奈良漬けで酔えるのか
酒が飲めない民の一種のステータスとして、「奈良漬けで酔う」はたまに聞くことがあった。
でも、考えてみると奈良漬けがどういうものなのか、実はよく知らない。そんなにアルコールが含まれているものだったっけ。
ウリやキュウリなんかを酒粕で漬け込んだもの、ということは知識として知っているけど、どれくらい食べれば酔っ払うんだろう。
調べてみると、奈良漬けというものはアルコール分を3.5%以上含むものと決まっているらしい(日本農林規格)。
意外と、しっかりアルコールが含まれているんだな。なんとなく、1%くらいかと思っていたが、3.5%というと、チューハイとか薄めのハイボールみたいなものだ。
僕はお酒が弱くて、チューハイなら350mlの缶で酔う。奈良漬けでも、同じ量食べれば酔っぱらえるということか。
奈良漬けの本場へ
ただ奈良漬けを食べるだけなら近所のスーパーでも購入できる。しかし、せっかくなら本場の奈良漬けで酔いたい。牛タンを食べに仙台に、うどんを食べに香川へ行くように、奈良漬けを食べに奈良へ行ってもいいだろう。
これくらい食べれば酔う、という勝算もある。張り切って食べよう!
さっそく奈良漬けを調達するため、商店街で一番大きな奈良漬け屋さんに来た。
ちなみに、このお店には何度か来たことがある。
前回は大学を卒業してすぐ、奈良の小さな広告屋さんで営業の仕事をしていたとき、飛び込みでやって来たのだった。わけもわからないまま突撃しては、「店長さんいますか」と呼び出していた気がする。
その後すぐ転職して、売り込みを受ける側になった。今ではアポなしで突撃してくる営業マンのガッツをうとましく思う気持ちが、たいへんよくわかる。
店の前に立つと、当時の申し訳なさと、振るわなかった営業成績を思い出してぎゅっと胃を掴まれる。
…思わずサラリーマン1年目のつらい記憶がよみがえってしまったが、我に返ると、今はのんきな観光客なのだった。
気を取り直して売り場に目をやると、いろんな種類の奈良漬けがあり目移りする。ウリやキュウリに加えて、メロンにスイカなど、バリエーションは豊富だ。贈答用の木箱いりセットもある。
ビギナーなので、いきなり木箱に手を出すことはできなくて、生活応援キャンペーンで安くなっていたセットを買うことにした。3種類入りなので、飽きずに食べられるだろう。内容量の400gも、酔うには十分とみた。
会計を済ませて袋を受け取ると、ずしりと重い。
その重さに、時は満ちた、と思った。いよいよ、おれは奈良漬けで酔うのだ!
噛めば噛むほど日本酒、キュウリ
自宅に持って帰って食べてもいいけど、せっかくなら本場の空気を感じながら食べたい。そう考えたときにすぐ思いついた場所が、猿沢池だ。国宝・五重塔にもほど近い。
池のほとりにレジャーシートを敷くと、西日もあたって暖くて、ピクニック気分だ!食べるのは奈良漬けだけど!
いよいよ食べようかと腰をおろすと、急に緊張してきた。漬け物っていっぱい食べられるものなのか。
お気楽なアイデアだけを頼りにここまで来たけど、急に不安になってきた。おそるおそる、ビニールの包装を解く。
開封してすぐ、力強いアルコールのにおいが鼻をくすぐる。それに加えて、切る前の奈良漬けはビジュアル面にも迫力がある。あまり考えないようにしていたけど、これ、本来たくさん食べるものではなかったな。
しかし、わざわざ本場までやってこようと決めたのは自分だ。
意を決して、かじってみます。
ポリ、ジュワ、ポリ、ジュワ。これ、不思議な食感だ。口の中が初めての感触で満たされて、思わずヘラヘラしてしまう。
ポリポリした食感、歯ごたえはキュウリそのままなんだけど、含まれている水分が全部お酒になっていて、噛めば噛むほど、口のなかに日本酒があふれてくるような。
居酒屋でスピードメニューのキュウリをつまみながらお酒を飲んでいるときの感覚に近いけど、そのときと違うのは、食べ進めるたびに口のなかにお酒が増えていくこと。なんだこれ!
そして、猿沢池を眺めながらキュウリを食べていると、またしても営業時代の記憶が頭をもたげてくる。よくこの池で、気持ちよさそうに泳ぐ亀を見ながらサボっていたんだ。学生気分が抜けきらない僕に、飛び込み営業は荷が重すぎた。
そもそも、入社してすぐ寺で3泊4日の研修を受けさせられたときからヤバいと思っていた。お寺で研修なんて風流だな、と趣きを感じないでもなかったが、実際に行ってみると毎朝5時起きで座禅を組まされたんだった。なんでやねん。
苦い記憶と一緒に、甘じょっぱいキュウリを半分くらい食べて、だいぶん口の中がひりひりしてきた。まだ酔ってる感覚はないけど、お酒を摂取している実感は、けっこうある。
たぶんまだ酔ってはいないけど、いちおうチェックしてみよう。
急に機械が出てきたが、これは「酔ってる」という手応えを確かなものにするために、アルコールチェッカーを買ったのだ。デイリーのライター、いろんな計測器を持っていて不思議だなと思っていたが、こうして増えるんだな。
数字はゼロなので、体感どおり、まだ酔ってない。シラフで大量の漬け物を食べているだけだ。
やはりというべきか、ちょっとやそっとで酔わせてくれるものではないんだな。
とりあえず、まだ大物を残しているので食べ進めよう。
歯ごたえに酔う、ウリ
続いては、ウリの奈良漬けだ。
ウリってあまりなじみがなかったけど、奈良漬け界ではポピュラーな野菜らしい。店頭に並んだケースのなかでも、ひときわの存在感を放っていた。
こちらも丸かじりでいただく。かぶりついてみると、写真を撮ってくれている友人が「ホットドッグ食ってるみたいやな」と言ってくれた。気分はアメリカ、サタデー・イン・ザ・パークである。
こちらはザクザクした歯ごたえで、野菜食ってる!という実感がある。でも、お酒の味がけっこう強くて、なかなか飲み込めない。そして噛めば噛むほど、お酒になっていく。
純粋にキュウリより質量があるので、そのぶん含まれているアルコール分も多いのだろう。ゆっくり食べ進めていたけど、なんか酔ってないか、これ。
なんと、早くも反応がでた!0.03%BACとある。ケチって安い海外製品を買ったので、見慣れない単位が表示されている(タニタのを買えばよかった)が、日本で一般的な数値になおすと、0.143mg/Lである。早くも、酒気帯び運転の基準値(0.15mg/L)に届きそうな勢いだ。
奈良漬け、やっぱり酔うんだな。ふだん感じない食感、しょっぱくなりすぎた口、そしてアルコールのせいで、だんだんハイになってきた。
「あそこのホテル、1階がスタバになってんなー」「何回か、広告やりませんかって言いにいってんけどなー」「まあ、結構です!って断られたけどな!」。酔いの初期症状のひとつとして、饒舌になってきたのだろう。お店の入れ替わりに気づいては、突撃したときの記憶を同行者にぶちまけてしまった。
中身が全部日本酒!スイカ
最後の一種類、スイカで仕上げといきたい。
店頭で「スイカの奈良漬け」という文字をみたとき、スイカバー的な三角のシルエットを想像したのだけど、実際は奈良漬け用の小玉スイカだった。鶏卵より少し大きいくらいのサイズだ。
で、このスイカがいちばん効く!やっぱり果物だけあって、含んでいる水分の量が多いのだろうか、ひとくちかじった瞬間、じゅわっと広がるお酒の味。つゆだくだ。日本酒を飲むのと変わらんぞ!
あふれた果汁を口に含んでいると、なぜか退職を申し出た日のことが思い浮かぶ。上司と一緒に営業車で移動しているとき、信号待ちのタイミングで「ちょっとお話があるのですが」と切り出したんだった。なぜ運転中にそんな話を持ち出したのかは忘れてしまったけど、たぶん目を見て話したくなかったんだろう。
学生時代にたくわえた果汁が、会社員生活に漬かるうちにどんどん塩辛くなって、いつの日かアルコールに変わっていった。そして、ふとした拍子にあふれだしたのだ。
あのころ、僕はスイカ(の奈良漬け)だったのか。
夢中で食べすすめると、缶チューハイを1本飲み干したくらいのほろ酔いを感じる。酔った!いまおれ、酔ってる!すかさず測定だ!
さっきの倍の数値がでた!飲酒運転の基準は完全に超えて、「ほろ酔い初期」の値らしい。いろんなことを思い出すのも、まぎれもなくアルコールのせいだろう。
奈良漬け、一気に食べるとやっぱり酔うんだな。どうせ酔わないだろうと車で来ていたら、帰れなくなるところだった。近鉄電車で来てよかった。
これで僕も、晴れて「奈良漬けで酔っちゃう」と言えるようになった。もし今後、あんまり行きたくない飲み会に誘われたりしたら、堂々と「奈良漬けで酔うくらいなので…」と言って断ろう。
検証に成功した高揚感と、アルコールの作用ですっかり機嫌がよくなってしまった。
いやあ、わざわざ奈良まで来たかいがあった。シカと写真を撮りまくり、帰りの電車に乗り込むころには、つらかった営業の記憶も、塩辛い奈良漬けといっしょに飲み込めたような気がしたのだった。
1滴も飲めないほどの下戸でなくても、たくさん食べることで「奈良漬けで酔うひと」になることができた。
食べた量は、400gのパックに入っていた3種類の奈良漬けを半分ずつなので、全部で200gくらいだろうか。想定よりも少ない量で酔った。奈良漬けのアルコール度数、思ったより高いのかもしれない。
もしくは、自分のアルコール分解能力が思ったより低かったかだ。飲み会のあと、なんか酔っ払っちゃったな…と思うことが多かったが、ただ酔いやすいのだ。はからずも、自分の体質を見つめなおす機会になった。今後は、自分なりの適量を踏まえたうえで飲み会にのぞもう。
ビールは1本まで、奈良漬けなら200gまで。