芯を作る
ここからさらにブロッコリーの芯だけを集めて合体......は難しそうなので、芯はスタイロフォームに黄緑色のフェルトを貼って作ることに。
そして、こいつの上にさきほどの合体ブロッコリーを載せれば
巨大ブロッコリー、これは巨大ブロッコリーだよ!
興奮した。思ったよりもちゃんとブロッコリーに見えたから、自分でも驚いたのである。
同じものをたくさん集めるだけで、それ自体と同じ形ができあがる。これがフラクタル図形の力か。
ふんふんふふ・ふーーん⤵ふんふんふふ・ふーん⤴
「となりのトトロ」のエンディングを歌っていた。無意識の選択だ。目の前の巨大ブロッコリーを木だと感じたのだろうか?トトロに出てきた巨大樹も、たしかこんな感じだった気がする。
上機嫌で眺めていたら、帰宅した同居人がドアを開けて開口一番「うわ、青くさ!」と叫んだ。そんなに?と思ったのだが、試しに一度外に出て、二、三度深呼吸してから部屋に戻ってみたら、確かにとても青臭かった。慣れって恐ろしい。
同居人は続けて
「ブロッコリーが大きくなったから、何なの?」
と言った。
反論の言葉が喉まで出かかった。だが、よく考えればもっともな疑問のような気もする。たしかに、ブロッコリーが大きくなったからといって何なのだろう?「人生の退屈な時間を少しだけ埋めることができる」とか?
作っていて愉快であることは間違いないのだが、面と向かって意味を問われるとよくわからなくなってしまった。
ブロッコリーが大きくなったから、自分はメインディッシュになれる
なんのためにブロッコリーを大きくしたのかわからないまま外に出てきた。とても暑い。この気温と日照は明らかに人体に有害だが、ブロッコリーにもよくないんじゃないだろうかと心配になる。
写真写りが驚くほど木。
テグスで縛って互いに密着させているだけなので、扱いには気を使う。たぶん、一つが抜け落ちただけで全てが崩壊してバラバラになるだろう。ちなみに、芯の部分は竹串で刺して固定している。こっちはなかなか抜けないと思う。
しかしせっかくの立体的な巨大ブロッコリーなのに、同じポーズばかりではつまらない。仮に壊れてしまっても、とりあえず記事が書けるだけの写真を撮り終えたところで、思い切って横倒しにしてみた。
よかった、意外に頑丈だ。房の中にテグスが食い込んでズレにくくなっているようだ。
倒してから見る方が、立てた状態の時よりもブロッコリーらしさが増したように思う。我々が普段、野菜売り場や皿の上に載ったブロッコリーを見るとき、ほとんどが倒れた状態で見ているからだろう。
ここで唐突に思いついた。ベンチの上で横倒しになった巨大ブロッコリーは、まさにステーキやハンバーグが載った皿の上で、主菜の横に添えられた添え物野菜としてのブロッコリーそのものだ。つまり、その横に寝転がれば、自分こそがメインディッシュということになるのでは……!?
ブロッコリーを大きくする、その意味は自分がメインディッシュになる気分を味わうためだった。もちろん、そこにはさらに「メインディッシュになったから、何なの?」という新たな疑問が浮かんでくるわけではあるが。ただ大きくしただけでなく、後付けで趣向みたいなものが生まれたのはうれしい。
まず何かをしたいという衝動が天から脳に降ってきて、そこに意味付けするために我々はあれこれ理屈を考えるのだ。それが人間というものだ。それにしても、「ブロッコリーが大きくなったから何なの?」と聞かれたのが、ものが完成した後でよかった。
それではさっそくやってみよう。
それで、メイン(主役)になった気分を一言で表現するとですね。
真夏の炎天下のベンチの熱さたるや、比喩ではなく本当にステーキにされてしまうところだった。生きたまま焼かれるとはまさにこのことだ。
自分自身をメインディッシュの肉料理に見立ててみた結果、因果なことにフライパンで焼かれるような苦痛を味わうことになったのだった。
なお、この記事で使ったブロッコリーはこの後すべて食べて消費しました。

