大地と焼石の力はすごい
2時間たってウムを開けた時点でも、中の焼石はまだじゅうぶん温かかった。というより、素手では持てないくらい熱かった。大地の保温能力というのは、我々の想像した以上に強いらしい。豚一頭を蒸し上げるというのも、あながち無理な話ではないのではないかと帰りの車中で盛り上がった。もう一度、やるのか......?
世界には豪快な料理というのは数多くあって、たとえばショベルカーを使って鍋をかき混ぜる山形の芋煮会などはその典型だ。が、道具の大きさでこのウムの右にでる料理はないにちがいない。
なにしろウムを調理するのに必要な道具とは、大地、すなわちこの地球なのだ。
ライターの拙攻さんと吹田の国立民族学博物館を見学した帰り、ポリネシアコーナーの展示で紹介されていた「ウム」という料理を再現してみたいという話になった。
ウムのやり方は至ってシンプルだ。
国立民族学博物館の説明によると、まず地面に穴を掘って石を並べ、上で薪を燃やして焼石にする。石がじゅうぶんに加熱されたら、バナナの葉を敷いて上に食材を並べ、その上からさらにバナナの葉をかぶせる。上からも焼石をのせ、最後に土をかぶせて熱が逃げないようにする。この状態で2時間ほど待てば、焼石の熱で食材に火が通って食べられるようになる。
要は食材を蒸し焼きにするための入れ物として地面に掘った穴を使うのである。「ウム」は現地語でこの穴(炉)を意味する言葉だ。
食材の加熱に鍋や釜などの調理器具を必要としないこのような調理法は英語ではEarth Oven(アースオーブン)と呼ばれ、かつては世界中に存在したようである。土器を作るための粘土の入手が難しかった太平洋の島々では文化として定着し、現地では今も現役の調理法だ。一度に大量の食材を調理できるウム料理は人がたくさん集まるお祭りの定番だという。
やりたいとは言ったものの、ここ日本ではバナナの葉がなかなか手に入らない。アルミホイルで代用することも可能なのだろうが、できればここは本場のやり方にこだわりたいところだ。ひょっとするとバナナの葉には妙なる香りがあって、ポリネシアの人々はその香りも含めて楽しんでいるのかもしれないではないか。どうしたものか。
そう思っていたら、拙攻さんがあっさり見つけてきてくれた。冷凍されたものが大阪のエスニック食材店で売っていたという。
会計の時に、店のおばちゃんに
「なにに使うの?お皿?」
と聞かれて、説明するのが面倒ではぐらかしてきたというから可笑しかった。たしかに一からウムを説明するのは面倒に違いない。
そんなわけで、関西在住のDPZライターである拙攻さん、まこまこまこっちゃん、私、そして友人2名を加えた総勢5人でウム会を催すことになった。
季節は朝夕が冷え込み始めた10月。これ以上気温が下がると食材に火が通る前に焼石が冷めてしまうんじゃないかと不安になり大急ぎで決行した。バナナの葉を使うところといい、つくづく常夏の気候を前提にした調理法だ。
ありがたかったのは、急に誘ったにもかかわらずちゃんと人が集まったことだ。もつべきものは暇人の友達である。
秋晴れが続いていたおかげで地面も薪も乾燥していて良く燃えた。とりあえず、着火すらできないという最悪のパターンは回避されたわけだ。
焼石ができ上がるまでにどのくらい燃やし続ければいいのかはわからない。とりあえず1時間以上はこのまま燃やし続けることにした。
石が焼けるまでの間もただ待っているわけではない。食材の準備をする必要がある。
本当はできるだけ出発前の朝に済ませてしまうつもりだったのだが、寝過ごしたためほとんどの材料をそのままもってきた。本場のポリネシアでも石が焼けるのを待つ間だらだらとおしゃべりなどをしながら食材を準備するそうなので、これこそ本格的なスタイルなのだとおおらかな気持ちで受け止めることに。
食材は普通のスーパーで買えるものの中から適当に選んだのだが、一つだけどうしても外せなかったのが豚肉だ。
本場のウムでは、なんと豚一頭丸ごと地面に埋めて蒸してしまうという。最初聞いた時は「焼石の熱だけでよく火が通るな」と感心したものだ。
地球をオーブンにするところといい豚一頭丸ごと使うところといいどこまでも豪勢で大変結構だけれど、これをそのまま再現するのは流石に難しいだろうということに計画の段階で気づいた我々は大人しくお手頃サイズのブロック肉を使うことにした。
豚肉だけは絶対に失敗したくなかった我々は、念には念を入れてさらにバナナの葉で個包装することにした。脂でジューシーになった表面に灰や土がまとわりつかないようにしたかったのだ。
バナナの葉の切れっ端で包んでみたけれど、繊維の方向にもとに戻ろうとする力が働いてなかなかうまくいかない。
見兼ねた誰かが
「これで結んでみたらどうですか?」
といってバナナの葉をさらに細かく裂いて紐を作ってくれた。
紐は肉を包んだ葉をとめるのに見事に活躍し、それを見た一同は口々に「おお」と感嘆の声を漏らした。文明が進歩する瞬間を目撃した気がした。
初めての試みをするときはいつだって手探りだ。たとえそれが焼石のようにひどく単純そうに見えるものであっても。
我々は誰も焼石を作ったことがなかったから、どのくらい加熱すれば石が焼石に変わるのかわからなかった。
ここがポリネシアの島々なら話はもっと単純だ。これらの島の多くは海底の火山が隆起してできた火山島で、そのへんに落ちている石もマグマが冷え固まってできた火山岩だ。火山岩は焼けると真っ赤になるんだそうである。
我々が集めた石はどれだけ火で焼いてもいっこうに赤くはならなかった。火山岩ではなかったようである。
ウムをやるとき、基本的には焚き火を囲みながらだらだら準備していいのだが、ここから先の工程だけはさっさと済ませてしまわないといけない。
うかうかしているとどんどん石が冷めていってしまうからだ。
とまあ、初めての作業である上にハプニングまで発生。しかも時間はできるだけ短縮せねばならぬということで、現場はてんやわんやの大騒ぎだった。
今回は写真を撮っていた私がなんとなく作業を差配する感じになっていたが、ウムを成功させるためには現場監督が必要なのだと実感した。料理というより土木作業なのである。
ここまできて一段落。一仕事終えて安堵した表情でお互いの顔を見交わしたのだった。
待っている間はゲームをしたりお茶を沸かして飲んだりして過ごした。
調理完了の目安である2時間が経過した。土をどかして掘り出していく。
崩してしまわないように、慎重にだ。
土をどける手を止めてみんなが集まってくる。
期待と不安の混じった視線が豚肉の包みに集中する。
外側の葉が無事だから焦げたりはしていなさそうだが、はたしてちゃんと火は通っているのか。
包みを開けると、薄い湯気と一緒にフワッと良い香りが立ち昇った。
食欲をそそる程よい焦げ目。これはうまくいったんじゃないだろうか!?
あー、これはすごい。
長時間加熱したのにパサつきが全然なくてジューシー。そこへ、バナナの葉越しに焼石に当たっていた部分がうっすらと焦げ目になって香ばしさを追加している。心なしかバナナの葉由来のすがすがしい香りまでついている気がする。
「ウムによって加熱調理する」ことを「ウムる」という。今勝手に作った造語だ。
豚肉や芋はウムられることでその真価を存分に発揮していた。
逆に、水分の多い野菜や果物にはあまり合わないのではないかというのが正直な感想だ。厚い皮で守られたバナナは無事だったのだが、玉ねぎやリンゴなどはウムられる過程でほとんど液状化して、そろって灰や土と一体化してしまった。なんとももったいないことをと悔やんだところでどうしようもない。
(後で調べたところによると、こうした水分の多い食材は例えばココナツの殻で作った容器などに入れてから加熱するといいようだった)
こっちも火の通り方が絶妙。
ウムのタンパク質、炭水化物との相性は抜群だ。
ウムで調理した食材は(野菜を除いて)美味かった。焼石のもつ熱だけで食材にちゃんと火が通ることにも感心した。それ以上におもしろかったのが、上にも書いたように互いに面識がない人も混ざっていた我々のグループがウムで調理したものを食べることですっかり打ち解けたことだ。
異国の変わった料理を再現するぞ!と意気込んでいたが、実際やったことは一風変わった、手の込んだ親睦会だった。
2時間たってウムを開けた時点でも、中の焼石はまだじゅうぶん温かかった。というより、素手では持てないくらい熱かった。大地の保温能力というのは、我々の想像した以上に強いらしい。豚一頭を蒸し上げるというのも、あながち無理な話ではないのではないかと帰りの車中で盛り上がった。もう一度、やるのか......?
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