ゆる神の前では欲望をさらけ出せ
ここで紹介したのはほんの一部。様々な背景や伝説に彩られ、性格や服装、しぐさや好物といった特徴づけがはっきりしたユニークな神々が、ミャンマーにはいっぱいいます。ミャンマー観光というとパゴダを巡りがちですが、気をつけて見てみればいろんなところに「ゆる神」たちが潜んでいます。欲を叶えてくれる分、常に流れ星が流れっぱなし状態と言ってもいいかもしれません。
あなたもぜひ、ゆる神の世界を堪能しにミャンマーへおいでください!
ミャンマーは敬虔な仏教国です。しかし仏教と融合する形で、多神教の土着神信仰もがっつりと日々の暮らしに溶け込んでいます。
この神様たちはみな、造形がどこか手抜きでユーモラス。私はゆるキャラならぬ「ゆる神」と、勝手に命名し愛でています。そんな個性あふれるミャンマーのゆる神さまの世界を、とくとご案内しましょう。
※この記事は、 世界のカルチャーショックを集めたサイト「海外ZINE」の特集「ライターがオススメする裏観光」の記事をデイリーポータルZ向けにリライトしたものです。
まず、ミャンマーの土着の神々は、大きく分けて2つのカテゴリーにくくれます。それがナッ神とウェイザー。
はじめにナッ神。13世紀からミャンマー中部で栄えたバガン王朝が、国民支配のツールとして仏教を取り入れるまで、ミャンマーで広く信仰されていた多神教の土着信仰です。バガン王は布教の際、「ナッの神々は仏陀のしもべ」と説明してナッ神信者たちを取り込んでいったといわれています。信者、類まれなる無垢っぷりです。
もうひとつの土着信仰の潮流は、「ウェイザー」と総称する錬金術師ともいうべき超能力者を、死後に神として祀るケース。水中に住んでいるなどの明らかに伝説上と思える人もいれば、写真が残っているほど最近まで生きていた実在の人物もいます。日本でたとえるなら、まるで宜保愛子さんが神になった感じでしょうか。
そんなゆる神で、特に有名な面々をご紹介しましょう。
ナッ神には木や石に宿る神もいますが、かつて人だった神様がたくさんいます。そのほとんどが、非業の死を経て神となりました。時の政権の犠牲になった人も多く、日本で政争が原因で死に追いやられた平将門や菅原道真を神として祀る様になったのと似ています。
■「怪力で恐い」で焼け殺された悲劇の兄妹
まずは、ナッ神を代表する神様をご紹介。ミャンマーの家庭では、部屋の隅にココナッツを吊るしていることがよくあります。これはナッ神の中でも特に広く信仰を集める、マハーギリ&ナマドー兄妹を祀ったものです。
マハーギリは並外れた怪力の鍛冶師でしたが、彼を恐れる王は彼の妹ナマドーを妃に迎え、それをエサにマハーギリを城へおびき寄せ、火あぶりにしました。そしてその際、兄を助けようとした妹も焼け死んでしまいます。
ふたりはある樹に棲みつくナッ神になりますが、それでもなお王はその力を恐れ、その樹を伐り倒して川に流します。それを下流の民たちが引き上げてポッパ山に祀りました。それにしても、ただただ怪力だったというだけでなんたる仕打ち。おいそれと筋トレもできません。
マハーギリ兄妹のためのココナッツは、カーテンなどで光を遮っておきます。その理由は、「焼死した彼らは光を嫌うから」というものだそうです。
■ポッパ山の花喰い鬼・ポッパメイドー
マハーギリ兄弟を祀るポッパ山は、やはり悲劇に見舞われた後に神となったポッパメイドー親子も祀っています。
ポッパ山にはかつて、ポッパメイドーという名の花喰い鬼が住んでいました。そこへ若い頃に錬金術師の遺体を食べて超人的な力を得ていた(この設定もいかがなものかと思いますが…)イスラム商人がやってきて、彼女と恋に堕ち双子の兄弟が生まれます。
ところが王の策略で夫を殺され、息子たちを取り上げられたポッパメイドーは狂死し、ナッ神となったのです。
■「オカマ祭り」で有名!?シュエピン兄弟
しかしそれで終わることなくなおも悲劇は続きます。ポッパ山で生まれたポッパメイドーの双子の息子・シュエピン兄弟は、長じて勇猛果敢な戦士となり、王のために戦います。王は母親の敵だと思うのですが、その辺のメンタリティはどうなっているのでしょうか。
大きな戦いで勝利を収めた帰途、王はタウンビョン村(ミャンマー中部)にパゴダを建てるよう兄弟に命令。しかし、兄弟に嫉妬した大臣の策略にかかって2人は処刑され、彼らもまたナッ神になってしまうのです。
それにしても、ミャンマー神話、策略と死がとどまることを知りません。おだやかで素朴とも評されるミャンマー人の国民性とはずいぶんかけ離れていると感じます。
タウンビョン村は今ではポッパ山と並ぶナッ神信仰の聖地で、毎年8月(年により多少ずれる)の満月の日にかけての数日間、ミャンマー全土からナッ神に仕える霊媒師と信者が大集結し、村の至る所で憑依儀礼を繰り広げる祭りを開催します。
ミャンマーの霊媒師は男性トランスジェンダーが大多数。男でも女でもない存在というのが、神の妻にふさわしいとみなされるのかもしれません。またこれらの霊媒師たちに加え、この祭りの噂を聞きつけたタイの男性トランスジェンダーも多数来村するため、この祭りは別名「オカマ祭り」としても有名です。
■海辺のことなら任せておけ・ウーシンジー
悲劇の主人公タイプのナッ神は枚挙にいとまがないのですが、もうひとり紹介しましょう。
竪琴を手にしたこちらのナッ神はウーシンジー。主に、ミャンマー南西部のエーヤワディ地方で信仰を集めています。
竪琴の名人として名をはせていた若者ウーシンジーはメインマラー島(実在の島)を訪れた際、その演奏に魅せられ彼を島から出すまいとした島の女神姉妹により溺死させられ、ナッ神になりました。「永遠に自分のものにするために殺してしまう」という、どこの国にもありそうな(!?)話ではあります。現代社会でいうサイコパス的思考は、時代も場所も問わないのかもしれません。
彼は海に出る人びとを守るとされ、ミャンマーでは船出に際してウーシンジーに供物を捧げます。また、海から遠い都心で彼の像を祀ってある家があれば、それは家族の誰かが船員であることを意味しているのです。
■モン族の水牛守護神・ナンカライン
頭に水牛をのせた女性の姿で描かれるのがナンカライン。これまでは元人間でしたが、こちらにいたっては元水牛です。人間以外がナッ神になったレアケースといえます。ミャンマーで比較的人口規模の大きい少数民族であるモン族が主に信仰しており、彼女を祀る祠を玄関前に出している家には十中八九、モン族が住んでいます。
彼女がナッ神になった経緯はこうです。
9世紀頃のこと。モン王国の王が弟に暗殺され、逃げ延びた王妃は生まれたばかりの王子を水牛の群れの中に隠します。彼を乳母となって育てた牝牛がナンカライン。大きくなった彼はインドの侵略から王国を救うために水の神の助けを得ますが、引き換えに水牛を1頭供儀しなければならなくなりました。水牛とともに育った王子が仲間を殺せず悩んでいるのを知ったナンカラインは、自ら命を絶って頭を王子に捧げ、ナッ神になったのです。
さてそんな、前世ではもはや怨霊になってもおかしくないレベルで殺されまくっているゆる神たち。造形はともかくその背景はぜんぜんゆるくないと言われると確かにその通りではありますが、安心してください。ここからは一転して、なにもかもがゆるくなっていきます。
土着神にはナッ神とウェイザーがいると冒頭で書きましたが、伝説上、元人間だったナッ神はもちろん、ウェイザーもそもそもは人間。それだけに、神様とは思えない俗っぽい面々が揃っています。
■賭博と酒が大好きな神・ゴージージョー
まずはナッ神界一の俗物神様をご紹介しましょう。ミャンマー中部で人気を集めるゴージージョーです。ちなみに、私のイチ押しゆる神でもあります。
ミャンマーには、神様の張りぼてを作って村を練り歩く祭りが多いのですが、そういった場面では必ずといってもいいくらい、ゴージージョーが登場します。
ゴージージョーは大酒呑みでヘビースモーカー。趣味は賭博、中でも闘鶏が大好き。それでいて好物はフライドチキン。鶏は戦わせるのも食べるのも好きと言う、ブレてるんだかブレてないんだかよくわからない設定です。
酒呑みだけに、居酒屋やレストランの片隅に祀ってあるのをよく見かけます。
■食欲は太陽をも止める・ウーパーグタ法師
こちらはナッ神でなくウェイザーのウーパーグタ法師。見た目は僧侶ですが、水中に住んでいるという設定からすると、実在の人物ではなさそうです。海や川などの水辺に建つパゴダであれば、ほぼほぼ祀ってあります。
彼の姿は必ず、托鉢の鉢に片手を突っ込み、頭は斜め上方を向いたスタイルで造形しますが、それにはこんなわけが……。
ウーパーグタ法師はある日、悪霊退治に忙しく、昼食の時間に遅れます。ミャンマーの僧侶は、昼の12時以降は食事を取れません。そこで彼は、もうすぐ真上にさしかかろうとする太陽を超能力で止め、食事をしたのです。
彼の力の強力さを物語るエピソードですが、様々な善行を果たしたろうに、後世に残るのが食い意地の張った姿とはちょっと気の毒な気も。実際、「僧侶が食欲に囚われるとは」と彼を嫌う仏教徒もいます。
■ヤクザっぽい実在の超能力者・ボーミンガウン
こちらもウェイザー。数あるウェイザーの中でも、一番人気を誇ります。
彼は1952年に亡くなった実在の人物だけに、写真も何枚か残っています。有名なのがしかめっ面で片膝をついて座る写真で、彼の像はこのスタイルに造るのが定番。日本人の目には、仁侠映画に登場する菅原文太にしか見えません。
彼は、脱線した列車をひとひねりでどかしたり、首をはねた鶏を生き返らせたりと、数々の超能力エピソードを残しています。死後60年ほどしかたっていないのに、今やたいていのパゴダでひとつは彼の像を見かけるほど、広く信仰を集めています。
先に紹介したポッパ山はナッ神の総本山だけあり、ウェイザーの修行の場としても有名。ボーミンガウンもここで修行を重ねました。ポッパ山には大小様々な彼の像が祀ってありますが、ただでさえヤクザのようないでたちなのに、信者たちがお札をたくさん供えるので実に俗物的な姿になってしまっています。見た目だけで言えば、完全に銀行を襲ったあとの宴です。
ゆる神さまは基本的にナッ神かウェイザーですが、そのどちらにも含まれない神もいます。その代表格が、こちらのボーボージーです。
■地域やパゴダの守護神・ボーボージー
ボーボージーはいわば、パゴダや地域全体を守ってくれる守護神。すべてといってもよいほどのパゴダで祀っており、町の入口にもよく彼の祠がしつらえてあります。
数あるボーボージーの祠のうち、北部方面からヤンゴンへ入る街の入口にある祠は車の守り神として知られます。新車を買った時や車が事故に遭った後などに、車ごとここへお参りするのです。参拝方法がまたユニーク。
ミャンマーではパゴダに参拝する際、頭を床につくように3度お辞儀しますが、ここでは祠に向かって3度、車が前進&バックを繰り返すのです。何台もの車が祠の前に並び、順々に“参拝”する光景はなかなかシュールではあります。なにかの拍子にアクセルとブレーキを踏み間違えようものならご利益どころの話じゃなくなります。
ここまで見てきてお気づきと思いますが、ミャンマーの神々には、見る者が共通に認識できる顕著な特徴があります。それは持ち物だったり性格だったり、ポーズだったりと様々ですが、そもそもなぜこれほどキャラがたっているのでしょうか。元が人間だったから、というのはあるでしょうが、それだけではないと私は考えます。
実はミャンマー人は占いが大好きで、占いで重大な政治決定がなされているという、かなり信憑性が高い噂もあるほど。大きな願い事をするときには霊媒師を招いて大々的な憑依儀礼を行います。ミャンマーの霊媒師はナッ神をその身にのり移らせて様々なお告げをするのですが、このとき、どの神がのり移っているのかが見ている人たちにすぐわかる必要があるのです。
たとえば同じ女神でも、マネレーは楚々としておしとやか。服や靴などきれいなものと、なぜか卵が大好き。
対するアメージャは荒々しく少々下品。胡坐をかいて座り、葉巻好き。
マレネーは金運、アメージャは子宝に霊験あらたかな神なので、金運祈願ならマレネーを、子宝祈願ではアメージャを呼び出さなければなりません。霊媒師がトランス状態に入った後に、楚々として女らしくなって卵を求めたらマレネー、どっかと胡坐をかき葉巻を要求し出したらアメージャ光臨成功と、それぞれの神々の特徴がハッキリしていることで誰にでも見分けがつくわけです。
煩悩を捨てて悟りを開くことを説くお釈迦様に対し、土着神は欲望をかなえてくれます。ある意味で人に甘い神々です。土着神信仰が衰えないのはこの違いによるところが大きいのですが、願い事を叶えてもらうにはできるだけ神の意に沿うお供えをしたいもの。好物がはっきりしている神様が多いもそのためではないでしょうか。
先に紹介したナンカラインの好物は魚。この写真はナンカラインへの捧げ物ですが魚料理がずらりと並びます。
こちらは龍の女神ミンナンヌエ。好物は生卵と牛乳、そしてなぜかポップコーン。こうしたお供えの違いから、参道のお供え売場を見ると、どんな神様が祀ってあるのかだいたいの想像がつくのです。
ここで紹介したのはほんの一部。様々な背景や伝説に彩られ、性格や服装、しぐさや好物といった特徴づけがはっきりしたユニークな神々が、ミャンマーにはいっぱいいます。ミャンマー観光というとパゴダを巡りがちですが、気をつけて見てみればいろんなところに「ゆる神」たちが潜んでいます。欲を叶えてくれる分、常に流れ星が流れっぱなし状態と言ってもいいかもしれません。
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