カボチャの新芽がおいしいと知った結果、まさかアレチウリまで食べることになるなんて。そしてそれを自分が気に入るとは驚いた。ここからもっと展開させて、トルコ料理などで使うブドウの葉の代用にしてもおもしろそうだ。
我ら埼玉県民が食べるべき「そこら辺の草」は、このアレチウリなのかもしれない。
カボチャの葉っぱの硬さに懲りず、その葉についていた茎を食べてみる。
こちらも葉に負けずトゲトゲしていたが、意外と筋(皮)が剥きやすく、ちょっとの手間でスベスベお肌になってくれた。
この姿を見て誰もがそう思うように、まるでフキっぽいなと醤油味の出汁で煮てみところ、食感も見た目もほぼほぼフキの煮物になってしまった。食べてみるとフキ独特の苦みこそないものの、言われなければ細めのフキだと思うだろう。シャクシャクして大変おいしい。
もし殿様に仕えていて、この暑い時期にフキを所望されたとしても、そっとカボチャの茎を出せばセーフだなと思った。
カボチャの新芽や茎がおいしく食べられることがわかった。でもあまり食べ過ぎるとカボチャの実が育たなくなるというジレンマ。
ならば近所の川原で繁殖しまくっているアレチウリという外来植物を食べればいいのでは。
アレチウリは特定外来生物なので生きたままの移動はご法度だが、摘んで食べる分には問題ないだろう。どちらかといえば駆除活動だ(ちょっと食べる程度では焼け石に水もいいとこなのはわかっているが)。
これまで活用されなかったのは、その実が食用には大変不向きなだけであり、毒があるからという訳ではない。もし新芽などがおいしければ、東京湾のホンビノス貝のように食材として出回るようになるかもしれない。
よく洗って炒めた新芽は、ザクザクした歯ごたえがとてもよく、拍子抜けするほど癖もなく、ちゃんとおいしかった。
カボチャの新芽ほど太くないのでボリューム感はないけれど、摘み放題でこれだけうまいのなら文句はない。いや川原を覆ってしまう特定外来生物なので文句はいろいろあるのだが、それはまた別の話である。
せっかくなので、アレチウリの葉と茎も試してみた。
葉っぱはカボチャよりも少し柔らかく、がんばれば食べられる和紙という感じだった。味は同じくほとんどない。
ザリザリしまくるカボチャの葉に比べれば食べやすいし、このサイズだからこそ一口で食べられる。無理に食べなくてもいいけれど、包むことがすごく好きなら試してみるのもいいだろう。
そして茎は細すぎて筋取りが面倒くさかった。でも風味が不思議とフキに近く、フキノトウのすぐ後に収穫をした柔らかいフキとそっくり。
商品としては流通しないだろうけれど、だからこそ自分で採取して食べるだけの魅力はあると思う。
カボチャの新芽がおいしいと知った結果、まさかアレチウリまで食べることになるなんて。そしてそれを自分が気に入るとは驚いた。ここからもっと展開させて、トルコ料理などで使うブドウの葉の代用にしてもおもしろそうだ。
我ら埼玉県民が食べるべき「そこら辺の草」は、このアレチウリなのかもしれない。
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