特集 2018年11月16日

専門家と行くダム見学会に参加した

専門家も「うおー」

バスは耳川を上流に遡り、ダム群の中でもっとも上流に造られた上椎葉ダムに到着。

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さすがの巨大ダム、専門家も見とれていた

上椎葉ダムは1955年(昭和30年)に完成した。日本で初めて着工したアーチダムで、日本で初めて高さ100mを超えたダムでもある。ダム業界内では非常に貴重な存在だけに、専門家の注目度も高いと思う。まずは下流側から見上げて大きさを味わったあと、ダムの上に移動した。

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ダムが見えてきた瞬間、みな「うおー」と声を出していた

ダムに続く道が狭いため、少し手前でバスを降りて徒歩移動。視界にダムが飛び込んできた瞬間、大の大人の男たちが口々に「うおー」と声を上げていた。思わず、

「建設会社の人でもでかいダム見ると声出ちゃうんですね」

と言ったらかなりウケた。やっぱりすごいものは誰が見てもすごいのだ。

「これよく造ったなあ」

という声も聞こえてきた。

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ホントよく造ったなあ
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写真撮って人に見せたくなる系ダム

ちなみに、職員さんからの説明で、建設工事で完成までに105名の方が亡くなった、という説明を聞いたときも

「うわーぉー」

と声が出ていた。ひとつの工事現場で100人以上亡くなる、って今だったら大事件である。当時はまだ道路事情が悪く、海沿いの延岡から山深いこの場所まで約58kmものロープウェーが敷かれ、資材が運搬されていたという。情報伝達もいまとは比べ物にならないくらい遅かったのだろう。

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時間なくて行けなかった展望台からの上椎葉ダムをどうぞ

魂込めて造った

続いては下流に向かい、岩屋戸ダムを通り過ぎてその先に設置されている塚原(つかばる)ダムへ。戦前の日本どころか東洋を代表する重力式コンクリートダムで、堤高87mは完成した1938年(昭和13年)から戦後の1954年(昭和29年)まで高さ日本一だった、由緒ある堤体である。

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九州でも指折りの名堤体

ここも職員さんの案内で、ふだんは立入禁止のダムの上を通って反対岸へ向かった。塚原ダムの外観の特徴として、ダム上の通路の壁がお城のように凹凸している。これは万里の長城をイメージした装飾とのこと。当時の技術者にとって、日本一のダムは難攻不落のお城や要塞といった意識だったのかも知れない。

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レゴブロックのお城シリーズのようでもある
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80年経ったいまでも建設時の遺構が残る

職員さんの説明でも出たけれど、塚原ダムをはじめとする耳川のダム群で忘れてはならないのが、2005年(平成17年)の台風14号である。大型で強い勢力を保ったまま、ゆっくりした速度で通過した台風の大雨によって、九州、四国、中国地方では浸水や土砂崩れが多発。耳川のダムでは最上流の上椎葉ダム以外のすべてのダムで、ダムを設計したときに想定した最大の流量を超え、川沿いの住宅だけでなく、発電所も浸水して発電不能になるなど、大きな被害が出た。

特に塚原ダムでは500mほど下流で巨大な土砂崩れが発生して川がせき止められ、そこに貯まった水で塚原ダムが水没する寸前になったという。

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ちょうど画像真ん中あたりの斜面が大規模に崩れた

反対岸まで渡ってくると、そこには巨大なレリーフが埋め込まれた和風の壁があった。これはなんと慰霊碑。塚原ダムでも建設工事で44名の方が殉職されたらしい。正直言って、各地のダムで慰霊碑は見るけれど、ここまで大規模なものは見たことがない。

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こんなに立派な慰霊碑見たことない

ちなみに、このレリーフは日本サッカー協会のシンボルマークである「八咫烏」をデザインした人が手がけたものだという。

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ものすごく巨大なレリーフ

「魂込めて造ったんだなあ」

と、ある建設会社の人が言っていたけれど、この「魂込めて」は慰霊碑だけでなく塚原ダムにも掛かっているのだと思う。

別の人が慰霊碑の名簿を覗き込んでいたら、

「あ、御社いますよ」
「え、弊社?弊社(このダム)やってたっけ?」
「ほらここに」
「あ、本当だ、大先輩だな」

というような会話も聞こえてきた。
弊社の人は名簿を確認すると、深々と祈っていた。
 

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人目につかないところにものすごいものがあるものだ

バスに戻る前、ダム入り口の門のところでこんな看板を見つけた。

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中に珍しいポケモンでも出るのだろうか

 

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