結局、牛乳瓶が好きすぎる
3月末のニュース以来、牛乳瓶のことばかり考えていた。これまで瓶のジュースがペットボトルの登場により販売場所がぐっと減っていったように、牛乳瓶もやがて同じ道をたどるのだろう。
瓶の管理にはきっと手間もコストもかかる。それでも、長年の習慣だからか、風呂上がりのコーヒー牛乳はやっぱり瓶であってほしい。牛乳瓶が当たり前に買える時間が、なるべく長く続けばいいなぁ。
2025年3月31日、明治が瓶の牛乳とコーヒー飲料を販売停止した。 以来、銭湯で瓶のコーヒー牛乳を見つけると、別のメーカーだとしても「生き残りだ」とありがたがってしまう。
せっかくだから、この機会にもっとちゃんと瓶をありがたがってみることにした。
3月末に実際に販売終了したのは明治の瓶牛乳で、他のメーカーでは引き続き取り扱いがある。しかし、ニュースでは「牛乳瓶が銭湯から消える」というような報道をされていたからか「銭湯から上がったら瓶のコーヒー牛乳を飲む」ということ自体ができなくなってしまうような気持ちになった。
テレビをみて、すぐに友達と銭湯へ行く約束を取り付けた。
お風呂上がりに何を飲むかは、人によってけっこうこだわりがあるはず。甘いもの好きの友人はフルーツ牛乳派だが、私は絶対にコーヒー牛乳派だ。コーヒー牛乳以外は飲まなくてもいいとすら思っている。特に明治のコーヒー牛乳は、甘さの加減がちょうどよくて好きだった。
瓶で飲むことの何がいいのか?色々理由はあるけれど、風呂上がりのほてった体に当たる瓶の冷たさがとても好きだ。ビールをキンキンに冷えたジョッキで飲むとやたらうまい、みたいな単純なことだが、「銭湯にきたぞ!」という気分を満喫するのには重要なことだ。あと、普通に見た目や素材感も好き。丸くてかわいいし。
これまではあまりにも日常に溶け込んでいたせいか、牛乳瓶に対して特別なありがたみを感じたことはなかった。当たり前だったことが、終わりを意識すると突然とてもありがたいことのように思えるのはなぜだろうか。
あのニュースをみてから、銭湯へ行くと必要以上に牛乳瓶のことばかり考えてしまうようになった。もはや湯に浸かることよりも牛乳瓶で飲むことの方に意識が向いている気すらしてしまう。
自宅からは遠いが、割とよく行く銭湯がある。休日の午前中に少し遠い銭湯に行くと、どことなくQOLが上がる気がしているので定期的に訪れている。この日も日頃の疲れを癒すためにやってきた。
室内へ入った瞬間に牛乳などの飲料コーナーがある。こういう自販機の名前が「meiji 健康ステーション」であるということを今日はじめて知った。健康ステーション、とてもいい名前すぎるな。健康ランドの名称とかであってほしい。
よくみると、瓶から紙パックになった明治の牛乳があることに気がついた。お前、姿を変えて生きていたのか!!早速、銭湯へ入ったあとに飲んでみることに。紙パックへ変わった明治のコーヒー牛乳と、瓶で売られていた知らないコーヒー牛乳の2種類を購入。
あんた...こんな姿になって......!と声をかける。左の明治に対して妙に自信ありげな出立ちをしている右のコーヒー牛乳も気になる。
瓶の情緒はなくなり、どちらかというと手頃な雰囲気が増した気がする。コンビニでも取扱いがありそうな雰囲気だ。自宅で朝飲むとしたらこっちの方がいい。
個人的な感覚だが、瓶の飲み物はすごく自信がありそうな雰囲気を感じる。瓶は管理に手間がかかるので、その手間を惜しみなく受けているという実感が本人にもあるのだろう。
2つとも味が気になる。喉も渇いてきたので、とにかく飲んでみよう。まずは明治から。
瓶牛乳の口当たりはないものの、やはり美味い。このくらいの甘さがいいのよ......と嬉しい気持ちになった。ただ、やはり口当たりは紙パックなので若干寂しいものがある。キンキンに冷えてるな〜という感覚はあまりない。手ざわりって味の感じ方に影響するものなのだなと思った。
味は明治の方が好きだったが、口当たりはやっぱり瓶の方がいい。冷えている感じがするし、やっぱり体験として瓶の方がいいと思った。見知らぬコーヒー牛乳だとしても瓶に入っているというだけでめちゃくちゃかっこよく見える。あと本来の味の3割増しぐらいで美味しく感じる気がする......!
ここ最近、旅行など遠出をする機会があったので、宿泊施設や温泉施設の牛乳瓶も観察してきた。
ラインナップをみてみると、雪印のフルーツ牛乳と紙パック飲料以外はメイトーブランドの瓶のものだった。このあたりの地域はメイトーが牛耳っているのかもしれない。
その日箱根で泊まった宿泊施設でも瓶を探してみた。
やはりここも瓶はメイトーがメインに取り扱われていた。箱根周辺の施設は牛乳瓶=メイトーなのだろうか?今まであまり飲んだことがなかったので少し驚いた。
ザ・温泉施設で瓶のコーヒー牛乳を飲むのは気分が良かった。温泉の後に瓶以外は飲みたくないとさえ思った。鍋の締めとして雑炊を作るように、温泉に入ったあとの締めには瓶のコーヒー牛乳が必要だ。これがなくなっては困る。いつも瓶を運んだりしてくれている人たちのことを思い浮かべると感謝の気持ちが湧いてきた。これからも瓶のことをよろしくお願いします、と直接会っていいたい。
また別のタイミングで、7月にフジロックへ行った。
車できたため、運転して帰るために温泉施設で少し休むことに。
徹夜でライブをみたので体力は限界も限界だった。しかし、温泉に入ると全てがリセットされる感覚があった。ゲームで泉に浸かるとHP回復するのって現実でも本当だったのか。
身体があったまったところで、お待ちかねのコーヒー牛乳をいただく。
開けたとたん香りが一気に広がるのが瓶のいいところ。飲み口が唇にあたる感覚がいい。温泉でやわらかくなった身体を、キンキンに冷えたコーヒー牛乳が冷やしてくれる。本当にありがたい。今年のフジロックは大雨が降ったので体力が奪われ、身体が限界になっていた。甘くて冷えたコーヒー牛乳が染みわたる。
3月末のニュース以来、牛乳瓶のことばかり考えていた。これまで瓶のジュースがペットボトルの登場により販売場所がぐっと減っていったように、牛乳瓶もやがて同じ道をたどるのだろう。
瓶の管理にはきっと手間もコストもかかる。それでも、長年の習慣だからか、風呂上がりのコーヒー牛乳はやっぱり瓶であってほしい。牛乳瓶が当たり前に買える時間が、なるべく長く続けばいいなぁ。
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