知らないおじさんの登場
図鑑などで写真は何度も見ていたけれど、現物のシモバシラの霜柱はとても綺麗だ。僕としてはとても満足の行くもので、何枚も何枚も写真を撮った。興奮で霜柱が溶けてしまうのではないかと思ったほどだ。
せっかくなのでもう一枚
さて、帰ろう、この興奮を記事にまとめよう、と思っていたら知らないおじさんが「そんな小さいのはシモバシラの霜柱ではない」と僕に声をかけてきた。「もっと奥に行けば大きいのがあるかもしれないからついて来い」と知らないおじさんは続けた。だから、僕はこの知らないおじさんについて行くことになった。
知らないおじさんの登場
知らないおじさんについて山奥へ行く
知らないおじさんは「去年の12月にもっと奥でオレはシモバシラの霜柱の写真を撮ったんだ、30センチはあった」と歩きながら言った。
おじさんは高尾山に限らず登山によく行くらしく、とても早足で僕はついて行くだけで精一杯だった。そういえば昔、「知らない人について行ってはダメ」と母に言われていたけれど、この日はついて行ってしまった。
おじさんは速い
話を聞くと僕が先に霜柱を見つけた場所はいわゆる高尾山で、奥高尾という場所に行けばもっと大きいものがあるかもしれないとのことだった。高尾山も広いのだ。僕はキチンとした登山の格好ではないし、そもそも超がつくほどの運動不足なのでかなりキツい。最終的にはこの日15キロほど山道を歩いていた。キツいよ!
速すぎて写真がブレることブレること
おじさんは、もしシモバシラの霜柱が見れなかったら、オレが撮った写真を見せてあげるよ、と言った。とてもいい人だ。そういえば母が「お菓子あげるから、みたいに知らない人に声をかけられてもついて行ってはダメよ」と言っていた。でも、この日の僕はついて行ってしまった。
道なき道を進む
なかった
結局1時間ほど歩いてこのおじさんがシモバシラを見た場所に着いたのだけれど、この日は見ることができなかった。おじさんも歩きながら、「もうこの時期は難しいかもしれないね~」と言っていた。だから仕方がない。
とにかく疲れた
家に来たら写真を見せてあげるよ、と言うので僕はさらについて行くことにした。なので、裏高尾の山頂だろうと思われる場所で少し休み一緒に下山することになった。どう考えてもこの日は暖かいと言えない日だったけれど僕は汗びっしょり。今なら世界で5本の指に入るくらい美味しそうにポカリスエットを飲める気がした。
どんどん進むおじさん
歩きながらおじさんが登った山やこれから登ろうと思っている山の話をしてくれるのだけれど、僕は酸素が足りていない状態で全然頭に入ってこなかった。とにかく疲れていたようで、おじさんの名前を聞くことすら忘れていたことを次の日に思い出した。
おじさんは本当に元気(おじさんはカメラ目線)
疲れすぎていた
おじさんがしてくれた話のおおよそすべては忘れてしまったけれど、覚えていることもある。それは木の根っこを踏まなければ進めない道でのことだ。
こういう道です
おじさんは「もしかするとこの木は踏まれて喜んでいるかもしれない」と言っていた。山は人の手をある程度入れなければ、光が地面まで届かずにダメになってしまうから、そう言うことを踏まえての発言だと思う。
「なぜですか?」と質問すればよかったけれど僕にそんな元気はなかったし、おじさんはそう言うとどんどんと先に行ってしまった。
元気だな~
人間に置きかえて考えてみると「踏まれて喜ぶ」というにはない話ではない。踏まれて喜ぶ…、そういう人たちもいるよな~とかと歩きながら考えていたのだけれど、きっと疲れていたからだと思う。
舗装された道に出ると僕は疲れでいつも以上に猫背になっていた
おじさんのシモバシラに霜柱の写真を見る
おじさんの家と僕の家に向かう電車は同じだった。もうこれ以上動けないという状態で僕は座席に腰を下ろした。寝ていないことや日頃の運動不足などがたたり、僕は溶けてなくなってしまいそうだった。でも、おじさんは相変わらず元気だった。
やっぱりカメラ目線
この後、おじさんの家に行っておじさんが去年の12月に見たというシモバシラの霜柱の写真を見せてもらった。確かに大きく僕が見つけて喜んでいた霜柱の小ささを再確認させられた。親切なおじさんだった。本当にありがとうございました。
ザ・シモバシラの霜柱(撮影:おじさん)
芸術ですな(撮影:おじさん)
人の出会いがシモバシラのよさ
この取材の前は本当にシモバシラの霜柱を見ることができるのか不安で仕方がなかったが、行ってみると小さいものは見ることができたし、親切なおじさんに出会え写真だけれど見ることができた。同じ写真でも図鑑に載っているものよりずっと身近に感じることができたのだ。
本文中にシモバシラの霜柱は脱脂綿みたいと書いたけれど、本当はシモバシラの周りに脱脂綿を置いて「シモバシラの霜柱です」とお茶を濁す計画もあったのだけれど、それをせずに済んで本当によかった。シモバシラの霜柱とは人のふれあいを生むものなのだ、というまとめにしようとおじさんのはるか後ろを歩きながら考えた。
でも、へとへとでした