与謝野晶子と橋田壽賀子とおれの母校
腹ごなしに歩きながら、そういえば母校の近くの和菓子屋さんもおいしかったよな、と思って話していると、同行してくれているTさんと出身高校が同じであることが判明して盛り上がった。
「おれの学校は与謝野晶子の出身校で、夏休みの宿題に短歌が出たんですよ〜」
「え!◯◯高校?」
といった具合である。与謝野先輩のおかげでわかった同窓の縁だ。
あと、橋田壽賀子(脚本家)や西加奈子(小説家)もうちの高校出身である。なぜか作家をどんどん輩出している。デイリーポータルZライターの私も輩出された。
とにかく盛り上がってしまい、母校である高校の前までやってきた。なんだか知らんスローガンが掲げられているが校舎はそのままだ。
受付に行き、担任をしてもらっていた先生をダメ元で呼び出してもらうと、なんとまだ在籍されていた。しかも出勤されていて、会ってもらえるという。思いがけず学校の中に入れることになった。
旧・高等女学校時代から数えて創立125年。出身者としては与謝野晶子・橋田壽賀子・沢口靖子・まこまこまこっちゃんなどがいます。
なつかしの音楽室前で恩師と再会
編集部からは「地元案内の記事を」と頼まれているが、もうここからは懐かしさにまかせた母校訪問である。
校内に入ると、とにかくもうなにもかも懐かしい。卒業以来なので12年ぶりだ。幸か不幸か、古い校舎の中はぜんぜん変わっていない。
卒業生である私とTさんはもう「懐かしい!!」しか口にできないマシンになった。
まったく関係ない京都出身のこーだいさんまで「だんだん懐かしくなってきました」と言っている。日本の古い公立高校はだいたい似たような雰囲気なのかもしれない。
懐かしの廊下から
懐かしの渡り廊下をすすみ
懐かしの音楽室で
懐かしの先生と再会!
3年生のときに担任してもらっていた先生だ!
「仕事はなにやってんの? ライター? なんやそれ、かっこええなあ」
当時担任をしていただいた先生ともめでたく再会できた。今日は私たちはたまたまやって来たが、今年度いっぱいで定年というから、お会いできるタイミングとしてはわりとギリギリだった。
「やーやー、なっつかしいなあ! 石戸くん、君は何期生やったかな」
「65期です」
「そうか、じゃあ◯◯とか、✕✕とか、△△がおった世代やねえ。今年入ってくる子たちが80期生やから、あの子たちからしたら15年も先輩になるんかー、いやーそうかー懐かしいなあ」
卒業したのは12年前でその後も毎年たくさんの生徒を相手にしているはずだが、当時の同級生の名前がどんどん出てくるから先生という職業は偉大である。
先生のおかげで、3年間ずっと音楽の授業が楽しみだった。
担任をしてもらった3年次には年度末最後の学級通信に「なかなかの音楽的センスを持っている石戸くん」と書いてくれたことを思い出した。それを真に受けて12年経った今でもバンドをやったりしているのが私だ。
「先生、ありがとうございます。地元紹介の記事を書こうと思って取材に来たんですけど、先生のことも書いていいですか」
「うんうん、かん袋と並べて書いてくれるんやったら光栄やなあ」
というわけで書きました。先生ありがとうございます。
こういうのがいちいち懐かしい、記憶のふたがガバガバ開いて目がまわる
さて、なつかしいあまり、読者のみなさんとのあいだにテンションのギャップが広がっていないか心配なので一般的な情報も追加しておくと、先に紹介したとおりこの学校は歌人・与謝野晶子の出身校である。
在学中はあまり気にしていなかったが、中庭に「君死にたまふことなかれ」の記念碑があるのだ。
ちなみにうちの実家すぐ近くの公園で与謝野晶子と与謝野鉄幹がデートしていたらしい。100年以上前のことだ
こーだいさんにも懐かしさだけでない情報を提供
与謝野先輩の影響で、短歌を3首詠んでくるのが夏休みの宿題になっていた。
夏休み明けには全校生徒と教職員・父兄による作品が歌集に編まれて配られていて、好きな子の短歌をこっそり読んでみたりした気がする。……また懐かしい話をしてしまった!
千利休の屋敷跡を見て帰ろう
なつかしすぎてはしゃいでしまったが、地元紹介の記事だった。
しかしこのあと、名物ステーキ店・南海グリルのコロッケを「ザビエル公園」で食べたり伝統産業会館で名産の包丁をみたりしたものの、母校を訪れた懐かしさで頭が沸騰していたためかよく覚えていない。
高校の先生たちが忘年会を開催していた南海グリル、高級店だがコロッケは安くておいしい
体育祭のダンスの練習に使われていたザビエル公園には船を模した遊具がある(ザビエルはいない)
最後に千利休の屋敷跡を見て帰ったが、与謝野晶子の生家とめっちゃ近いのが印象に残った。
利休がわび茶で盛り上がっていたのが1550年ごろ、与謝野先輩が『みだれ髪』『君死にたまふことなかれ』を発表したのが1900年ごろ、私がその屋敷跡や生家のまわりを自転車で走っていたのが2010年ごろである。
2015年には千利休屋敷跡のとなりに利休と晶子にまつわる博物館がオープンした。隣接したスタバで抹茶フラペチーノが飲める。
利休の屋敷跡には井戸がある
編集部からのみどころを読む
編集部からのみどころ
「立ち漕ぎしすぎてなにもかも見逃していた」とか。たびたび出てくるブックオフとか、地元への感覚としてめちゃめちゃリアル、そんなまこっちゃんの歴史と土地の歴史がパラレルに2本あって、それが今交わる…という感じでアツい前半部でした。
一方で後半はもう完全に自分史なのですが、恩師との再会っていう考えうる限り最エモのイベントを踏んでます。名作!(石川)