やはりなじみのない車
リヤカーはいい車なのに、町中を歩いているとドキドキしてしまう。それは最初から最後までそうだった。載せているものが布団やテレビだったからというのもありそうだが、そうでなくてもドキドキしただろう。
僕がリヤカーになじんでいないのではなく、リヤカーが社会になじんでいないのだ。かつて自動車が普及する以前は、リヤカーは日本で大活躍していたようだが。
現在中国をはじめとするアジア諸国やアフリカでは結構浸透しているようなので、いつか外国でリヤカーに挑戦してみたいと思う。
リアカーの上で寝た。リヤカーに馴染んだといえば馴染んだと言えるかもしれない。だが、ただ単に暖かい日差しと布団の気持ちよさにリヤカーの存在が霞んだともいえる。
じゃあこんなのはどうだろうか。
僕の部屋を再現するようなモノをリヤカーに載せてみた。テレビとファンヒータとマンガとパソコンとゲーム機。
これらに囲まれていると、自分の部屋って言う感じがして安心する。安心を外へ運ぶことができるのだ、リヤカーで。これなら馴染める。
冗談で「部屋の中のもの持ち出しちゃったりなんかしちゃったりして」なんてやってみたら、なんだか本来のリヤカーの使い方みたいな写真が撮れた気がする。廃品回収だ。
ゴミ捨て場の横をとおるとやばい。そうじゃないそうじゃない、と思いながら公園までやってくる。
入口のところで引っかかった。最初に説明した小回りの良さは役に立たなかった。
が見知らぬおじさんに助けてもらった。
公園の別の入口を眺めたら間隔が広かったので出るときは向こうだな、と思いながら見知らぬおじさんと力を合わせて入園。
ベンチの付近までリヤカーを移動させて、リヤカー上の仮想自室に寝転がる。
やはりテレビと暖房の間に挟まれ、パソコンが顔の前にあるとたとえリヤカーの上でも我が家のようだ。ごちゃごちゃして窮屈な感じも自室っぽい。
咲きかけの桜の下で気分は上々だ。
自室のようにごろーんとしていたら、公園の遊具の検査をしていたと思しきお巡りさんが僕の方をちらちらみていることに気がついたので、いやな予感がして退散してしまった。心はぽっきりと折れた。
リヤカーはいい車なのに、町中を歩いているとドキドキしてしまう。それは最初から最後までそうだった。載せているものが布団やテレビだったからというのもありそうだが、そうでなくてもドキドキしただろう。
僕がリヤカーになじんでいないのではなく、リヤカーが社会になじんでいないのだ。かつて自動車が普及する以前は、リヤカーは日本で大活躍していたようだが。
現在中国をはじめとするアジア諸国やアフリカでは結構浸透しているようなので、いつか外国でリヤカーに挑戦してみたいと思う。
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