油掛地蔵は不思議がいっぱいだ
いかがだったろうか。 ちょっとした好奇心から始めた油掛地蔵巡りであったが、 個人的には想像以上に楽むことができた。
ちなみに、最後に訪れた西岸寺のお坊さんが言っていたことなのだが、 油掛地蔵の足元にはなぜか油が溜まらないのだという。 実際私も地蔵の足元を見てみたのだが、確かにほとんど油は残っていなかった。 蒸発しているのか、それとも石に染み込んでいくのか。
う~ん、謎である。
二件目の油掛地蔵があるのは、嵯峨から少し南に下ったあたり。 松尾大社が鎮座する松尾の駅から、東へ1kmほど行った所にある長福寺というお寺の門前だ。
しかし、この油掛地蔵は一件目の油掛地蔵とは明らかに違う様相を呈していた。
脇に掲げられているプレートには「油掛地蔵」と書かれているものの、 お堂には木製の格子がはめ込まれており、 お地蔵様を見るには格子の隙間からのぞくしかない。
これでは当然油をかけることはできない。 そう、この油掛地蔵は、現在もう油をかけられていない、油かけを引退した油掛地蔵なのだ。
その顔や体に残る白い染みを見る限り、 昔はその名の通り油をかけられていたお地蔵様だったことだろう。 保安上の理由からか、それとも風習の廃れからか、 近年になって油かけをやめてしまい、普通の地蔵と同様に祀られるようになったのだ。きっと。
しかし、私にはこの白く変色してしまったお地蔵様が 「油かけてー!かけてー!ぶっかけてー!」と訴えているような気がしてならない。 何か寂しそうな、切なくなる表情である。
いつかまた、このお地蔵様に油がかけられて、 ギトギトに黒光りする姿に戻る日が来ることを祈り、 私は長福寺を後にした。
次はこれまでの洛西から離れ、京都市南部の伏見となる。
有数の酒処である伏見には、川沿いに酒蔵が並ぶ風情ある景色を見ることができたりするのだが、 その伏見の町の一角に、油掛地蔵を祀った西岸寺がある。
西岸寺はすぐに見つけることができた。 境内にはたくさんののぼりが立ったお堂があり、 油掛地蔵はそのお堂の中に安置されていた。
が、ここの油掛地蔵のお堂にも格子がはめられており、 外からは直接お地蔵様に触れられないようになっていた。
格子越しにお堂の中を見ると、確かにお堂の奥に地蔵があるのが見える。 しかも、先ほどの白くなってしまったお地蔵様とは違い、 きちんと油まみれで黒光りしているものだ。横には消火器もあった。 よし、ここは間違いなく現役の油掛地蔵だ。
ふと横を見ると張り紙が張ってあり、それには「地蔵の拝観は100円」とあった。 私はお堂の横についていたドアをノックして「ごめんください」と言ってみたが、 中からの反応は全く無い。ひとけも無い。 すると、境内の奥にあった別の建物からお坊さんが顔をのぞかせた。 ありゃりゃ、そっちだったのか……
そのお坊さんに拝観希望の旨を告げると、お堂の扉を開けて中に通してくれた。
おぉ、ここの油掛地蔵もなかなか凄い。 建物は新しめではあるが、地蔵自体は相当な貫禄がある。
説明文によると、これも嵯峨の油掛地蔵と同様、鎌倉時代に作られたものだそうだ。 その由来は、このお地蔵様の前を通った油商人がうっかりつまずいて油をこぼしてしまい、 その残りをお地蔵様にかけたところ、商売がたちまち繁盛したという話によるものだという。 なぜこぼれ残った油を地蔵にかけたのか分からないが、まぁ昔話というのはそういうものだ。
ちなみにこの油掛地蔵、長い年月油をかけられ続けたため、 なんと油が2cmも積もっているのだという。 2cmの油の層!いやはや、すさまじいものがある。
ところで、先ほどお堂の扉を開けてくれたお坊さんは、実はこのお寺の住職ではない。 ここの住職は去年亡くなってしまい、 代わりに不定期でこのお寺にお勤めにやってくるのだそうだ。
私はたまたま運良く、このお坊さんがいる時に訪れたためお堂の中を拝観できたのだが、 普段は誰もいない無住の寺のため、中には入れないのかもしれない。
いかがだったろうか。 ちょっとした好奇心から始めた油掛地蔵巡りであったが、 個人的には想像以上に楽むことができた。
ちなみに、最後に訪れた西岸寺のお坊さんが言っていたことなのだが、 油掛地蔵の足元にはなぜか油が溜まらないのだという。 実際私も地蔵の足元を見てみたのだが、確かにほとんど油は残っていなかった。 蒸発しているのか、それとも石に染み込んでいくのか。
う~ん、謎である。
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