忠告が蘇る
皿製作2日目の夜を迎えた。この日も夜な夜な木を彫り進める。
1日目に続き基本的には楽しい。楽しいが、刃が入りやすいところと入りにくいところがあり、入りにくいところにあたると時々ムッとする。
そして自分の中では結構削ったと思っても、改めて全景を確認してみるとどこが進んだのかわからないくらいほとんど削れていない。
2日目にして、この企画を持ちかけた時編集の石川さんから言われた「めちゃめちゃ大変だと思う」「覚悟が決まったらやってみてください」の言葉が蘇る。
わたしは工作を得意としていない分、本当の大変さがわかっていなかったかもしれない。実は夫からも石川さんと同じような忠告があったのだが、「とはいえなんとかなるだろう」くらいにしか思っていなかった。
今思い返してみれば、あれはガチ忠告だったようだ。
なかなか思うように進まない中、ヒノキの香りが唯一の救いである。
ヒノキを押さえる手におのずと力が入っていたのだろう。例えるならマラソンを走り終えたあとの脚。痛いというより重だるく、シンクに残ったわずかな洗いものさえ持つ力がなかった。
それでも、今日はここまでにしよう、いやもう少し彫り進めようの繰り返しで少しずつ少しずつ掘り進めた。
だんだん不安になってくる
表面の進み具合はまだまだだが、このタイミングで夫が四角から丸い皿の形にヒノキを切り出してくれた。
進み具合に危機感を覚え始め、この日は日中子どもを庭のプールで遊ばせながら外でも彫り進める。
もし急な来客があってなにを作っているのか聞かれたら、素直にびっくりドンキーの皿を作っていると答えよう、などと余計なことを考えながら作業する。
結局日中は誰も来ず平和に終わり、 夜作業を再開。
作業量に対して見た目の進捗が少なすぎて、たびたび不安がよぎる。
そして工作記事は、文字にすると苦労が伝わりづらいのはなぜだろう。かかった時間や労力が2割程度しか文字に乗っていない気がしている。
沖縄の海を映像で観るとものすごく爽快で心地良さそうなのに、いざ現地に行ってみると暑くてジメジメしていてすぐクーラーの効いた室内に戻りたくなる現象に似ている。
わたしはいったいなにを言っているんだ。
大人に手伝ってもらう
皿製作4日目、刃の入りがいよいよ悪くなる。
それでもあきらめず時間の許す限りひたすら削り続けていたが、最終的に力技で乗り切ろうとしているわたしを見て夫がストップに入った。
このまま素人のわたしがノミで深さを出すには危なすぎるとのことで、ドリルの力を借りる運びとなった。
完全自力ではここまでが限界のようだ。
最後まで自分ひとりでできたらよかったのに…という気持ちと、手伝ってもらって内心めちゃくちゃ助かった!という気持ちが複雑に入り混じる。この感じ、夏休みの自由研究を親に手伝ってもらって完成させたあの時と一緒。
ちなみにわたしの一番記憶に残っている自由研究は、小学校中学年でやろうとした『東海道五十三次を自力で歩く』。どう考えても無理がある。
再び道具をノミに戻し、地道に削って段差をなくしていく。
左手・左腕に続き今度は右手首に痛みが。続けようとするとズキズキしたため、今夜は一旦終了。
けがや故障に苦しみながらも作業を続ける姿は、アスリートさながらだ。


