戒名リストの謎を解く
ほり:すごい考察。現時点の調査としてはここまで?
工藤:実はまだ続きがあって、青森で親戚たちが集まったときに、父のいとこが持ってきてくれた史料がこれです。これはどうやら、歴代の工藤家の戒名のリストらしいです。最初は正直、あんまり使えないと思ったんですけど。
工藤:この冊子の上端には1から31までの数字が振ってあって、下に亡くなった年月が書いてあります。でも、時代はごちゃまぜになっている。これは半分謎解きなんですが、どうやら亡くなった「日」が下2ケタで並んでいるのではないか。
ほり:例えば1日に亡くなったら、どの年であれ、その月であれ、「1」の欄に書くわけだ。インデックスの方法が斬新だけど、もしかすると月命日がパっとわかるようになっているのかもしれない。……あれ?家系図には亡くなった日が書かれているから、同じ日付がこの戒名リストにも出てくる?
工藤:そう!これが僕の頑張ったところなんですが、戒名リストによれば、平眞の父三之焏が昭和16年5月28日に亡くなったと書いてあるんですが、戸籍をもとに作った家系図にも三之焏が昭和16年5月28日に亡くなったとあるんです。
ほり:すごい!!!よくたどり着きましたね。
工藤:戒名リストに書かれている人ってそこまで多くないんですよ。数えると12人ぐらい。どれも家系図上で重要な人が必ず入っているので、「この中に三之焏(初代)も書かれているのでは?」という視点で見てみたんです。
ほり:うんうん。
工藤:そしたら、戒名リストには文久2年に亡くなった人がいる。西暦に直すと1862年。ただ、本名は書かれていない。この人が初代三之焏なのではないか。
ほり:家系図には初代三之焏の亡くなった日付が書かれていないから断定はできないけど、年代的に三之焏と推測できるわけか。家系図よれば三之焏の姪のれいが文政9年(1826年)に生まれているので、年代的にはだいたい合っていそう。
工藤:そう。ただ、戒名リストにはさらに昔の人物がひとりいたんですよ。文化14年(1817年)に亡くなった人の記録がある。
ほり:この人を三之焏とするには年代が古すぎる?
工藤:はい。なので僕はこの人は三之焏の父ではないかと思っています。家系図では三之焏までだったのが、戒名リストのおかげでもう一代遡ることができたと思っています。戒名しかわかりませんが。
ほり:すごい。
工藤:もう一つ話があって、「戒名には自分の本名の一部が使われる」という法則があります。例えば僕のおじいちゃんは工藤十彦(とひこ)と言うんですけど、戒名は「誠岳十善信士」で、「十」の字が含まれている。もしこの法則が過去から続いてたとすると、おかしなことがある。「三之焏」のどの字も戒名に含まれていないんですよ。
ほり:なるほど。
工藤:ここで、思い出してほしいのが、三之焏は通り名という説。
ほり:そうだった!
工藤:本当は三之焏(初代)には別の本名があって、そこから一部をとって戒名がつけられたのではないか。逆にいえば、この戒名の字のどれかが本名に含まれているのではないか。そうなったときに、「ちょっと待て」と。藩政史料をもう一度見返してみたい。
ほり:こわいこわい。工藤さんの伏線回収がうますぎてこわい。
工藤:青森の図書館で藩政史料を見たときは「家系図に出てくる名前が出てくるか」を調べたので出てこなかったけど、今一度「戒名に含まれる字」で調べなおしたら見つかるかもしれない。
ほり:その史料はここにはない?
工藤:ない。
ほり:写真やコピーは?
工藤:全部は取れてない。
ほり:ここまでかー!
工藤:なので、次の宿題は、また青森の図書館に行って、藩政史料を読んで「戒名に含まれる字」で調べなおすことです。
ほり:行ってほしい!もちろん、すべては「戒名には自分の本名の一部が使われる」という法則が三之焏にも適用されているという仮定のもとだけど、このわずかな希望をものにしてほしい。


