
13種のおにぎりパッケージを分析
今回はローソン、ファミリーマート、セブンイレブン、NewDaysの4つのコンビニでおにぎりを揃えた。

各コンビニのおにぎりラインナップは次の通り。




これらのおにぎりから高いおにぎりパッケージメソッドを探っていこう。
写真、色味、文字情報にこだわる
最初に目につくのはやはり具材の写真だ。
一般的なコンビニおにぎりは具材の名前が文字で書かれているだけだが、高級路線のおにぎりには確実にシズル感のある具材の写真が使われている。


なにはともあれシズル感のある写真を使うことが高いおにぎりのパッケージに近づく第1歩であろう。
次に色味に注目してみると、共通して使われているのは金色だ。金色=高級感という安易さもまた過剰な豪華さには欠かせない要素である。

ただもう少し踏み込んで見てみると、ただ金色を使うだけでなく補色的に暗い色も使うと全体が引き締まり、より高級感が出てくるようだ。

金と黒といえば屏風や蒔絵など日本の伝統的な品によく使われる配色だ。私たちは知らず知らずのうちにファミリーマートのおにぎりに日本の伝統を感じていたのかもしれない。
もう一つの大事な要素として文字情報がある。改めてパッケージを見てみるとやたらと文字が多い。

どうやら作る工程や使われている具材を詳細に伝えるのが良いらしい。また「丁寧に」「風味良く」「じっくり」などぼやっとした修飾語をたくさん使うテクニックも「なんかすごそう」に見せるために各社多用している。


「●っ●●」という言葉は使い勝手が良いようだ。「ぽっくりと苦しまずに旅だった豚の肉をふんだんに使い~」とかかな。
情報をたくさん盛り込むというメソッドにも通じるが、文字情報でいうと産地表記も欠かせない。産地をしっかり書くことで具材のバックグラウンドが見えてきて消費者に安心感を与えられる。


海苔や塩の産地を誰が気にしているのだろうと思わなくもないが、そんなことは関係ない。売り手側が書きたいから書くだけだ。
というわけで13種のおにぎりを分析し、高いおにぎりのパッケージを実現する4つのメソッドが得られた。このメソッドを使って普通のおにぎりも過剰に豪華なパッケージにしていきたい。

豪華にして分かる普通の良さ
それでは普通のおにぎりであるファミリーマートの明太子マヨネーズを過剰な豪華さに仕上げていこう。「普通の」と言っても改良は重ねられており、商品名は変わらずともマイナーチェンジが繰り返されている。個人的にこの明太子マヨネーズが大好きなので変化には敏感に気が付くのだが、改良されるたびに「このひと握りの中にまだ改善の余地があったのか」と驚かされている。

冒頭にも写真を載せてしまったが、いきなり仕上がりをご覧いただこう。

税込125円で売られていたのが不憫になるくらいの豪華さが出た。
でもどうしても「過剰な」と言いたくなってしまう豪華さであることは間違いない。バブリーがすぎるのだ。コンビニのおにぎりが全てこれだったら手を出しづらくなってしまうので、やっぱり普通のおにぎりはこれからも並んでいてほしい。
せっかくなので、細かく説明していきたい。
まずは一番大事な具材の写真だ。通常のパッケージには申し訳程度に明太子マヨネーズの画像が載せられているが、シズル感はあまり感じられない。ということであれば明太子マヨネーズの撮影もしなければいけない。

豪華さの象徴ともいえる金色については印刷では上手く光沢が表現できないおそれがあるため、金色の用紙を調達し、これをパッケージにあしらった。

また文字情報としては、ファミリーマート公式サイト内の商品紹介ページに載っている「明太子本来の美味しさを向上させました。明太子の粒々食感をアップさせながらもジューシー感のある仕立てです。」という一文をベースに修飾語をプラスしていった。


以上のように4つの高いおにぎりのパッケージメソッドを駆使することで、普通のおにぎりでも過剰な豪華さが演出できた。
高いおにぎりのパッケージメソッドは万能
普通のおにぎりを豪華にしてみたが、このメソッドは別におにぎりだけに当てはまるものではないだろう。というわけで、その他のコンビニ商品についても過剰な豪華さをまとってもらった。
まずはコンビニのヒット商品であるサラダチキン。


そういえばライザップも黒地に金色を使っている。そして過剰とも思える演出が話題になっている。黒と金の組み合わせは過剰になりがちなのかもしれない。
可愛らしさ推しのからあげクンはどうだろうか。


ここまで色々やってきたが、よく考えたら高いおにぎりのパッケージでは具材ばかりに焦点を当てており、そもそも「おにぎり」だということは全然訴求していない。全く日本のコンビニを知らない人が見たら、中身も見えないしこれはなんだということにならないのだろうか。
それは逆に、こういうパッケージだからおにぎりだと思っているといつか痛い目に合うということでもある。


