フナが釣れないので始められない
私は埼玉県東部の出身なのだが、子供の頃は周囲に田んぼがたくさんあり、フナは小川でたくさんとれた。春か秋かは忘れたが、ハイシーズンにはそれこそ仕掛けた四手網の底が沈み込むほどだ。
魚はたくさんいるのだが、川底はヘドロが溜まってお世辞にもきれいとは言えなかった。小学校低学年の頃、友人同士の根性試し的な意味合いで、焚火で焼いたフナを食べた覚えがある。あれはどんな味だっただろうか。
フナの旬は水が冷たくなる冬だと聞いたことがある。そこで寒くなるのを待って近所で竿を出したが、生き物は何も釣れなかった。あんなにいたフナはどこへいったんだろう。
冬になるとフナを求めて適当な場所で竿を出して、やっぱり釣れないなあと確認する。そんな二年間が過ぎた。
そもそも冬はあまり餌を食べないので釣りづらい時期なのである。だからこそ寒フナと呼ばれるフナは泥臭さがなくておいしいらしいのだが。本職の漁師は網で捕るのだろう。
ああ、フナ味噌への道は遠い。
フナ味噌を調べてみよう
フナが釣れなくてもやれることはある。フナ味噌の話は岐阜出身の友人から聞いたが、どうやら全国各地に同様の料理があるらしい。そこでレシピを集めてみることにした。
ネットで検索すれば話は早いが、ネットで調べたことをネットに書くと記事がネットネットしてしまうので、市営図書館にある本を利用させていただいた。本当は地元で有名なフナ味噌名人のおばあちゃんをどうにか見つけて習いたいところだが。
淡交社「あっぱれ!日本のスローフード」(著者:飯田辰彦)には岐阜県海津市平田町の渡辺智恵子さん宅の作り方が紹介されていた。「いざこの料理を作ろうとした場合、相当の覚悟がいる」で始まるレシピをざっくりまとめるとこうだ。
フナの鱗と内臓をとって、炭火で素焼きにして、水に浸けた大豆と梅干(臭み取りと骨を柔らかくする役割)と水で、火を付けたり消したりしながら、水を足しつつ一日半も煮る。フナの骨を取り除く家とそのまま形を残す家がある。味噌と砂糖を加えて、焦がさないように3~4時間煮詰めたら完成。味噌は赤味噌(豆味噌)を使うのがポイント。
農山漁村文化協会(農文協)「日本の食生活全集」の「聞き書 〇〇(都道府県)の食事」には、岐阜、岡山、愛知、茨城にフナ味噌の記載があった。以下は要約である。詳しくは原書をどうぞ。
岐阜:焼いたフナをたっぷりの水で煮て、砂糖と味噌を加える。豆を入れる場合はフナと一緒に炊き、豆入りはやや高級。
岡山:素焼きをかまどの上で乾かしたフナを大豆と梅干で煮て、味噌と砂糖で味をつける。
愛知:鱗と内臓をとったフナを大豆と水で二日煮て、味噌と砂糖ともち米を加えて煮る。
茨城:串刺しにして保存したフナを焼き、包丁で叩いて細かくして味噌と柚子を混ぜる。
最後の茨城は、いわばフナの味噌叩きであり、これは同名の別料理ということでいいだろう。ということは、ざっくりいうと西日本側、そして中京地方(岡山にもあるが)の食文化かな。
仕上がりの写真はどれもピーナッツ味噌くらい水分がない甘露煮状態。梅干やもち米が入ったり入らなかったりするが、これが地域の差なのか、各家庭の差なのかは、しっかり現地調査をしないとわからない。フナ味噌を作る家がどれだけ残っているのかわからないが。
「聞き書 岐阜の食事」には、この地域は燃料が藁なので弱火で焚き続けるのは非常に困難なので、畑の桑や溝端の柳を切ったり、籾殻や豆殻を使ったと書かれていた。ガス以前の時代は弱火で煮込むという調理が今の何倍も大変だったのだろう。
これらを踏まえた上で、自分好みのフナ味噌を作ってみたい。いつかフナが釣れたらね。
フナの釣れる場所を教えてもらった
そして昨年の秋、今年こそフナを釣りたいんだという話を釣り好きの友人にしたところ、「フナならうちの近所にたくさんいるから、ミミズでも投げておけば簡単に釣れますよ!僕は食べないけど!」というので、ならばと案内していただいた。
この日は10月中旬だったので寒ブナと呼ぶにはまだ早いが、冬にこの場所で釣れる保証はないとのこと(季節によってフナの居場所は変わる)。
理想は自分の地元で釣った寒ブナだったが、私は二年連続釣れていないマンなので、遠征だろうと秋ブナだろうと、もう贅沢はいっていられない。フナ味噌を作りたくて仕方がないのだ。
教えてもらった川は護岸がまだコンクリートで舗装されていない、私が子供の頃によく釣りをしていたような懐かしい川だった。記憶にある川はもっとヘドロがひどかったけど。
友人は竿を取り出すと、針にミミズをつけただけの仕掛けを川に投げ入れて、あっという間に巨大なフナを釣り上げた。コイと見間違える大きさだ。
私も同じように竿を出させてもらうと、同じような大物が簡単に釣れた。人生で一番大きなフナかもしれない。あとで測ったら36センチもあった。
フナ味噌の材料としては10~15センチくらいの中型が良いのだろうが、大きいことに文句を言ったら罰があたる。この2匹だけで量としては十分だ。
それにしても私の中では幻の魚だったフナが、こうも簡単に釣れるとは。しかも超大型。案内してくれた友人にお礼を伝えると、「この辺だとフナはたくさん釣れるけれど、ノビル(食べられる野草)がぜんぜん生えていないんですよね」と意外な悩みを打ち明けられた。
さっきミミズを掘ったそこの土手に、ノビルはいくらでも生えているよと教えたら、目を見開いて驚いていた。
彼にとってのノビルがそうであるように、私の地元にもフナは今もどこかにいるのだが、それに気づけていないだけなのかもしれない。
フナを釣るために待ち合わせをして、とっておきの場所を教えてもらって、釣れたら「じゃあまたね!」と帰る感じが、なんだかとても懐かしかった。
フナの下処理をする
釣ってきたフナをよりおいしく食べるため、水槽にいれてブクブクと酸素を送りながら、濁った水を変えつつ三日間泥抜きをした。
途中で死なれると困るので泥抜きと呼ぶには短期間だったが、それでもかなりの泥を吐き出したので、この工程にちゃんと意味はあったはず。
心配していた泥臭さは、自分の鼻を近づけて嗅いだ限りは大丈夫そうで、苔のような川魚特有の香りがちょっとした。淡水魚が苦手な人はダメかもしれないが、私にとっては嫌な感じではしない。
このフナが生きたまま鱗と内臓を取るのだが、なんというか生き物感がすごかった。海で釣った魚はクーラーボックスの中で活魚から鮮魚になっているのだが、この二匹はビッチビチの活魚である。前に捕ってきたスッポンをさばいたとき以来の生命力の強さ。できなくはないのだが、なかなか慣れるものでもない。
ごめん。ありがとう。おいしくする。
下処理したフナを焼く派と焼かない派に分かれるようだが、できるだけ手間をかけたいので、魚焼きグリルの弱火でじっくり素焼きにする。理想は囲炉裏の炭火でじんわりとなのだろう。
新鮮すぎる魚あるあるなのだが、皮がビリビリに破れてしまった。鱗をとるときに力を入れ過ぎたのかも。これ以上焼くと焦げそうなのでほどほどで終了。どうせ煮るので火を通す必要はないだろう。
皮の下からみえる身は、タイやイサキを思わせる血合いの鮮やかな白身のようだ。淡水魚には危険な寄生虫がいるので試せないが、フナは刺身で食べるのが一番うまいという説は本当かも。
大豆と一緒に柔らかくなるまで煮る
ここまででかなりの時間が掛かっているが(主に釣り下手なのが理由だけど)、ここからこそがフナ味噌の苦労のしどころである。
一晩水に浸けておいた大豆、たまたま手作りした梅干と弱火で気長に煮ていくのだ。
本によると、水を足しながら一日半とか二日とか普通のレシピ本には見かけない加熱時間の単位が書かれていたが、実際はどれくらいなのだろう。
素焼きしたことでフナのたんぱく質が焼き固められたためか、アクは全く出てこない。とりあえず二時間が経過したところで火を止めて、黄金色のスープを試してみることにした。さてどんな味なのか。
この汁を試してみて驚いた。もうこの時点ですごくうまい料理になっているのだ。
泥臭さなんてみじんも感じられず、フナが持つ深みともいえるうま味成分がしっかり染み出ていて、それを大豆の甘みが底上げしている。素焼きによる香ばしさも素晴らしく、やっぱりフナ味噌において手間は正義なのだ。
過去にとった出汁の中だと、ハゼの焼き干しが近いだろうか。いつか出汁で雑煮を作ってみたい。
こんな出汁を焦げる寸前まで煮詰めて作るフナ味噌なのだから、そりゃもうおいしいだろうよ。
味噌と砂糖で味をつける
フナ味噌はずっと煮続けるのではなく、火を付けたり消したりしながら煮込んでいたようだ。
ガスじゃない時代は弱火をキープするのが難しかっただけかもしれないが、古式に習って一時間煮ては冷ますという工程を二度繰り返すと、ほぼ汁気がなくなるまで煮詰まった。焦って煮詰めすぎたかもしれない
本来は骨が柔らかくなるまで煮なければいけないのだが、さすがにこの大きさのフナが頭から食べられるようになるとは思えないので、その点はもう諦めた。
さあ、ここから味付けである。赤味噌を使うのがセオリーのようなのでスーパーで買っておいたのだが、よく見たらそれは「赤だし」で、すでに鰹節や昆布のだしが入ってしまっているものだった。
あとで調べたら、赤味噌に出汁を加えた調合味噌、およびそれで作った汁を赤だしと呼ぶようだ。
どうしよう、せっかくなら純粋なフナのだしだけで仕上げたいよね。でもここまできたら早く次の工程に進みたい。
少し迷って、家にあるいつもの味噌で作ることにした。だし入りよりはいいだろう。味噌を同量の酒と砂糖を混ぜて、煮汁で伸ばして鍋に入れる。
赤味噌問題に動揺してうっかり酒を入れてしまったが、味噌と砂糖だけが正解だった。まあいいか、贅沢仕上げということで。
これを煮込むと、困ったことに濃い味噌汁のようなものができてしまった。
これだとフナ味噌ではなく、「サバ味噌」の系統だ。
これではいけない。俺の知っているフナ味噌はこれじゃない。いや知らないからこうなったんだけど。
やっぱり赤味噌じゃないとダメだよね。それになんだか照りが足りない。
近所の店を何軒か回ったけど出汁の入っていない赤味噌は見つからなかった。もうだし入りでもかまうもんかと、赤だしと砂糖と掟破りの味醂を煮汁で割って、再び鍋に入れて煮込み直す。
焦げないように細心の注意を払いながら、フタをせずに弱火でじっくり煮詰めていくと、赤味噌が本気を出してきた。照りもいい感じである。
ここから先はチキンレース。もう少しだけ煮詰めたい気持ちもあるが、うっかり焦がしたらすべてが台無しになるという、心を鍛えるハイリスクな勝負をジリジリ進める。
そして「これ以上は無理!」っていうところで、フーと息を強く吐きながらコンロのレバーを捻って火を止めた。
フナ味噌はすごくおいしかった
そんなこんなで出来上がった記念すべきマイファーストフナ味噌は、使用したフナが立派だったこともあり、ヴィジュアル的にはほぼ満点だ。赤味噌だけならもっと赤かったかな。
この写真を話のきっかけとなった岐阜出身の友人に送ったところ、「だいぶ豆が多いけどそんな感じ」という返事が来た。やっぱり豆が多かったか。でも赤味噌も大豆から作るので、きっと結果オーライのはず。
さて問題は味である。煮汁を多めにつけてフナの身を食べてみると、肉質は脂少な目のサバのようだが、フナ独特の味わいがすごい。。これぞ滋味。
ショウガなどの香味野菜を一切使っていないが臭みは全く感じない。なんでコイじゃなくフナなんだろうと思ったが、フナだからこその味なのだ。
でもこの味、どこかで食べた記憶がある。そうだ、子供の頃に焚火で焼いて食べた、あのときのフナの味だ。
赤茶色をした甘い汁は、もはや味噌餡と呼んでもいい濃厚さ。でもしっかりとフナ味だ。その汁を吸ってねっちりした歯ごたえに煮えた大豆もうまい。もしフジッコのおまめさんに赤味噌味があったら、きっとこんな味なのだろう。
ふだんまったく食べることがない系統の料理だが、食べ進めるうちに不思議と舌に馴染んできて、ちょっとした旅気分が味わえた。これぞ自分が育った食文化圏の外にある郷土の味。
食べ物の味がわかるのと、その価値がわかるのは別の話。もしどこかの家庭で手作りのフナ味噌を出してもらう機会があれば、その手間のありがたさも含めて味わうことができるはず。ましてやガスのない時代にタイプスリップしていたらなおさらだ。
フナ味噌はマロングラッセを上手に作るくらい大変な料理だったが、期待していたよりもずっとおいしかった。ありがとう、フナ太郎とフナ二郎。
フナ味噌は甘いけど日本酒に合う。ダラダラと家で飲むつまみに最高。素朴で立派な冬のごちそうだ。 背景となる情景が浮かんでくるおかずこそが郷土料理なのだろう。作るのが大変だけど、七面鳥の丸焼きにも負けない達成感が感じられた。
骨が固かった問題だが、友人曰くフナの大きさよりも作る量が少ないのが原因ではとのこと。寸胴みたいな大きな鍋でたくさん作れば火を消したあとの余熱が長持ちするし、煮汁からはみ出ることもない。私の場合は初期段階で汁が少なくなりすぎ、フナにしっかり熱が回らなかったようだ。奥が深い。
十分おいしかったけれど改善点も多々あった。来シーズンもまたフナを捕まえるところからやってみたい。そしていつか、現地で本物のフナ味噌に触れてみたい。