クロマキーで食べ物を消そう!
そもそもクロマキー合成とは、以下のようなことだそうである。
簡単にいうと緑色の布の前で動画を撮影し、その緑色の部分を別の背景映像と組み合わせる撮影技術である。
緑色の布の前に立って、背景を別の映像に差し替えることができるのなら、緑色の食べ物を食べてるところを撮影して、クロマキーでその食べ物を消してしまえば修行なしで超リアルな食べる仕草ができるという寸法である。
具体的にはこうだ。
緑のものを食べている映像の背面に、静止している自分の画像を入れる。そのうえで、クロマキー合成で緑を消す。
するってえと食べ物が消えて、食べている自分だけの映像が残り、リアルに食べている仕草をしているようにみえるんじゃねえのかい、熊さん。
ということでクロマキー合成で名人レベルの食べてる仕草が出来るかやってみよう!
クロマキーきゅうり
まずは緑の食べ物の代表格、きゅうりからいってみよう。
これをクロマキーで消すと、実際にキュウリを食べているのに、キュウリを食べる仕草だけしているようにみえるはずだ。
まずはこれを普通に食べているところを撮影して…
ではこれをクロマキーで消してみると
おお、ちゃんと食べている仕草にみえる!
「え?うっすらきゅうりの輪郭みえるじゃん」
とはくれぐれも言ってはならんぞ。
クロマキーライム
野菜が透けたんだから、今度は果物でいってみよう。
緑の果物の代表、ライムの登場である。
まずは普通にライムをかじるところを撮影する。
これをクロマキーで処理すると
これはかなりいい!
ライムが手の中に納まるサイズであることが功を奏して、すっぱいライムを食べている真打レベルの仕草にみえる!
クロマキーメロンソーダ
野菜や果物はうまくいったので、今度は液体でいってみよう。
緑の液体といえばメロンソーダである。
「いくつになっても、このメロンソーダってやつだけはまったく魅力的なやつですな」などと一応落語っぽいことを言いながら普通に飲むところを撮影する。
などと言って飲む。
これをクロマキーで処理すると
しかし、液体の輪郭は残っており、見ようによってはただ水を飲んでいるようにも見えなくもないという結果となった。
ここまでで、クロマキーで落語の仕草をするならば色、大きさ、表情からライムが最適であることがわかった。
これ以降ははっきり言ってできてないのだが、予想外の展開になったのでひきつづきご覧いただきたい。
クロマキーまんじゅう
いよいよ落語でお馴染みのまんじゅうの登場である。おかげさまでまんじゅうには緑のものは豊富だ。
って誰に対するおかげさまなのかよくわかりませんが。
例によってまずは普通に食べるところを撮影する。
落語の「まんじゅうこわい」のクライマックスシーンのようにまんじゅうを次々に食べていく。
4つのまんじゅうを食べた。
結果はどうか?
まんじゅうの緑は、野菜や果物よりも淡い緑であり透けさせることがむずかしかった。
むりに透けさせた結果、前の体のほとんどが透けてしまい前面の映像がわかりにくくなってしまった。
そこで背後の写真をモノクロにして見やすくなるか確かめてみたところ…
逆に体が完全に透けてしまい、まんじゅうだけ消す狙いとは逆の効果となった。
また、浴衣を着ていたため、明治時代の怪奇写真とでも言いたくなるような映像になってしまった。
クロマキーそば
最後はいよいよ落語の仕草界の真打、そばである。
茶そばという緑のそばを用意した。
これを緑色の食器に入れて消えるか確かめてみる。
そして落語っぽい仕草で、冬の屋台の設定で食べていく。
「おやっさん、今夜はばかに冷えるねえ」
「そんでまたおやっさんとこのそばは、このつゆがうめえんだよなあ」
まんじゅうを四つ食べた直後に食べるそばが美味しすぎて、思わず撮影を忘れて素の声が出てしまった。
「まんじゅうを四つ食べた直後にそばを食べると声が出る」という記事に切り替えようかとも思ったが、タイトル以上の内容もないため取りやめた。
さて、これをクロマキーで処理してみると…
そばとどんぶりの緑が一致していないため、そばは透けているがどんぶりが残る結果となった。
そこで今度はどんぶりを透明のカップに入れ、つゆはただのお湯にして確かめてみよう。
さて、これをクロマキー処理すると…
うっすら計量カップがみえてしまっているが、そばを食べる仕草にみえなくもない。計量カップを隠すために背面の画像をモノクロにすると
そばを食べている人もろとも消え、ふたたび仙台四郎が登場する結果となった。
まとめ
食べているものをクロマキーで消すのは背面の画像も全面の画像同様の動きをする必要があり、相当な手間がかかることがわかった。
またクロマキー合成をするための緑は、かなりハッキリとした緑でないと難しく、まんじゅうやそばなど淡い緑では食べ物だけでなく、全面の画像全体が透けてしまうこともわかった。
だからといって前面の画像が透けるのを目立たなくしようと、背面の画像をモノクロにすると仙台四郎が登場することもわかった。
つまり、落語に近道はない、修行はちゃんとしろ、という名人たちの教えを身をもって感じることとなったのである。
桂米朝師匠、いかがでしょうか?