フランスにもあった
同じ名の場所は、フランスにもあった。
でもこれは、シャトールー(Châteauroux)をリトアニア語で「Šatoru」と記したもので、話がちょっとややこしい。
私の家族についても調べてみた。
奥さんと似た名前の街が、コロンビアの首都ボゴタの郊外にあるようだった。
6歳の息子は、オーストリアだった。
3歳の息子は、コンゴ民主共和国だった。
また、行きたい場所が、増えてしまった。
小説家の村上春樹は、ヨーロッパに住んでいた30代後半のころ、「ハルキ島」に旅をした。
そのことは彼の著書「遠い太鼓」のほか、「地球の歩き方 エーゲ海の島々」でも紹介されている。
「特に見どころがあるわけではないが」、村上さんが「自分の名前と同じ島があると興味をそそられて行った」。それだけでガイドブックに掲載されている。さすがは村上春樹である。
ヨーロッパに住む30代後半の僕は思った。Satoruという名の場所はあるのだろうか、と。
2019年を生きる僕には、グーグルマップという心強い味方がいる。
「Satoru」と打ち込むと、すぐに答えが出てきた。
ハンガリーだった。
ブダペストから1時間ほどの、ちょっと何があるのかよくわからない細道が、 Sátor u.と呼ばれているらしい。
「えっ、パパと同じ名前?」と、6歳児が笑った。「おもしろいねえ」
「Satoru」と、3歳児も笑った。
「行くなと言っても行くんでしょう」と、奥さんが言った。
どうやら家族を説得できたみたいだ。
Sátor u.へと向かう道すがら、僕は村上春樹のことを考えた。
2006年4月7日(金)12時37分、僕は村上春樹からメールをもらった。「読者のおたよりに村上さんが答える」という企画の一環だ。
新卒で就職して初めての金曜日。僕の人生の可能性が音もなく閉ざされた最初の金曜日に、村上さんの返信が僕に届いた。ロシア文学への愛が語られた短いやり取りは、あとになって書籍にも収録された。
2017年2月24日(金)22時51分、「騎士団長殺し」――村上春樹が一人称を「僕」から「私」に転じた長篇小説――を読みながら、私は2つのことに気がついた。
ひとつは、主人公が私とほぼ同年齢であること。
もうひとつは、ちょうど先日に赴任の決まったウィーンが、作中で重要な役割をはたしていること。
村上春樹の作品と私の人生は、見えないところで地下水脈のように繋がっている。そのような閃きが私を捉えた。
しかし、その考えを突き詰めていくと、おそらく深い井戸の底から出られなくなってしまう。私は現実に戻ることにした。
2019年10月11日(金)13時48分、我々はブダペスト郊外を走るバスに乗り込んだ。
Sátor u.を目指して。
Sátor u.は、100メートルにも満たない細道だった。
道路に面する家はわずかに5軒。人の姿も見られない。
思いがけず、Sátor u.を独占する形となった。
Sátor u.を歩く人間はよほど珍しいのか、番犬がわんわん吠えてくる。なぜかどの家でも犬を飼っているのだ。
なかにはチベット犬と思われる屈強なやつもいて、これには閉口した。かつてパレスチナで猛犬に囲まれて以来、私はどうも犬が苦手なのである。
「Satoruは、犬がいて、こわいね」
「Satoruは、あぶないね」
子どもたちからも不満の声が上がりだした。
まずい展開だ。
考えてみたら、Sátor u.をどう発音するかもわからない。地元民に聞こうとしても、そもそも往来に誰もいない。
準備の不足が、ここにきて露呈する形となった。
ややあって民家から老爺が出てきた。声をかけてみたが、「わしは英語がわからん」みたいなことを(たぶん)マジャール語で言われ、足早に避けられた。
通りがかった車にも駆け寄ったが、左手の人差し指と中指を小刻みに動かすジェスチャーとともに、走り去られてしまった。
これは、どういうことか。
つまり私は、客観的にみて不審者なのであった。
手当たり次第に金品を無心する東アジア人と誤解されても、外形的にはやむを得ないものがあったのだ。
このとき私は、特殊サービス店の客引きを生業としていた、ある知人の言葉を思い出した。
「Satoru君。人をだますには、まず自分からだよ」
「はい」
「制限とか、ノルマとか、そういった要因は、努めて忘れることだ。焦りや逼迫が顔に出ると、道行く人たちは本能的にそれを避けるからね」
「はい」
「そして自分に言い聞かせるんだ。おれは何にも執着しない、おれを縛るものは重力のほかには何もない、と。そうすればお客さんは向こうから釣られてくる」
「なんだか禅の思想みたいですね」
「然り。客引きは禅と同じだよ」
この知人は数年前に消息不明となったが、彼のアドバイスはいま私の内部に生命を得た。
すると都合のよいことに、Sátor u.の隣ブロックに青年が現れて、路上の落ち葉を掃きはじめた。
私は自分に言い聞かせた。重力のほかに私を縛るものは何もない、と。
落ち葉の青年は、初手からフレンドリーだった。
「あの通りの名前? シャトールだよ」
ここであっさり結論が出た。Sátorは、シャトールだった。
「えっ、きみの名前はSatoru? はははは。似てるね。えっ、そのために、わざわざここまで来たの? はははははははははは。やばいね、それ」
地元のハンガリー人にウケて、私の心は満たされた。
「Sátorの意味? ああ、それはテントだよ。キャンプとかに使うテント。なんでそれが通りの名称になっているかまではわからないけどね」
Sátor = テント。
私のマジャール語のボキャブラリーに、新たな仲間が加わった。
Sátor u.に戻った私は、環境の変化を嗅ぎ取った。
一軒家の庭先で、ご婦人が腰かけていたのだ。
このチャンスを逃すわけにはいかない。
私が取った行動は、EUの運転免許証を彼女に示すことだった。
「あら、貴方はSatoruというお名前なの。ええ、ここはSátor u.よ。偶然ね。日本からいらしたの。えっ、お写真を一緒に?」
Satoruという名の日本人男性は、Sátor u.に暮らすハンガリー人女性と、いま、一生に一度の出会いを果たしたのであった。
村上春樹に導かれて。
同じ名の場所は、フランスにもあった。
でもこれは、シャトールー(Châteauroux)をリトアニア語で「Šatoru」と記したもので、話がちょっとややこしい。
私の家族についても調べてみた。
奥さんと似た名前の街が、コロンビアの首都ボゴタの郊外にあるようだった。
6歳の息子は、オーストリアだった。
3歳の息子は、コンゴ民主共和国だった。
また、行きたい場所が、増えてしまった。
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