特集 2018年5月7日

料理の大事な材料ぜんぶ抜く

料理に大事なものはどこまで抜いてもいいのか。全部か。
料理に大事なものはどこまで抜いてもいいのか。全部か。
昨年からテレビ東京系で放映中の人気番組『池の水ぜんぶ抜く』が好きだ。

ため池などから溜まってる水を全部抜いたらなにが出てくるか?という内容も面白いのだが、なによりもそのスタイルの力強さが好きなのである。

だって池にとって最も大事な要素は「水」だろう。それを「ぜんぶ抜く」ことで、ひとまず池そのものを全否定するという。クールすぎないか、池の全否定。

あまりにもそのスタイルがかっこいいので、ちょっと真似したくなったのだ。

手近なところで、料理のレシピから大事な材料をぜんぶ抜いてみた。
1973年京都生まれ。色物文具愛好家、文具ライター。小学生の頃、勉強も運動も見た目も普通の人間がクラスでちやほやされるにはどうすれば良いかを考え抜いた結果「面白い文具を自慢する」という結論に辿り着き、そのまま今に至る。

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餃子の野菜ぜんぶ抜く

まずはみんな大好き「餃子」から大事なものを抜いてみよう。

餃子にとって大事なものはなにか?とレシピを見て気付いたのは、「肉じゃない」ということ。

例えば冷凍餃子などの成分表示を見ると、まず一番に書かれているのは白菜・キャベツといった野菜である。つまり、餃子に最も含まれていて、最も大事なのは野菜なのだ。
子供に「餃子の材料買って来て」とラフなお使いを頼んだ結果みたいな。
子供に「餃子の材料買って来て」とラフなお使いを頼んだ結果みたいな。
野菜を抜いた結果残されたメイン材料は、豚挽肉と餃子の皮。

これが池における在来種みたいなものである。よく分からないが。
こねる前から明らかに材料が足りてない。不安。
こねる前から明らかに材料が足りてない。不安。
野菜をぜんぶ抜く以外は同じ手順ということで、ニンニクやその他調味料は普通に入れて、挽肉に粘りが出るまでこねまくる。

この時点で、早くも「普段、餃子を作ってる風景」といま目に見えているビジュアルに大きな乖離が生じていて、不安。

番組の『池の水ぜんぶ抜く』でも、本来池が満々とたたえているべき水が無くなった時に「え、これ大丈夫なん?」と不安な感じがするのだが、そこのところは料理も同じ。抜くと不安、は全てに共通する真理なのかもしれない。
こねた肉を皮に包んで、あとは焼くだけ。簡単過ぎて怖い。
こねた肉を皮に包んで、あとは焼くだけ。簡単過ぎて怖い。
あと、いつも餃子を作る時は大量に白菜やキャベツ,ニラを刻んで水気を絞って…という面倒な作業があるのだが、そこを完全に抜いているため、調理が簡単すぎる。

普段餃子を作るとここまで1時間ぐらいかかるのに、野菜を抜くことで、包むまでの工程わずか5分。

あとはもうフライパンで蒸し焼きにしたら、野菜ぜんぶ抜いた餃子の完成だ。

ナポリタンのケチャップぜんぶ抜く

続いては、ナポリタンから大事なものをぜんぶ抜いてみようと思う。

ただ、先の餃子の要領で分量的に最も多いものを抜いてしまうと、間違いなくパスタ抜きの、ケチャップ炒めになってしまう。
全て満たされているように見えて、実は大事なものが欠けている図。人生訓的な匂いすらしてくる。単にケチャップが無いだけなのに。
全て満たされているように見えて、実は大事なものが欠けている図。人生訓的な匂いすらしてくる。単にケチャップが無いだけなのに。
そこでさらに考えを進めよう。

パスタを抜いたらケチャップ炒めになるということは、つまり、ケチャップこそが重要なのではないか。

ナポリタンという概念にとって、ケチャップこそが池の水なのだ。
ナポリタンの材料とパスタを炒めてるけど、白い。いいのか、という気分になる。
ナポリタンの材料とパスタを炒めてるけど、白い。いいのか、という気分になる。
以前に料理漫画で「ナポリタンを作る時はまずフライパンでケチャップを煮詰めるのがコツ」というのを読んで以来、忠実にそこは守っていたのだが、その分の手間は無し。餃子ほどの簡略化はないが、でも、やや簡単にはなっている。

あと、ケチャップ抜きの分だけ塩・胡椒を強めに振っておいた。

最初から味が無くてマズいと分かっている料理を作るのは本意ではない。単に「抜いたらどう違うものになるか」が知りたいだけなのだ。

ハンバーグの肉ぜんぶ抜く

ここまでの2つはまだ「不安だけど、でも、ぜんぶ抜いてもギリなんとかなるんじゃないか」という、やや余裕があったと思う。

もっと思い切った、構造的に抜くの無理だろ、ぐらいのやつも抜いてみたい。
付け合わせのトマトやブロッコリーまであるのに、肉がない。そして真ん中にパン粉。この光景を素直に感情表現するなら「悲しい」だ。
付け合わせのトマトやブロッコリーまであるのに、肉がない。そして真ん中にパン粉。この光景を素直に感情表現するなら「悲しい」だ。
ということで用意したのが、上記のハンバーグの材料である。

そう。挽肉がない。つまり「ハンバーグの肉ぜんぶ抜く」である。

ここまで来るとさすがに完成形が見えない。
本来の挽肉の分量をすべてつなぎのパン粉に置き換えてみた。グラムにするとパン粉約150g。
本来の挽肉の分量をすべてつなぎのパン粉に置き換えてみた。グラムにするとパン粉約150g。
挽肉と言えばハンバーグを構成するほぼ全てであり、絶対構成因子だ。

しかしハンバーグにはまだ強い味方がいる。つなぎの部分だ。

ハンバーグのつなぎとして使うパン粉を挽肉の分まるまる置き換えてしまうことで、肉を抜くことは可能なのではないか。
する必要はないだろう、と思いつつも、こねたタネを手のひらに叩きつけて中の空気を抜く。でもこれパン粉なんだ。
する必要はないだろう、と思いつつも、こねたタネを手のひらに叩きつけて中の空気を抜く。でもこれパン粉なんだ。
大量のパン粉に炒めたタマネギと卵を加え、さらに塩・胡椒・ナツメグで味付けしながらよくこねる。水分が足りないので牛乳も少し足してみた。その水分がパン粉全体に行き渡るように、しっかりとこね続ける。

ここまでくると、物足りなさとか不安感を通り越して、もはや虚ろだ。

肉をぜんぶ抜いたハンバーグを作る作業は、虚無なのだ。こねて肉が手にへばりついてくる感触もないし、肉の脂でベトベトになることもない。ただパン粉とタマネギの固まりをこねてハンバーグの形にしただけだ。むなしい。

ところが、フライパンで焼き始めると状況は一転する。
フライパン上で急激に増すハンバーグ感。たぶんパン粉とタマネギにも、自分たちに今なにが起きているか分かってないと思う。
フライパン上で急激に増すハンバーグ感。たぶんパン粉とタマネギにも、自分たちに今なにが起きているか分かってないと思う。
写真を見て判断していただきたいのだが、どうだろう。これ、もしかしてハンバーグかもしれない。

焼くのにバターを使ったために動物性の香りも加わり、タマネギがやや焦げた香ばしさもあり、えー、つまり要するにこれはうっかりするとハンバーグなのだ。

肉抜いてみたけど、うーん、ハンバーグなのか。
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