手で食べてみて
手で食べるのは間違いなく新しい経験だった。少しの逸脱で新しい世界を垣間見ることができる。
そしてこの経験にはふたつの側面がある。
・食に味や見た目、匂いに加えて「触覚」という感覚を追加したこと
・食材ごとに食器を使い分けるという判断をやめたこと
ストレスの元になる判断をやめて、使わない感覚を動員すること。手づかみの抽象度を上げるとこういう要素が残る。これが「心の豊かさ」のヒントかもしれない。
具体的に言うと、アジのたたきと卯の花は手で食べてみてよってことです!
焼き魚は問題なかったが、味噌煮はどうだろう。暖めてお召し上がります。
手食べだと口に入れる前に熱さが分かるので口をやけどすることがない。つまり、昭和のテレビのバラエティで見た熱々のおでんは手だとありえない。手でつかんだ時点で熱っ!となるからだ。
パスタは17世紀まで手で食べていたという。人類の歴史の中でフォークは400年にも満たないのだ。ならば自然に食べられるのではないか。
歴史が味方してくれると思われたパスタは向いてなかった。
手だと食べにくいので、食べることに夢中になって話をする余裕がない。蟹を食べているときのような無言の時間になった。
手だとパスタが食べにくいので4本歯のフォークが発明されたらしい。逆に言えばフォークを発明するほどの食べにくさだ。歴史に納得できる。
いけると思ったパスタがまさかの不向き。そして意外な適性を見せたのが納豆だった。
思ったよりも嫌悪感はない。ねばねばと豆が一体化しているので箸で混ぜているときほど暴れん坊ではない。手だと話の分かるやつだ。
納豆に限っては味と食感というよりも、精神的な感想に話が及んだ。
対応力のゲージが伸びて、これまで80%の力で対応しなければならないトラブルも60%の力で対応できる。
ただしこれは納豆のカップに指を入れて手で食べた場合に限る。
「手のひらに出すと"納豆が増える"(=すごく量が増えたように感じられる)」と新しい知見を教えてくれた。手から糸が出ていてスパイダーマンのようでもあった。
いよいよ手食べの実験も終盤、デザートである。まずはプッチンプリン。
感想
・手でつかんでいられないほど冷たい、アイスのよう
・指で冷たいが、口ではぬるい。
・スプーンを使うと口で冷たい
どうやら身体で冷たいと感じる部分は1ヵ所しかないらしい。手から脳に「これ冷たいよ」という情報が伝わってしてしまうのだろう。冷たさとはサプライズだったのだ。
ラストはショートケーキの手づかみだ。
ショートケーキ手づかみは傍から見るととても魅力的に見える(見えたんです)。ただ食べている当人の感想は逆だった。
手で食べるのは間違いなく新しい経験だった。少しの逸脱で新しい世界を垣間見ることができる。
そしてこの経験にはふたつの側面がある。
・食に味や見た目、匂いに加えて「触覚」という感覚を追加したこと
・食材ごとに食器を使い分けるという判断をやめたこと
ストレスの元になる判断をやめて、使わない感覚を動員すること。手づかみの抽象度を上げるとこういう要素が残る。これが「心の豊かさ」のヒントかもしれない。
具体的に言うと、アジのたたきと卯の花は手で食べてみてよってことです!
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