撮った写真を見ては、これがアーモンドの花かー、と未だに不思議な気持ちだ。実際には、生った実の中にある種、その中の仁(じん)、というものがいわゆる皆が知ってるあのアーモンドになるので、かなりこの花から深奥の部分ではある。こんなに香ばしいものをこの木は体のどこかに持っているのだ。だめだ、どう言葉を尽くしても、この花と、食べるアーモンドが結びつかない。
アーモンドだけでなく、園内には160種も果物が植えられているそうなので、実りの秋にはまた訪れてみたい。その頃にはこのアーモンドの花も収穫を迎える。
長年逃がしっぱなしだった花見を今年こそは。そんな悲願を胸に今日はこの地にやってきたが、どうだこれは。
実は、今までがんばってアップで撮ってきたが、遠景はこんな感じだったのだ。
なので、これら数百本の若木もいずれは、もっとボリューム感のある集合体になると思われる。
もうこうなったら花見せずには帰れまい。何がなんでも花見だ酒だ。売店でアーモンド尽くしと参ろう。
広場からコロッケの屋台に戻って、また帰ってきて30分くらいか。もう汗だくである。よってアーモンドラーメンは諦めた。唯一の心残りだ。
アーモンドの花見。静かだ。ミツバチの、「ド」と「ド#」の間を行き来しているような羽音を聞きながらビールをすする。どこか割と近いところで、ホトトギスの鳴き声が完パケで聞こえる贅沢。
この広場はけっこうな傾斜が長く続く場所で、のんびりコロッケをかじっている私のそばを、どこかの子供が何度も転がり続けていておかしかった。何度もだ。割と正気を失いかけ、というていで、何度も転がっては笑い転げるのだった。
5歳の子供を持つ友人の話だが、「息子をディズニーランドに連れていき、さんざん遊んだ帰り道、今日何のアトラクションが一番面白かったか聞いたら “ベンチ!”と答えられて疲れがどっと出た」と話していた。彼はベンチの周りをただただグルグル回っていたのがツボだったらしい。
アーモンド鑑賞を風流にこなす大人たちに混じって、子供は自由だなあと思った、そんな花見だった。
撮った写真を見ては、これがアーモンドの花かー、と未だに不思議な気持ちだ。実際には、生った実の中にある種、その中の仁(じん)、というものがいわゆる皆が知ってるあのアーモンドになるので、かなりこの花から深奥の部分ではある。こんなに香ばしいものをこの木は体のどこかに持っているのだ。だめだ、どう言葉を尽くしても、この花と、食べるアーモンドが結びつかない。
アーモンドだけでなく、園内には160種も果物が植えられているそうなので、実りの秋にはまた訪れてみたい。その頃にはこのアーモンドの花も収穫を迎える。
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