赤羽は酔っぱらい天国であり、エレカシの聖地
東京都北区赤羽。ドラマ化もされた清野とおるさんの同名漫画で一躍有名になったこの街は、朝から酔客が徘徊する酔っぱらい天国だ。
さらに、エレカシのメンバー4人のうち、ボーカルの宮本浩次さんを含む3人が赤羽出身のため、エレカシの聖地としても知られている。
問題の発車メロディーが採用されたのは湘南新宿ラインのホーム。5番線に「俺たちの明日」、6番線に「今宵の月のように」が流れる。
何はともあれ、実際の音を聞いてほしい。
「俺たちの明日」
「今宵の月のように」
夢なら覚めないでくれ。湘南新宿ラインは本数が少ないが、これなら何時間でも待てる。
宮本さん自身もメディアの取材に「故郷赤羽駅の発車メロディーに僕らの曲が使われる、これはもう信じられないような、でも、誇らしく、うれしくなんかあったかい気持ちになります」というコメントを寄せた。
聖地の喫茶店「デア」で仕掛け人に話を聞く
報道には「地元の観光協会による企画で実現」とあった。さっそく、北区観光協会に連絡し、取材したい旨を伝えたところ、こころよくOKが出た。話を聞かせてくれたのは同協会事務局長の杉山徳卓さん(55歳)。
待ち合わせたのは東口のアーケード街、LaLaガーデン(旧スズラン通り)にある喫茶店「デア」。
ここは宮本さんの行きつけだった店で、全国のエレカシファンが聖地巡礼のように訪れる。
まずは、「何というか、本当にありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えた。杉山さんは赤羽で生まれて以来、55年間ずっとこの街に住み続けてきたという。
コンサートの代わりに発車メロディーを
「地元の人たちと地域活性化についてしょっちゅう話し合うんですが、酒の席で必ず出るのが『花火大会をやろう』という話。これは実現して、今年で7回目を迎えました」
そして、もうひとつが「赤羽でエレカシのコンサートを行う」というプランだ。
「去年はエレカシの30周年だったでしょ。でも、コンサートをやるというのは想像以上に大変で、実現には至りませんでした。そこで思いついたのが、駅の発車メロディーをエレカシの曲にするというアイデアです」
同じバンドという意味では、2014年から茅ヶ崎駅の発車メロディーにサザンオールスターズの「希望の轍」が使用されている。しかし、杉山さんはこれの実現に7年もかかったことを知っていた。
「発車メロディーは安全性にも影響があるからJRとしても新しい試みを行うのは難しいと聞いていました。そこで、今年8月に公民連携による実行委員会を作って、地域全体、オール北区が熱烈に希望していることをJRとレコード会社にアピールする作戦に出たんです」
採用ホームの決め手は発着数の少なさ
これが功を奏し、話はとんとん拍子に進む。最終的には2曲が使用できるという嬉しいオマケも付いた。採用されたのは湘南新宿ラインが発着する5番線と6番線。
当初は「埼京線がいいよね」などと言っていたが、電車の発着数が多いと上りと下りのメロディーが交差して聞きづらい。5、6番線の方が発着数が少ないし、宇都宮から熱海まで広域の人たちが聞いてくれるからいいんじゃないか、という提案がJR側からあったという。
「もちろん、今回の案件は奇跡と言っていいほどのレアケース。慎重に準備を進めたうえで実現にこぎつけたものです。今後も、地域や利用客から反対の声が上がったら即中止になる可能性もあります」
話が終わると、「せっかくだから赤羽の街をご案内しますよ」と杉山さん。お会計の際にママにもご挨拶した。
ちなみに、宮本さんは端の席に好んで座っていたそうだ。
「とはいえ、私は『よくいらっしゃる方』としか思っていなくて、後からファンの方に聞いてびっくりしました。お会いすることがあったらくれぐれもよろしくお伝えください。本当に感謝しているので」
僕は宮本さんに3回インタビューしているが、当面はお会いする予定がない。しかし、ママの思い、心にしかと刻みつけましたよ。
土地の権利関係が複雑なので再開発を免れた
杉山さんと街に出た。「エレカシ歴は浅いんですが」と謙遜するものの、さすがにいろんな事情に詳しい。
「ここがエレカシのメンバーたちが楽器を買ったり練習したりしていた荒井楽器です。今はヤマハの教室になっていますが」
「すぐ近くに赤羽会館があって、そこのステージにも出ていたと聞きました」
東口の駅前に戻ってきた。有名な飲み屋街、「一番街」の入り口には発車メロディーに採用されたことを祝う横断幕が掲げられている。
「東口一帯は戦後は闇市で、闇米や闇物資を買い付けてここで売っていたんです。土地の権利関係が複雑すぎるので、バブルの時も再開発を免れて今に至ります」
「今通った『まるますや』っていう有名なうなぎ屋の社長は、昔、すぐそこの赤羽小学校のPTA会長をやっていました。そういう歴史があるから、130何年の歴史がある小学校の目の前で飲食店が営業できるんですよ」
宮本さんが生まれ育った赤羽台団地へ
発車メロディープロジェクトには先述した漫画家の清野とおるさんも協力してくれた。
「清野さんの漫画のヒットは赤羽にとって大きな後押しになりました。彼もかなりのエレカシファンなので、5種類のポスターを描いてもらったんです」
続いて、赤羽観光PRコーナーがある「赤羽エコー広場館」へ。スタッフの女性に赤羽の魅力を聞いてみた。
「ごちゃごちゃで何でもアリなところかしら。何をやっても怒られないし、古くからいる人も新しく来た人もすぐに仲良くなります」
「西口の方にも行ってみましょう」と杉山さん。西口には宮本さんが生まれ育った赤羽台団地がある。
赤羽台団地は昭和37年に住宅公団によって造成された。近くには外務省の官舎もあり、ここら一帯は文化的なエリアだったそうだ。
宮本青年が実家の部屋で火鉢に当たりながら、「全然訳もわかんないくせにニーチェとかそういうの読んじゃって」(本人談)いた団地である。
「ほら、星型のデザインでしょ。当時はかなりモダンな団地だったんですよ」
「すぐ横にURが続々とマンションを建てていて、そっちは3LDKで家賃は25万円ぐらいします。駅からも近いし、いわゆるブランドマンションですね」
エレカシ愛が深すぎる新星堂
さらに進むと、去年できたばかりの東洋大学情報連携学部キャンパスが見えてきた。
「ここには宮本さんも通った赤羽台中学があったんですが、2006年に統廃合でなくなっちゃいました」
この一帯には弥生時代から古墳時代にかけての集落跡があり、現在までに120軒ほどの住居跡が発見されているという。
やがて、崖線が現れた。
「ここは枝垂れ桜の並木道で、『桜の花、舞い上がる道を』のPVを撮影したスポットです」
坂を下ると弁天通りに出る。亀ヶ池弁天でエレカシの発車メロディーが永遠に続くことを祈願した。
次に案内された場所がすごかった。イトーヨーカドー6階のCDショップ、新星堂だ。
「この店には熱狂的なエレカシファンの女性スタッフがいて、エレカシに関してはたぶん日本一の展開だと思います」
残念ながら当のご本人には会えなかったが、このエレカシ愛はすごい。
「赤水門」は赤羽のシンボル的存在
「最後に見てほしいものがあるんですよ」と言う杉山さんの運転で荒川へ向かう。走り出すや否や、カーオーディオから「今宵の月のように」が流れる。
車中では杉山さんの音楽遍歴の原点を聞いた。
「若い頃は周りでクイーン好きとイエス好きが争っていたけど、邦楽ではフォークの全盛期。僕はフォーク派でした。でも、今はエレカシが沁みますね」
着いたのは荒川。「今宵の月のように」のPVの一部はここの土手で撮影された。さらに、通称「赤水門」「青水門」と呼ばれている2基の水門もある。
大正13年に完成し、現在は運用を終了している赤水門は歴史的建造物として残されている。
「赤水門は赤羽のシンボル的存在なんですよ。子供の頃はこの水辺でアメリカザリガニやカナヘビを捕まえていました。僕と同世代だから宮本さんもよく来ていたはず」
宮本さんが赤水門を眺める構図は今回のポスターにも採用されている。
大満足の赤羽エレカシツアーでした
エレカシの曲が発車メロディーとして採用された経緯を聞けたうえに、図らずもゆかりのスポットをたっぷりと案内してもらえた。僕のエレカシ愛が伝わったがための厚遇だったのだろうか。
思えば19歳の頃、レンタルCD屋で“ジャケ借り”した4枚目のアルバム『生活』がエレカシとの出会いだ。以来、一番好きなバンドを聞かれた際は「エレカシ」と答え続けている。
時は流れて時は流れてもうりっぱな大人さ。俺たちの明日は今宵の月のように輝くことだろう。
<取材協力>
一般社団法人東京北区観光協会
http://prkita.jp