産毛はしっかりとった方がいい
桃の産毛は顔に刺さるので、丸かじりする時はしっかりとった方がいい。
家に帰ってきてから考えた。
暗闇で桃をかじる自分が頭に浮かんだ。
視覚に頼らなくなることで、あの香りと味をより濃く感じられるだろう。
あと、桃をかじる自分が怖いので見られない場所で食べたいという気持ちもある。
りんごと違って柔らかくて汁気があるので、生々しくて怖い。命をいただいているのだと強く感じる。
明るい場所でかじって人を怖がらせたくないし、怖い自分を客観的に想像したくない。
「今、俺は怖いな」と他人や自分にに遠慮することなく、存分に桃を味わいたい。
そのためには真っ暗な中で丸かじりだ。
お盆休みで家族みんな家にいた。妻と子どもに「部屋を真っ暗にして桃を食べるから」と宣言した。
「なんで?」
「怖いじゃん、食べてるところが」
妻は声を出さずに笑い、
「じゃあ、わたしは高校野球見てるから」
と宣言し返し、子どもはそのやりとりを黙って見ていた。
子どもは内心「一人で桃を食べてずるい」とか思っているんだろうか。
終わったら桃をたくさん振る舞おう。明るい場所で。
妻は高校野球を見て、子どもは夏休みの宿題をしていた。僕は真っ暗な中で桃を丸かじりするために、洗った桃とタオルを持って部屋に向かった。
座布団を用意しておき、そこで正座をして桃をかじった。
やっぱりだ。香りと味がもっと強くなった。しっかり輪郭のある甘味。桃の中に入ったみたい。
そして自分の咀嚼音がよく聞こえた。真っ暗な中で桃を食べる音が響いており「今僕は、第二形態に変身しているところだな」と思った。結局客観的に自分を想像している。
そしてあっという間に食べ終わった。人の目を気にしない分大胆に食べられたのかもしれない。
味の余韻を楽しみながら、桃がゆっくり胃に落ちていくのを確認しているところで目が暗闇に慣れてきた。視覚のことを気にする余裕が出てきたのかもしれない。
ここまでで7分ぐらい。余韻を楽しみ切ったので部屋を出た。
明るい場所で種を見ると、いつもより生々しく見えて、少しギョッとしてゴミ箱に捨てた。
そっとリビングに戻って家族には何も言わずそのままお昼ご飯のおそばを茹でた。
夕方になってから「桃食べたの?」と聞かれた。食べたタイミングに気づかれていなかった。
「丸かじりする自分を見てほしくない」という試みだったのでこれで良かったと思う。
とにかく桃は丸かじりがうまい。真っ暗な中で食べると第二形態にもなれる。
桃の産毛は顔に刺さるので、丸かじりする時はしっかりとった方がいい。
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