというより、ビールを飲みながら少しずつ食べ進める。こういうからしそばも良いなと思い始めました。
独自路線のからしそば
ああここもおいしかった。辛さが選べるというのは他とはちょっと違う印象ですねと語りかけると大将はかなり強い口調で他と一緒にしないでほしい、私はオリジナルだ、という話をされていました。そこには必要以上の語気を感じました。
もしかしたらからしそばといっても弟子筋とは別の独自のルートがあったりもするのかもしれませんし、裏切りや謀略で王の座を追われるようなシェイクスピアみみたいなものがからしそばにはあるのかもしれません。
京都の人に嫌味を言ってみる
Googleマップでからしそばが出てくるのはそう多くはなく、おそらくこれで弟子筋のお店は網羅したであろう鳳泉に。
閉店時間だから持ち帰りならいけるとのことだったのでからしそばを持ち帰りました。
麺類を持ち帰るときは伸びるのに気をつけてねと助言いただいたので「嬉しい~、ぼく伸びたの好きなんです~」とお礼を述べました。
どうでしょうか。京都の人に嫌味を言ってみたらどうなるかなと思って私なりの精一杯の嫌味だったんですが、ところがこれは全く気づかれませんでした。
からしは控えめながら味はしっかりめ。味のしっかりついた細麺をすすると博多の焼きラーメンのこともちょっと思い出します。
それにしてもからしそばの美味しさのベースとなっているのはこの餡のところでしょう。昆布だしと鶏ガラと言われていますが、薄味と言われる京都中華を味わうにはうってつけのメニューではないでしょうか。
行けるならもう一店、とハマムラに向かったんですがそこは閉店していました。残念。ハマムラとはカタカナで顔のように書いたロゴマークが有名な中華料理店で、大正時代に京都に初めてできた中華料理屋なんだそうです。
そこにいたのが高華吉というコックさんであり、京都の人に昆布出汁を使うことを提案したと。その辺りは読売オンラインの記事が詳しいです。おもしろいですよ。
参考記事 『京中華1 ハマムラ発 独自の味に』読売オンライン
文化混交の味が薄味中華
からしそばはおいしい。それは今これだけメジャーな外食として根付いている中華料理というものが日本と初めてふれたときの文化混交の結晶とも言えるものですよね。
移民が増えてイギリス料理が美味しくなったという話を聞いたことがありますが、文化が混じり合うとごはんが美味しくなるようです。それってまさにこういうことなんじゃないでしょうか。
あれ? その理屈でいけばテリヤキバーガーが最強、みたいなことになってしまうんですけど、そういえば私がからしそばを初めて食べたときの印象は「チキンナゲットマスタードソース!!」でした。
異文化がふれあったベン図の重なりみたいなところに位置するのがこのからしそばの味なんだと思います。