特集 2018年9月3日

思い出の膳所(ZEZE)をZOZOスーツで歩く

父は「ときめき坂」と名付けたのか

VANVA 1、小学校を通り過ぎてまだ坂を下っていくと、突き当たるのがここ、西武大津。僕らの時代だと滋賀県内唯一の百貨店だったのだ(今は隣の草津市に近鉄百貨店もある)。
なんでこんな地方都市に西武があるのかというと、西武グループ創業家の堤一族が滋賀県出身だから。この近くにはプリンスホテルも建ってるぞ。
西武の文房具売り場も、確実に走馬燈に出るレベルで通い詰めてた。
西武の文房具売り場も、確実に走馬燈に出るレベルで通い詰めてた。
西武大津の6階にあった文房具売り場は、きだて少年が後に文房具ライターきだてになるきっかけとなったスポットのひとつである。
放課後から夜になるまでの間、この近隣の文房具屋では見ないような高級文具や、ラジオ付きボールペン・計算機付きボールペンなど変なガジェット群をキラキラした目で見つめていたのだ。
今思うと、さぞ売り場の店員さんも不気味な思いをしていたことだろう。

いま中はどうなっているのか見てみたかったのだが、さすがにZOZOスーツ着たままだと怒られそうなので、今回はやめた。
大人になってもまだ不気味がられていては世話がない。
これが問題の「ときめき坂」の碑。
これが問題の「ときめき坂」の碑。
で、西武大津の手前に小さく目立たない碑があり、『ときめき坂』と刻まれている。
この周辺に住んでいる人もあまり知らない(気にしてない)と思うが、今回のスタート地点である膳所駅前から西武までのゆるい坂道は『ときめき坂』という名前なのだ。

ときめき坂て、キミ。ときめくのか。ほんとにときめくのか。
80年代という時代と地方のユルさを差し引いても、声に出して読むと頬が赤らむのを感じるぐらいだ。
(ときめき坂にときめいている皆さん、すいません。全て個人の感想です)

そして困ったことに、実はこの『ときめき坂』という名前をつけたのがうちの父親ではないか、という疑いがあるのだ。
ときめき坂と言われましても…という、ごく普通の生活路。かわいい「歯医者の歯」看板がややときめき要素か。
ときめき坂と言われましても…という、ごく普通の生活路。かわいい「歯医者の歯」看板がややときめき要素か。
VANVA 1の建設は地域一帯の開発プロジェクトの一環であり、その責任者である父が名付けた…という話を、中学に入った辺りで誰かから聞いたのだ。
設計事務所の共同経営者である叔父だったか、母親だったか。誰から…というのはハッキリしないが、「ときめき坂、そうらしいよ」と。

前のページで「VANVA 1を覚えているもうひとつの理由」などともったいぶって書いたのは、このことである。
多感すぎていろいろおかしなことになってる中学生時代。
多感すぎていろいろおかしなことになってる中学生時代。
中学生と言えば多感にもほどがある年頃だ。そんな時に自分の父親が、普段から生活路として使っているルートに『ときめき坂』というユルい名前をつけた張本人かもしれないと言われて、まっすぐに育つと思えるか。
実際、僕はその話を聞いたきっかけで、長い(中学時代まるまる)反抗期に突入した可能性すらある。
そして、膳所を離れ、遠く東京で暮らす今でも「ときめき坂、父の命名らしい」というのがひっかかっていたのだ。
父よ、あなたが名付けたのか。今こそ覚悟を決めて真相を問いたい。
父よ、あなたが名付けたのか。今こそ覚悟を決めて真相を問いたい。
しかし、あれから何十年と経ち、今や僕自身が当時の父の年齢をはるかに過ぎている。多少のショックでも受け止められるだけの落ち着きは出ているはずだ。
そして、その分だけ父親も老いた。今後、親子ふたりで膳所をそぞろ歩くなんて機会はもう無いかもしれない。
確かめるなら、今しかないのではないか。

き「あのな、聞きたいことあるねんけど」
父「うん?」
き「この『ときめき坂』って、お父さんが名付けたって聞いたんやけど…」
父「いやー、たしか俺ではないなぁ。誰が付けたかは覚えてへんけど」

おおお、マジか。いともあっさりと、30年以上ずっと心の中でくすぶってきた疑念が晴れてしまった。
こんなことならもっと早く訊いておけばよかったのだが、その度胸が無かったのだ。

き「そうか。実は『ときめき坂』ってなんか恥ずかしいなって思っててん。違うなら良かったわ」

父「ふーん、そうか」

そんなこと思ってたのか、というふうに父は頷いた。
そんなことを思ってたんだよ、と僕も頷いた。
話に関係ないけど、歩きながら見つけた滋賀県名物、交通安全の飛び出し坊や「とび太くん」ジェネリック版。当時からこういうのが生活圏内にいっぱいあった。
話に関係ないけど、歩きながら見つけた滋賀県名物、交通安全の飛び出し坊や「とび太くん」ジェネリック版。当時からこういうのが生活圏内にいっぱいあった。
その後は、かつて住んでいた団地を訪れて、その頃に仲良くしていたご近所家族がいまどうしてるのか、という話をしたり、昔に家族で行ったそば屋の前で「まだ続いてるんやな」「でも今日は定休日っぽいな」「開いてたら食べたかったな」みたいな、どうでもいい会話をした。
膳所時代に住んでいた団地の前で記念撮影。階段とか芝生の土手とか、全部が懐かしい。
膳所時代に住んでいた団地の前で記念撮影。階段とか芝生の土手とか、全部が懐かしい。
団地の庭で父が撮ってくれた(と思われる)写真。おまえ、何十年か後にここに全身タイツ姿で帰ってくるぞ。
団地の庭で父が撮ってくれた(と思われる)写真。おまえ、何十年か後にここに全身タイツ姿で帰ってくるぞ。
これが2018年の夏、45歳の僕と73歳の父の膳所散歩の顛末である。
猛暑の中をずっとピチピチのZOZOスーツを着て汗だくになってた以外は、まぁちょっといい思い出になった夏の一日だった。
いや、それがやりたいがために始めたんだけど。

今回意外だったのは、父親に「記事に出てくれ」と頼んだとき、とくに何も言わずに受けてくれたことだった。
そういうのに出るのを嫌うシャイな人だし、あまりふざけたことに付き合ってくれるタイプでもないと思っていたのだ。
場合によっては、膳所駅で息子がZOZOスーツに着替えだした段階でNG出るかもとも危惧していたぐらい。
それが「そういう仕事なんやな」の一言で受け止めてくれたのがありがたかった。
「ときめき坂」命名の疑惑も晴れ、今後ちょっと父との付き合い方も変わるかもな、と考えた次第である。
もし父親が「記事に出たくない」と言い出した時のために様子しておいたジジ担当。使わずに済んだ。
もし父親が「記事に出たくない」と言い出した時のために様子しておいたジジ担当。使わずに済んだ。
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