ソウルを見下ろすトイレのススメ
南山の頂上にあるソウルタワーは海抜479.7m。そこには女性用としてはめずらしいトイレがあった。全面ガラスである。
ソウルを一望しながらスカートをめくりパンツを下げて用を足す。開放感を提供しているのかもしれないけれど、どちらかというと緊張感のほうが上回る。
せっかくなので写真を撮りました。
低次元な理由により、韓国に飛んだ。
せっかくなのでデイリーのネタを……と思っていたけれど、取材先3軒めで道に迷ったあげく閉店していた事実を知り、ショックのあまりあきらめてしまった。
帰国後、写真を見返していたらあることに気づいた。
韓国の中高年がやたら元気なのである。そして露店がフリーダムすぎた。そうだ。私はそれが気に入ったんだった。
気に入ったので、書きます。
地下鉄は都市部しか巡っていないけれど、どの駅にもホームドアが設置されていて、デジタルサネージ(広告)も多くとても近代的だ。
そこにこのKIOSKがあった。
時空を超えてやってきたような異空間がポツンとそこに存在しているのだった。
どこのKIOSKもオリジナリティにあふれ、店の領域をゆうに超えた侵食陳列をしていた。駄菓子があってもふしぎではない作りで、個人商店といったほうがしっくりくる。
韓国のスイーツはやたらインスタ映えすると小耳にはさんでいたので、それらを取材するつもりでいたのだった。
精神的ダメージにより今回の記事はスイーツが主役ではなくなったけれど、せっかくなのでこの場を借りて披露する。成仏してもらいたい。
ババロアのお店は、東京でいうところのミッドタウンのようなコジャレたビルに入っているカフェだ。いまどきの本屋が併設し、若者の店という雰囲気が濃厚。にもかかわらず、店員さんは孫がいてもおかしくないくらいの推定年齢だったので、少し意外に思っていた。
私たちのとなりの席では総白髪のおじいちゃんが3人で語らっていて、その奥でキャップを深めにかぶったソロの若者がスマホをいじっている老若混在シーンがあった。私が知るかぎり、日本ではあまり見ない光景だ。
明洞(ミョンドン)はショッピング街である。多少こぎれいにした渋谷センター街といった雰囲気で、この近くに宿をとったので、滞在中は何度か足を運んだ。
高級デパートや人気のコスメ店、映えのスイーツカフェが乱立する街で、中高年が営む露店があちこちにある。
私は無類のタコ好きだが、日本のタコ焼きには散々苦渋を舐めてきた。屋台などでどんなに分厚く立派なタコが山積みになっていても、偽りのパフォーマンスの可能性があるので食べてみるまではぜったいに信じない。店頭で食べて苦情に備えるという念の入れようだ。
なので、タコ焼きを食べることはある種の賭けのようなものなのだが、韓国のタコ焼きはちがった。
タコ焼きと名乗るからにはこれくらいじゃないと。日本のタコ焼きはこの際「タコがかろうじて入っているかもしれない小麦粉の塊」ぐらいにして安心して食べさせてほしい。
今回の旅でとくに印象に残ったのは3点だ。
・フリーダムな露店
・中高年がパワフル
・無防備な店
露店や小さな店では、不用心にも店員が不在ということも多かった。コンビニなどでレジ袋はいらない旨を伝えても、(購入の証明である)テープを貼る行為は一切なし。日本では当然のこの一連の動作がストレスになったことはないのだけれど、これは意外な開放感があった。
音楽をかけるためのiPodと小さなスピーカーが、店から目の届かない外の道路に無防備に置いてある店もある。この国の人たちは、わりと性善説を信じているのかもしれない。
露店もいろいろだ。イナバの物置を改造して作ったような店もあれば、屋台的なものもある。そして、ゴザを敷いただけの店。
日本では考えられないような場所に露店はある。たとえば近所のスーパーに続く道とか、あるいは公共施設の前。関東なら表参道や横浜中華街に入る少し手前とか、どこでもいいのであなたの近所の大通りを想像してほしい。そこにあるのだ。こんなんが。
2枚の写真を見ると、連合でもあるのかどうやら同じ系列のようだ。土台部分のパネルも店舗面積もよく見れば同じ。それぞれちがうように見えるのは、おそらくイスをおいたりゴザを敷いたり、自家製で簡易な増築をしているせいだろう。
一方で……
やわらかい日差しに包まれて、露店でおしゃべりする余生を送ってみたい気もするが、同じアジアでもこのような勝手は我が国では許されないだろう。もはや移住しかない。シニア向けワーホリとかないのか。あっても露店ではムリだろうか。だとしたら可能性としては結婚か。
クツの修理屋さん(らしき店)は屋根もとびらもあり、露店の中ではラグジュアリーな立ち位置にある。街のあちこちで見かけたこの物置改造系は、ほとんどがクツなどの修理屋さん、または両替商。宿泊したホテルの目前にもあった。
小学校のとき、家のウラ庭に同じような物置があって、私はそこを自分の部屋(基地)にしたいとダダをこね続けていた。あるとき、隣家に入ったどろぼうを母親が物置に追いつめたあげく警察が来るまで閉じこめてしまう。それから物置基地の願いはフェードアウトしたけれど、やはり私にとって今でも物置はあこがれの存在なのだ。
そうだ。どうせなら物置改造系の露店主人と結婚というテもある。ラグジュアリーだし手っ取り早い。
露店仕事のひとつ、商品の運搬。行商のように歩いている人もいるのだがほとんどがバイクだ。それがわりと傍若無人というか、ムチャというか、フリーダムだった。
車も自由だが人も自由。ショッピングモールの店先で、露店で、路傍で、お昼ごはんを食べている商売人がとても多かった。それもファーストフードではない。ごはん・おかず数品・スープをアルマイト製のお盆に乗せ、ガッツリかつ悠然と食べている。
そこはきっと彼らの生活空間だ。異国の、市井の生活を堪能できるなんて、私にとっては世界遺産クラスの観光と同レベルである。
頭のうえに料理を乗せている人が往来しているのもまた見応えがある。しかも今回、その道のプロフェッショナルであろう人がすっ転ぶシーンにも遭遇して、散乱した料理をいっしょに拾うという光栄に浴した。
世界遺産クラスを超えた瞬間だった。
主要な観光地の近くには、民族衣装チマチョゴリのレンタルショップがある。「映え」もすることから、時間で借りて観光地を巡るツアーも流行っているらしい。
宮殿ならまだしも商店街や飲食店にも突如あらわれるので、そのたびに「おぉ…」と思っていたのにすぐ慣れてしまった。
日本だと着物レンタルで若い男女のみが楽しんでいるようだが、ここは高齢者がパワフルな国。人生の先輩らがカップルや集団で着飾ってポーズをつけていた。
なかにはひとりでチマチョゴリを着て自撮り棒の先端に向かってキメている人もいる。なんとクールで頼もしい光景だろう。老後も存分に楽しめると希望の持てる国。それが韓国だ。
深夜、閉店後の市場を徘徊した。バイクと車がせまい道を我先にと暴走していて、たまに遠くから罵声(らしき)も聞こえてくる。高層ビルが見下ろす一角の市場にネオンはいっさいなく、頼りになるのは気安めていどの街灯と車のライトのみだ。
異国・市場・深夜と三拍子そろい、ヤクザ映画のワンシーンに迷い込んだ私はコーフンのあまり「誰かに誘拐されてみたい。殺されないていどに」などと思っていた。酒も飲んでないのに異国に酔っていたのだろう。
さて市場の朝だ。ファッション、食材、生活用品となんでもそろう南大門市場。
ここは東京のアメ横ととてもよく似ている。唯一異なるのが露店の存在だろう。ショバ代を払っているのかどうかは不明だけれど、わりと我が物顔である。
市場はわりとカオスなショッピングセンターも混在していてそのあたりもアメ横と似ている。ビルの中はどこもかしこも商品であふれかえり、人がかろうじて通れるくらいの通路しかない。「今地震がきたら死ぬ」と、何度か気を引きしめた。
いよいよ場所がないとなっても、彼らの商売を止められる人はいないのではないだろうか。商魂たくましいというよりも、生きる力を感じる。
ここまで不用心を見せつけられたのだ。いくらカトリックが多いとはいえ、もしやこの国に万引きの概念はないのでは? とつい調べてしまった。ちゃんとあるようだ。
とはいえ検索でトップにでてきたのは、日本の高校生が市場の商品を集団万引きした件。それも「従業員の出勤していない9店舗」での犯行……。え。それって万引き…? ちなみに被害にあった店の一部は学生らの処罰を望まないとしたらしい。色々な自覚があるのかもしれない。
謎な物体があった。
見れば見るほど難解だ。商品もない。近くにそれらしき人もいない。担いで運ぶ道具のようでもあり、イスのようでもある。とはいえ背後にもイスは存在している。店にしても、駐車? にしても道の真ん中すぎる。なんなんだ。
新手の広告だろうか。ポストに溜まっていく水道屋のマグネットのように「24時間 ご用命はこちら」的なものかもしれない。インターネットを使えない高齢者には、知恵というものがある。印刷代と広告費がゼロにも関わらずこうして観光客が写真まで撮った。成功だと信じたい。
金融関係だけかと思っていた両替商に露店があることは驚きだった。まだある。ウィッグ(カツラ)の店も意外だった。道端で売らないものはないんじゃないか。
けれども注目すべきはウィッグではありませんでした。
おじいちゃんがえらい剣幕でなにやらまくし立てている。よく見れば一方的。昂揚して顔は真っ赤だ。そのままぶっ倒れるのではないかというほどコーフンして、デカい図体の男に罵声を浴びせている。
理由も関係も不明だけれど、男の態度には余裕があった。年長者を敬う韓国で、手をあげることはまずないだろうしさほど心配はしていなかった。
ところが怒りの年長者は、持っていた杖を男の喉元に突きつけるマネにでたのである。凶器がまさかの杖。すごいな、じいちゃん。
路上バトルは、韓国のドラマを見ていると本当によく出てくるシーンだ。出てこないドラマはない。そう断言してもいい。
「わぁ〜ドラマと同じ……これが… 」
もしかしたら、私が一番韓国を体感したのはこの時間だったのかもしれない。
冒頭で、今回の旅は「低次元の理由」によると書いた。"低"の自覚はおおいにある。韓国ドラマにハマっているのだ。
仲のよい同級生たちもそれぞれべつのきっかけで、時を同じくして没頭していた。我々は今、空前の韓流ブームなのである。
中年らの熱い思いは「俳優たちと同じ空気を吸いたい!」というややトチ狂った願望となり、ただそれだけの理由で韓国へ飛んだのだった。
覚えのある俳優を見つけては、
「ア。いた!」
と叫ぶや否や猛ダッシュをして彼らと同じポーズでカメラに収まった。
逃げも隠れもしない広告に向かって走る意味が自分でもわからないけれど、また行ってもきっと同じことをする。そうせざるを得ない魅力が彼らにはあるし、走らずにはいられない熱量とパワーが私たちにはある。
我々を目撃した韓国の若者は逆に「日本のおばちゃんたちスゲーな。なにあのパワー」と話している可能性だってゼロではない。私たちだって、希望かもしれない。
そういえば帰国時の空港で、友人のひとりがどうしてもお土産が買いたいと騒ぎだし、気づいた時には全速疾走しなければフライトに間に合わないというハプニングがあった。
それに気づいた時、いつものんびり屋の件の友人が奇声をあげ、動揺したのか重たいスーツケース(車輪がついた通称コロコロ)を抱えて走りだしていた。まちがいない。あれは希望だった。
希望たちは奇跡的にフライト3分前に搭乗することができて、爆睡して起きたら帰国してました。よかった。
南山の頂上にあるソウルタワーは海抜479.7m。そこには女性用としてはめずらしいトイレがあった。全面ガラスである。
ソウルを一望しながらスカートをめくりパンツを下げて用を足す。開放感を提供しているのかもしれないけれど、どちらかというと緊張感のほうが上回る。
せっかくなので写真を撮りました。
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