目的はあくまで山グラス
よく考えたら僕は先週もうっかり山に登ってえらい目にあったばかりだったように思う。しかもこの山は、先週登った山よりも3倍くらい高いから他の要素も加わってくる。
でも今日の目的は山頂を目指すことではないのだから気楽にガラスを集めて帰ったっていいわけだ。
ガラスはどんどん見つかる。
歩みを進めるにつれ、ガラスを拾うために前屈みになるのが辛くなってくる。歩くこと自体、足を一歩ずつ前に出すこと自体が一苦労なのだ。
かなり途中を端折って書いているのだが、ここまでで2時間くらい山を登ってきている。エネルギー切れかもしれない。ポケットに忍ばせておいたキャラメルを取り出してみて驚いた。
順調に高度をかせぎ、気圧が下がってきている証拠だ。
そう、山の高さが高くなると気圧の変化や酸素の低下など、体力気力の問題以外にも考えなきゃいけない要素が付け加えられるのだ。
最初に比べて周りの景色がやばいことになってきている。
きれいなガラスを集めて歩いているうちに戻れないところまで来てしまうなんて、どこかの国の大切な教訓を含んだ童話みたいだ。そしていうまでもなくそういう場合、主人公は痛い目に遭うことが決まっている。
それにしてもこのマウンテングラス、探せば探しただけ見つかる。つまりはこんな高い山にガラスを持ち込み、そして捨てていく人がいるということなのだ。
美しい山にもゴミを捨てる人がいる。悲しいがこれも現実だ。こうなったらできる限りのガラスを拾って下山したいものだ。
そうですよね、中川さん。
そういえばさっきからさらに体が重くなってきたように思う。心なしか目の奥も痛い。酸素不足の症状なのか。
疲れた体を許さないぞという勢いで、マウンテングラスはまだまだ落ちている。
拾っては進み、進んでは拾ううちに、道はさらに険しくなっていった。