琵琶湖疏水は山科の地をのんびり進む
さぁ、いよいよ第一隧道の出口付近。トンネル自体の長さは2436mだったが、峠の道のりは4kmぐらいあって結構疲れた。それでもまだまだ、本番はこれからだ。
第一隧道を出た琵琶湖疏水は、のんびりと蛇行しながら山裾に沿って進んでいく。目立って何かがある区間というわけでもないが、両岸には桜の木も植えられており、ぶらぶら歩くには最適なのではないだろうか。
しかし、注意深く歩いていると、このようにさり気なく昔の名残を見ることができたりもするので油断がならない。
先ほどの第二竪坑もそうだったが、ひょっこり顔を出す昔のものを見つけると、なんとも嬉しくなってテンションが上がる。これぞまさに、古いもの巡りの醍醐味ですな。
この諸羽トンネル、奥に出口の光が見えることから短いのかと思いきや、意外にも結構長く、出口まで520mもある。
当然ながら、人は迂回しなければならない。おあつらえ向きに、山裾に沿って遊歩道が設けられている。
なんでもこの遊歩道、もとはここを琵琶湖疏水が通っていたらしい。昭和45年に諸羽トンネルが掘られ、かつての水路跡は公園として整備されたそうだ。
さて、こうして諸羽トンネルを越えた琵琶湖疏水と再び合流することができたわけだが、そこから少し進んだところでちょっと興味深いものを見つけることができた。
これを見つけた時、思わずうぉと声を上げてしまった。いきなり、こんな立派なレンガの橋が待ち構えていたんだもの。
この橋の上を通り過ぎようとした時、ふと横を見ると川が流れていたものだから、その交差部分はどうなっているものかと降りてみたらこの通り。いやぁ、たまげた。
雨は相変わらず降り続いているが、私は興奮冷めやらぬまま琵琶湖疏水を歩いて行く。
この山ノ谷橋は明治37年に作られたもので、なんと日本初のコンクリートアーチ橋だという。何気なく凄いものがゴロゴロと散在する琵琶湖疏水。建築当時はまさに最先端を行く、一大土木事業だった事が分かりますなぁ。
第一隧道の入口に比べるとシンプルだなぁなどと思いながら見ていると、何と恐ろしいことに、トンネルの奥からの人の声が聞こえてきた。何が出てきても不思議ではないような雰囲気の場所だけに、思わず息を飲む。
耳を澄ましてみると、やはりそれは人の声。しかもおじさんの声だ。この第二隧道の長さは124m。第一隧道と比べると断然短いが、それでも出口は100m以上も先なのだ。反対側に人がいるとして、そこから声など聞こえてくるものなのだろうか。
私は思わず後退ると、そこから逃げるように立ち去った。
まぁ、やはりと言うか、何と言うか、さっきの声は生きたおじさんの声だった。しかし、いやぁ、トンネルってのは相当音が響くものなんですな。まさかここから反対側まで声が届くとは。
第二隧道と第三隧道の間は距離が短く、水路はすぐに第三隧道へと突入してしまう。第三隧道入口の雰囲気も、第二隧道に輪をかけて不気味であり、少々近寄りがたい。
茂った木々が醸し出す雰囲気も恐怖の一因かもしれないが、それよりきっと、トンネルの内部が漆黒の闇である事が生物の本能として怖いのだろう。中が明るければ、怖く無いはずだ。
かつてこの水路を舟で下った人たちも、その恐怖を紛らわす為、エレクトリカルパレードのように舟を電飾で飾り立てていたに違いない。そんなはずはない。
ところで、第二隧道東口の前には日ノ岡第11号橋という橋がある。今でこそ鉄骨で補強されたり、手すりが付け加えられてはいるものの、昔は橋床版だけの質素な橋だったことが伺える。
この橋は明治36年に作られたもので、何と日本初の鉄筋コンクリート橋(神戸市の若狭橋が一ヶ月早いという説もある)。先ほどの山ノ谷橋もそうだが、いやはや、本当に琵琶湖疏水は日本近代土木の夜明けと言うに相応しい。
琵琶湖疏水に話を戻そう。ここから始まる第三隧道は第一隧道に次いで長いトンネルで、その距離は850m。出口は山を越えたその先、蹴上にある。なので、またもや山越えだ。