人家もなければ道すらない? 秘境の駅
徳島県の西部、深い山の中にポツンと存在する駅がある。名前を「坪尻駅」という。駅のまわりに何もなさすぎる、いわゆる秘境駅として名高い場所だ。
場所はこのへん
単なる田舎の無人駅とあなどるなかれ。「秘境」というにはわけがある。
駅から見えるのは、ただひたすらに山
ホームを挟み込むように山が迫っており、当然ながら人家は一軒もない
山の上から俯瞰すると、駅のロケーションがよく分かる。線路脇に見える小屋みたいなのが駅舎で、左上にわずかに見えているのが最寄りの集落だ
集落まではかなりの高低差があるものの、車で到達することは不可能。地図を見ても、まわりに道はなく孤立している
駅へ通じるのは、地図に載ってない、うっそうと草木が生い茂った獣道のみである
駅の貼り紙によると、緊急避難場所までの距離は10km、約2時間もかかるらしい……
駅前には何もない。「店がない」というレベルではなく、純粋に駅設備以外の構造物が何もないのだ
そんな坪尻駅の時刻表がこれ。上り下りで一日7本。普通列車もほとんどが通過してしまうため、綿密な計画を立てないと列車で駅に来ることもできない
この通り、度を超して何もない駅なのである。
こういった駅は、愛好家の間で「秘境駅」と呼ばれている。都会の喧噪から離れ……というか離れすぎていて、駅として存在するのが奇跡のような場所。でもこんなところにも人間の営みはあって、列車はちゃんと時刻表通りにやってくる。
次の列車が来るまでの数時間、誰もいない駅でボーッとするのはとても贅沢な行為である。私も「
JR全線乗りつぶし」を目指して全国を巡っていたとき、各地の秘境駅を訪れては、自然に身を任せてボーッとするのを楽しんでいた。
ひとけのない待合室で、駅ノート(訪問者がコメントを残していくノート)などを見ながら過ごす時間も楽しい
ちなみに、秘境駅を世に広めた牛山隆信さんの「
秘境駅ランキング」によると、坪尻駅は堂々の第6位(2018年現在)。上位はほぼ陸の孤島のような場所ばかりなので、そのなかで6位に食い込めるのは相当の秘境度である。
坪尻駅を通学に使っていた山下さん
私がこの駅を訪問するのは、実は4回目になる(好きなのだ)。ただ毎回のように「何もないな~」って確認して、ボーッとしたあと帰っているだけなので、特に新しい発見がない。
そこで今回は、駅に精通した方に周辺を案内してもうことにした。
駅で出迎えてくれたこの方が、山下啓司さん。なんと幼稚園から中学校まで、10年にわたり坪尻駅を通学に使っていたという。帰省のタイミングで案内してもらえることになった
「今日ここまで来るのが、なかなか大変でした。7月の大雨で、実家から駅に向かう途中の道が陥没してて。他の道も結構通れなくなってましたね」
そういって見せてくれた写真には、ぽっかり空いた大穴が。平成30年7月豪雨の影響がこんなところにも。というか大ごとじゃないですか、これ
山下さんのご実家は、坪尻駅から山道を2kmほど登った先にある。
一見すると出口がなさそうな駅周辺には、まわりの集落へと続く山道が4本ある。ただ今回通ってくる予定だった道は途中で陥没。ほかの道も通行困難になっており、後で紹介する国道に続く「道(4)」だけが、なんとか通れる状態だったという。
今回散策する駅の周辺マップ。四方に4本の道がある(あった)ものの、ほとんどは通行困難となっている
もはや「駅に近づくな」という見えない力が働いているようにも感じる。こんな状況だと、ご実家のあたりも大変なことになってるんじゃなかろうか。
「自分の家の辺りは、基本すべて舗装されてますね。車さえあれば買い物にも行けるし、特に問題はないかな」
聞くと家のまわりは普通で、「駅に向かう道だけが獣道」という状況らしい。こんな状況で駅を使う人はまずいなくて、駅に近づけないので利用者がいない → 人が通らないので道が荒れる → 道がないので駅に近づけない……という負の連鎖が発生。駅はどんどん孤立を極めている、という理解でよさそうだ。
やがて私が乗ってきた列車が出発すると、あたりは静寂に包まれた
と思ったら、奥で停車したのち
戻ってきた。そう、ここはスイッチバックの駅なのだ。ただこれは本編とは関係ないので省略する
道(1)と、朽ちた看板
ここまで読んで分かる通り、駅周辺には何もない。なので地元の方に案内してもらうと言っても、名勝地やグルメ情報なんてものがあるはずもなく……「実はここに道がありましてね……」という、かなり基礎的な周辺情報を聞くのがメインになる。
「杖があるので、これを持って行った方がいいですね」
駅舎の中には、思いやりの傘ならぬ、思いやりの杖が置かれていた
「これが駅前通りですからね。なーんにもないですよ」
駅舎を出ると、目に入る人工物が激減した。しいて特徴をあげるとすれば……砂利が敷かれている。この日はあいにくの雨だったので、砂利のありがたさが身にしみる。なにせ、ここ以外は草ボーボーの未舗装道路ばかりなのである。
さて駅を出ると目の前は山ということで、ここで右に行くか、左に行くかという二択を強いられる。まずは右の道へ入ることにした。マムシ注意の看板がおそろしい。
「マムシはまだ見たことないですね。何年か前にイノシシは見たんですよ。あとは怪我したフクロウもいました」
そういって、ずんずん進んで行く山下さん
すぐに、うっそうとした茂みに阻まれた。駅を出て30秒でこの景色である
「一応ここは道なんです。しかし厳しいな。最初ここから来ようと思ってたんですけど」
この道をずっと行くと、山の上の集落に通じているという。そこから山下さんの実家の方へ向かおうとすると、先ほどの陥没した道路にたどり着くらしい。言われないと、これが道だとは分からない。
「元は看板が立ってたんですよ、『木ヤ床(先にある集落の名前)』って書いてあって。もう朽ち果ててますね」
道というものは、人が通るところにできる。踏み出せばそこが道となるのだ。
それとは逆に、人が通らないところは徐々に道ではなくなっていく。坪尻駅を右に入ったこの道も、これから長い時間をかけて自然へと帰っていくのだろうか。
余談だが、鉄道紀行漫画『鉄子の旅』では、2巻の最後でこの坪尻駅を訪れている。そこでは駅から出てきたおじいさんが、まさにこの道を通って山へ帰っていく様子(実話)が描かれていた。漫画が描かれたのは2004年。あれから14年……過ぎ去った年月に、つい思いを馳せてしまう。
同級生との思い出がある、道(2)
これ以上進んでも雨露に濡れるだけだということで、駅前に戻ってきた。
次は駅を出て左の道へと進む
すると踏切……というか、手で押し開ける遮断棒があった
「止まれ見よ」のところに列車の通過時刻が貼り出されているので、列車が来ないことを確認して渡るのだ。もちろん列車接近のアナウンスなんてなく、いきなり特急が高速で通過していくので気が抜けない
踏切を渡って右手のところで、「あっち側ですね」と草むらを指してくれた。この棒の示す先に、かつて道のようなものがあったという
「僕の友だちは、向こう側の線路の脇を通って家に帰ってました。実は僕も、その道は通ったことがなくて」
道……というか、もはや道は存在しないのだが、たしかにそこに道らしきものがあって、先の集落へと続いていたらしい。それが長い年月を経て、やはり道ではなくなっていた。
「放課後に同級生と駅で遊んだあと、彼はそっちの道に、僕は後ろの山の方に別れて帰ったんです」
この話を聞いてハッとした。何にもないと思っていた坪尻駅は、子どもたちの遊び場であり、帰り道だった。何気ない日常がそこにあったのだ。
今では全く想像できないけど、当時(1980年前後)はこの駅を毎日使っていた同世代が何人かいたらしい。
「でも通学に使ってたのは、僕の世代が最後なんです。弟が本当の最後で、そのあとはもう下の年代がいなかったですね」
山下さんが小学生だったころ、NHKで放送されたという坪尻駅の番組を見せてもらった。何を隠そう、ここに映っている子どもが山下さんらしい(NHK・ふるさとのアルバム『スイッチバックのある駅』より)
当時は野菜を売りに行く行商の人も多かったという。駅の様子は、いまと全く変わってない(NHK・ふるさとのアルバム『スイッチバックのある駅』より)
実に幼稚園の頃から、この駅を使っていたという山下さん。実際の通学はどんな感じだったのだろうか。その話を聞く前に、次の道へと移動しよう。
道(3)は、かつての通学路
つぎの道は、踏切を渡って左へ折れたところにある。
「いちおう通れるには通れて、向こう側からは『坪尻駅まで1.6km』っていう看板は出てるんですけど」
線路の脇に、奥へと続く道があった。2本目の道と比べると柵もあって、まだ道らしさが残っているが……
ここも7月の豪雨で崩れている可能性が高いらしい。崖のような箇所がいくつもあって、足場が悪いうちは近づかない方がいいとのこと。
代わりに、私が2005年に訪問したときの写真で紹介しよう。季節は冬だったため、いまみたいに草は生えてなくて、まだ入りやすい見た目をしていた
線路脇を奥に進んで行くと右に折れる道があって
あとはもうずっと、登山道みたいな緩やかな上り坂が続いている
駅方面からここに入ると、どこに出るのか予想がつかない。もちろん一般の地図には載ってなくて、現地にも一切の案内はない。当時はスマホもなかったので、さすがに危険を感じて10分ほど進んだ箇所で引き返した記憶がある。目的地の見えない登山ほど不安なものはなかった。
しかし聞いてみると、なんとここが山下さんの通学路だったというのだ。
「ここから家まで2km近い山道で、今だと20分くらいだけど、当時は30分くらいかかったかな。幼稚園の頃からこの道で駅まで通ってました」
途中には道幅が狭く、踏み外すと崖から落ちてしまうような箇所も多い。特に冬の帰り道には漆黒の闇のなか、懐中電灯を片手に毎日帰宅していたという。もちろん街灯なんてないのだ
「年に2回くらい雪が30cmほど積もることがあって、そうなったら学校は休みです。通れないので、親たちが雪かきをして駅まで道を通してました。土砂崩れも結構あって、待ってれば復旧するんですけど、最初のうちは自分たちで何とか道を作って通ってましたね」
さらっと自身の体験を語ってくれる山下さん。街中で育った身としては、かなりのエクストリーム通学に思えてしまう。しかも道の先にあるのは、学校ではなくて駅である。数少ない列車に乗り遅れないよう、時間も気にしながら歩かないといけない。険しすぎる道のりだ……。
「落ちたらもうダメかな、という感じのところばっかりですね。倒木があったり水量多いとさすがに怖かったです」
一瞬たりとも気が抜けない通学路を、実に10年間も通いきったのだ。かつて私が迷いこんでいた山道は、山下さんの通学の歴史そのものであった。
国道へ通じる、道(4)
最後に案内してもらったのは、坪尻駅周辺で一番メジャーな道こと、国道へ通じる道。いろんなブログで紹介されているので、駅を訪問した人のほとんどはこの道を往復することになるだろう。そのおかげか、比較的歩きやすいのが特徴。人が通るところに道はできるのだ。
踏切を渡ってまっすぐ行く道が、最後に残った4本目の道。不気味な廃屋が目印になる
「この廃屋は、僕が通学してた頃から廃屋だったんで……。もうずっと廃屋ですね」
かなり年季の入った廃屋である。もとは商店だったというが、1963年に強盗が入って以来そのままらしい。こんな場所に商店? しかも強盗? いまでは想像もできないけれど、この駅が賑わっていた風景がかつてあったのだ。
歴史をさかのぼると、坪尻駅ができたのは1929年、当時は列車行き違いのために設けられた信号所だった。それが地元の強い要望で1950年に駅へと昇格。当時は駅員も10人近く、利用客も一日100人ほどいたらしい。
山下さんが利用していたのは、それからさらに30年経った1980年前後。その頃にはだいぶ利用者は減り、特に子どもがいなくなって、だんだんと周辺集落の人口減少が加速していったという。そして、いまの状況につながるのだ。
駅の方を振り返ると、まだ朝方なのに奇妙なほど薄暗い。廃屋の雰囲気も相まって、ここだけオカルティックな雰囲気が漂う
もう言わずもがな、国道まではこのような山道を20分ほど登る必要がある
登っている間に、また当時の話を聞いてみたい。
「列車は基本通学に合わせた時間に走ってたんですけど、中学校の時は始発でもホームルームに間に合わなかったです。必ず遅刻してました」
今ほど本数が少ないわけではなかったそうだが、一本でも乗り逃すと次がない状態には変わりがない。
「乗れなかったときが大変で、またあの山道を家まで戻るんですね、20~30分かけて。それで親の車で送ってもらったりしました。それが本当に大変で」
山下さんはさすが歩き慣れているだけあって、スタスタと山を登っていく。一方の私は、汗だらだらで大変な状態に。ここと同じような道を毎日往復1時間弱、雨の日も風の日も、通学のために歩いていたのだ。改めてそのすごさを思い知る。
ちなみに夏は虫、草、暑さが大敵なので、訪問する方は覚悟を。雨の場合、足はもれなくビチャビチャになる(なった)。
「車で訪問する人はこの道を目指して来ますけど、途中で迷って、僕の家に聞きに来たりしますね。多いときは、一日2人とか来ます」
「通学してたころ、山の上で飼ってた豚が脱走してきたんです。そのあと線路で轢かれて、真っ二つになってしまって……」
しかし目の前の景色に現実感がない。杖を振り、山下さんの背中を見ながら、真っ二つになった豚の話を聞きつつ歩いていると、なんだか急にRPGじみてきた。
でもここはれっきとした駅前であり、私は単に駅から国道に向かって歩いているだけなのだ。渋谷でいえば、道玄坂を上っているくらいの距離感である。
「そろそろ国道が近づいてきましたね」
皮肉なことに、国道の目印は不法投棄のゴミである。さすがに下までは捨てに来られないので、ちょっと山を降りたところに捨てていくらしい。
ちなみにこの冷蔵庫は、10年前にもこの場所にあった。滑り落ちそうで危険なので、やはり大雨のあとなどは通らない方がいいだろう。
やがて自動車の音が大きく聞こえるようになってくると……
ついに最寄りの国道へと到着! 舗装道路が見えただけで、こんなにもうれしいなんて
国道側から見ると、駅へと降りていく道はこのわずかな切れ込みである。看板は出ているものの、知らなければとても駅へ通じる道には見えない
そして展望台へ
国道からさらに上っていくと、坪尻駅周辺唯一の観光地と言っても過言ではない展望台がある。去年できたばかりらしく、私も今回初めて訪れた。
「このあたりから駅を撮影しようと身を乗り出して、崖から転落した人がいたらしいんです。なので展望台を整備したとかで」
さらっと恐ろしい話を聞いてしまった。よく見ると看板にも詳細が書かれていた。ちなみに「落(おち)」というのは集落の名前らしい
展望台から見えるのが、冒頭で紹介した駅の俯瞰である。上から見ると、駅周辺の険しさがよく分かる。体力があるならば、ぜひとも訪れたい絶景スポットだ! って、ようやく観光案内っぽい台詞が言えたぞ
ここでお世話になった山下さんとは別れ、私はひとり駅へと戻ることに。
上りに比べれば、下りはいくぶん楽である。とはいえ雨の山道なので油断はできない。一歩ずつ踏みしめながら歩く
この日は天気が悪く、山を降りている途中で雨が本降りになってきた。しーんと静まりかえった駅周辺に、雨音だけが響き渡る
坪尻は何にもない秘境の駅だ。案内してもらう対象も、駅周辺の道くらいしかない。でもこうして道を教えてもらいながら話を聞いてみると、かつて確かに存在していた生活の記憶が浮き上がってきた。
人で賑わっている坪尻駅を、もうこの目で見ることは叶わないかもしれない。でも過去を知ることで、いま見えているものとは別レイヤーの視点が手に入る。そうすると、この「何にもなさ」が、奥行きを持って感じられるようになった。
味わい深い何もなさ。何もない、ということがある。だんだん禅問答みたいになってきた。とにかく、この何もない駅は昔からずっと四国の山間にあって、いまも静かに訪問者を待っている。また近いうちに訪れよう。
道案内してもらったキッカケ
ところで、今回なぜ山下さんに案内してもらえることになったのか。話は2004年にまでさかのぼる。
当時、私はひとりで坪尻駅を訪問し、その様子を
ブログで公開していた。そこにコメントを下さったのが、何を隠そう山下さんだったのだ。
この書き込みからもうすぐ14年――まさか実際にお会いして、こうして記事にすることができるとは。ありがとうございました