ピーマンの卵とじをピーマンに詰めて卵でとじることにした
オムライス、パン粉揚げ、ゼリー包みなど、包む料理を書き出して複数回できるように並べてみる。一番しっくりきたのが『ピーマンの卵とじをピーマンに詰めて卵でとじる』だった。
最初のピーマンがまたピーマンに詰められるところが良い。生命の循環を表現できている。生命の循環を表現する理由は特に無いのだけど。
すでに過剰である。ピーマンの卵とじだけで成立しているのに、それをピーマンに詰める。ギュウギュウに詰めた。 トーストを、パンで挟んでサンドイッチにしているような虚無感。
しかし詰め終わって少し離れて見ると、まあ無くはないかなという気がしてくる。ピーマンに詰めることで、卵とじが手で食べられるようになったし、二種類のピーマンの食感が楽しめる。
卵とじに溶き卵をかける時「やり過ぎている」と思った。だってその卵はもうピーマンをとじていて、それから別のピーマンに詰められた卵なんだ。何かを風刺しているような気もするが特に何も思いつかず、ただ「やり過ぎている」と思った。
ピーマン(A)とピーマン(B)の食感は簡単に確認できるが卵(A)と卵(B)の違いが難しい。しかし、ただの卵とじではなくてすごく複雑なことが起きているのはなんとなく分かった。
高級な中華料理みたいだった。すごいインパクトがある味というわけではなくて、むしろ優しい味がするんだけど、その奥に色んな味があってその経験が貴重。「ほぅ…」と思って食べ終わる。