これが本堂の中だ。中央にはご本尊、その脇に菩神さまがまつられている。
今回の目的である鬼のミイラは、その右側、赤い布で仕切られた奥に安置されている。こうやってわざわざ布で仕切られているのを見ると、やはり何かまがまがしいものがあるのでは、と身構えてしまう。
足下には案内書きが立てかけられていて、鬼のミイラのまえに、まずはご本尊と菩神さまへの参拝するように書かれている。はやる気持ちを抑えて、ご本尊、菩神さまと順に手を合わせた。
そして、いよいよ鬼のミイラとの対面だ。
これが鬼のミイラだ
体は大きい。それだけでけっこうな迫力がある。体操座りした状態でも150センチくらいの高さがあったのではないだろうか。立ち上がったら2mではすまないだろう。頭は大きく、長い。角はないか、少なくともはっきりした形では見えない。
これが本物なのか、それとも誰かが作ったものなのかはわからない。しかし、「作り物だとしたら、ちゃんと人を怖がらせる意図のある造形だ」というのは大北君のコメント。
今回、住職にミイラについての話を伺いたかったのだが、多忙のため取材を断られてしまった。そのかわり、本堂内にはこのミイラについての新聞記事が展示されており、そこからミイラについての情報を知ることができた。
このミイラは、もともと地位のある人の家宝として伝わっていたものが、大正時代に大分に売られてきたのだという。
その値段、現在の価値に換算すると実に2500万円相当。しかしその後、持ち主は病気にかかってしまう。それが「ミイラのたたりなのではないか」と噂されたために、持ち主はミイラを手放し、寺に寄付したのだという。
みんなに親しまれている鬼さん
寺に仏様として鬼がまつられているとはどういうことなのか、その点に興味があった。むかしから鬼と言えば悪者であって、それは仏教の世界でも変わらないだろう。それが寺に安置されていて、しかもお参りの対象として公開されているなんて。
今回はその点で突っ込んだ話を聞くことはできなかったのだけれど、その代わりに鬼の存在感というか、人々にどう扱われているのかはかいま見ることができた。
ここでは、鬼は異形の怪物ではなく、親しみを持ってお参りできる存在であるようだ。さん付けでお参りといえば、他に思い浮かぶのはお地蔵さん。お地蔵さんみたいに身近な感覚で接することができる仏様ということだろうか。
堂内には芳名帳がある。ぱらぱらとめくってみると、遠方からわざわざ鬼のミイラを見に訪れた人、近所の人、修学旅行できた中学生、さまざまだ。そして住所や名前に加えて、いろいろなメッセージが書き添えられている。家内安全から、修学旅行の感想、相合傘、思い切ったお絵かきまで。なんというか、寺院とは思えないフレンドリーな空気がただよっている。
あまりにものどかだったので、うっかり長居をしてしまった。芳名帳を読みふけったり、体を投げ出してしまったり、鼻血を出したり。鼻血はくつろいでいるうちにはいるのか、と言われると自信はないが、斎藤さんはあまりの暖かさにのぼせてしまったにちがいない(たたり…じゃないと信じてます)。
結局のどかを満喫してしまった
のどかと畏怖のあいだで揺れ動いていた鬼のミイラ参拝だが、最後は思いっきりのどかの方に針を振り切ってしまった。これがもし今日みたいな晴天でなく、雷雨でも来ていればまた全然違ったのかもしれない。しかしあの芳名帳を見る限り、ここに来た人はみんなそれぞれくつろいで帰ったのではないかな、という気がする。仮にも寺院で「くつろぐ」なんて不謹慎なことかもしれないけれども、なんだかそれを許容してくれそうな懐の深さを、あの鬼さんには感じたのだ。
鬼のよさに気づいてしまい、僕はもう桃太郎が涙なしには読めなくなりそうだ。理想の女性像は鬼嫁、理想の上司は鬼軍曹、好きな方角は鬼門です。これからはいつも鬼の形相を絶やさず、がんばっていきたいです。