サイン会で書くサインがない
実は、これまでにも何冊か書籍(全部、文房具関連)を出させてもらっており、恥ずかしながら「サインください」と言われたことも無くはない。
で、その際はごく普通に、自分の名前をそのまま書いていた。
自分の中の自意識が「サインとかかっこつけて書くほどの者か、お前が」と常に囁きかけてくるからだ。
去年出た本(ライター西村さん他との共著)にいれたサイン。名前書いただけ。
しかし、だ。その反面で、そういう自意識過剰みたいなのからそろそろ脱却して、恥ずかしげも無くガツンとしたサインを書いてみたい!という欲望もある。
となると、サインを新しく作るということになるのだが、そもそもサインってどういうふうにしたらいいのかが分からない。
こんな場合はもう何も考えずに外注に出すのが手っ取り早いのだ。
ありがたいことに、サインを書き慣れていて、さらにこういうの考えるのが得意そうな人が身内にいる。
なんでも付き合ってくれるので、こういう人が身近にいると超便利。
昨年は
爆破結婚写真にもつきあってくれた、うちの奥さんこと漫画家の栗原まもる先生である。
僕の中では、漫画家というのは芸能人と並んでサイン書き慣れてる職業ツートップ。サイン考えるのもお手の物なのではないか。
さらに彼女は高校二年生で漫画家デビューした段階でサインを自作して、以降ずっと書き続けているベテランだ。
こちらの発注内容としては、
・文字がつながっていて流れるように書ける(考え得るサインらしさの要素)
・可愛らしさとコミカルさがある(自己演出)
・☆とか♡をいれない(恥ずかしさの限界値)
・シンプルで書き方を覚えやすい(忘れるとかっこわるそう)
という4点である。
以上を踏まえて栗原先生がササッと書いてくれたのが、これだ。
漫画家はサイン考える仕事じゃねぇぞ、と言いながらもサッと書いてくれた。ありがとうございます。
おっ、シンプルでいい。
これなら少なくとも書き方を忘れることは無さそうだ。きだての“て”の字を使って全体がつながってるのもサインっぽい。
可愛げがありすぎてやや気恥ずかしさは否めないが、自分で「サインっぽいサインを書く」と決めたのだから、もう後には引けない。
この、きだての“て”の字を読みやすく書くのがポイントだから、と解説中。
栗原先生からのアドバイスは「高さを出す」「"て"の字を分かりやすく意識する」の2つ。
特に“て”の字が読み取れるようにするというのがポイントとのことだ。
サインを練習するために、練習帳を作る
いよいよサインの練習を…となったら、まずするべきは「サイン練習帳づくり」だ。
漢字の書き取りだって漢字練習帳という専用ノートがあるわけだから、サインの書き取りだってちゃんと練習帳があるべきだろう。
なので、いろんな紙を1枚からでも売ってくれる平和紙業株式会社さんのショップ『ペーパーボイス東京』にお邪魔した。
個人が1枚単位でいろんな紙を買えるのがありがたいショップ。
書籍の表紙をめくって一枚目にある無地の色紙を「遊び紙」と言う。
サインは基本的に遊び紙にすることになるので、サイン練習帳の紙は遊び紙と同じものを使わないとでないとダメだろう、と考えたのだ。
単なるコピー用紙とかに書いていたのでは、本番とペンの滑りが違うとか、インクのかすれ具合が分からないといった問題がありそうだから。
本番と可能な限り同じ条件を揃えるからこそ、練習の意味があるのだ。
「サインの練習するのに、同じ紙でやりたくて…」と事情を説明したら、ペーパーボイス東京の人にガン引きされた。
ペーパーボイス東京で刷り上がったばかりの書籍現物を渡して、遊び紙にどの紙が使われているかを見てもらった。
「……うーん、これは『Mag-N』プレーンの横目で……94.5kですかね」
さすがプロは早い。即効で答えが出た。
横目というのは、紙の繊維が横(長方形の短辺に対して水平)に流れてるもの。繊維が縦方向なのは、もちろん縦目である。
あと、94.5kというのは紙の厚さ。印刷業界では、紙は一定のサイズ1000枚束ねた重さで厚さを表示するのだ。
つまりこの紙は1000枚で94.5kgということ。コピー用紙がだいたい70kぐらいなので、やや厚め。
文房具力を駆使して、製本作業にかかります。
ということで購入してきた『Mag-Nプレーンの横目、94.5k』を裁断機で書籍と同じ寸法にカットして、ゲージパンチという道具でリング綴じができるように穴を開ける。
最後にツイストリング(開閉可能なリングノート用リング)で綴じれば、サイン練習帳の完成だ。
書籍がB5よりちょっと大きいので、定型のリングが1穴分足りなかったのはご愛敬。
書籍と同サイズ、同じ紙に、いつも使ってるマーカーペン。
これで練習すれば、もう完全にサイン会本番と同じ感覚で経験が積めるはずだ。
サイン練習は面白くてつらい
このサイン練習帳、最初の数ページは、栗原先生に作ってもらったサインを忠実に体得できるよう“なぞり書き練習”ページに。書き慣れて来るであろう後半をフリー練習ページに、という構成にしてみた。
この辺りも漢字練習帳をモデルにしているのだ。
かなり低学年向け学習内容に寄せているが、根本的にサイン初心者なんだからこれでいいだろう。
サイン初心者はなぞり書きから始めるのが基本。
一画・一辺に気を配って書いていると、やっている間になんか落ち着くというか、気分がスーンと静まっていく感じがしてくるのが面白い。
そういえば小学生の頃も漢字のなぞり書きはやたらと好きで、練習帳を新しく買うとまずなぞり書きページだけサッサとやってしまうような子供だった。
なんか塗り絵のような、足りない部分を満たして完成させるのが好きなのかもしれない。
サイン会までの1週間は、ほんとに毎日欠かさず練習した。
ところがフリー練習ページまで行き着くと、一転してつらい。
バランスや線の長さを全部自分でコントロールしなきゃいけないので、満足いかない出来だとすごくストレスが溜まるのだ。
これは「字が汚い人あるある」なんだけど、脳で漠然とイメージしている完成形と、手で出力するのになぜか壮絶な差が出てしまう。
なので、長時間没頭して書き取り練習していると、その脳と出力の差に酔ってちょっと気持ち悪くなってくるのである。
どのページもこんな感じでサインがびっしり。こうやって見返すと、若干サイコパス感あるな。
これ、何が原因なのか。脳のプリンタードライバーかPPDファイルに致命的なバグがあるような気がしてならないが、何年経ってもアップデーターが配布されない。悲しい。
とはいえ、1週間ほどみっちり練習していると、拙いなりに納得できるバランスのラインとかは見えてきた気がする。
書く時間も迷いが減ってきた分、高速化されてきた。いけるのではないか。
サイン会は金曜日
サイン会本番は、書籍発売から約2週間後となる3月16日(金)の夜。この日はあいにく朝からずっと雨模様である。
雨で紙が湿気っていると、これまでの練習と書き心地が変わってしまう可能性も考えられる。不安で仕方が無い。
雨の紀伊國屋書店新宿本店。いつもは本を買いに来てるけど、今日はサインしに来た。
これまでにも文房具店の店頭でサイン会的なこともやらせてもらったが、しかし書店は初めての経験だ。
本を出している以上、やはり書店でのサイン会は憧れに近い感情がある。しかも、場所が紀伊國屋書店の新宿本店。
ここの週間売り上げランキングは全国の書店が仕入れの参考にしていることもあって、イヤらしい話、新宿の紀伊国屋書店で売れた本は全国的にも売れる可能性があるのだ。売れて欲しい。
楽屋入りしても打ち合わせより書き取り練習優先。
さて、イベント自体は、文房具に関するトーク1時間+サイン会30分という構成となっている。
2017年に発売された最新文房具の中で、文房具シーン全体に最も影響を与えた文房具は何か?というそこそこマジメな内容のトークなんだけど、基本、本番中に何を喋ったかほとんど記憶にない。
トーク本番。脳内メーカーで見たら「サインサイン」しか書いてない状態だ。
話してるときも、スライドで画像を見せているときも、基本的に「高さを出す」「"て"の字を分かりやすく」と栗原先生のアドバイスを何度も反芻して、イメージトレーニングを繰り返していたからだ。
いける。俺はいけるはず。これまでの練習を信じて書くのだ。
SAINKAI NO HAJIMARI。ピエロの面ならぬ王冠かぶって一人だけキャラ立ちしているのは、共著者の文具王こと高畑正幸氏。
…と思ってたんだけど、サイン会が始まるともう全然アレな感じ。テンパり方ハンパない。
共著者4人が座った前をお客さんに順番に進んでもらってサインをしていくという形式だったのだが、これがまぁ焦るのだ。
横について列を整理してくれる紀伊國屋書店の担当の方は、サイン会運営のプロでもあるので、人のさばき方が異様にスムーズ。のんびりと構えてサインをしていると、いきなり僕のところで渋滞が起きてしまうのである。
きだて(右端)の近くにいる女性が紀伊國屋書店の担当さん。列のさばき方が異様にプロい。
いろいろとお客さんから話しかけていただいたりもしたんだけど、すいません、基本的にあの時の話の内容は覚えてません。ほんと、申し訳ない。
申し訳ないと言えば、サイン書いて失敗したと感じた時に、何度か「あっ…」って声に出してしまってた。
あれ、たぶん言われた方がすごいイヤな気持ちだろうなぁ。もう、ほんとにほんとに申し訳ない。今後は失敗しても声に出さないようにしたい。
共著者4人のサイン。きだて、放送作家の古川耕氏、他故壁氏氏、文具王高畑氏。文具王は中学生の頃に作ったサインとのことで、書き慣れ感すさまじい。イラストと花押まで入れる余裕。
結果的に、だいたいの方には概ね問題ないサインをお渡しできたとは思うんだけど、ところどころ「高さが出てない」「“て”の字が分かりにくい」こともあったんじゃないか。反省材料である。
あと、練習の段階で「お客さんと紀伊國屋書店の店員さん」という大きな要素が抜けていたのも、今後の課題だろう。
次にもし書店サイン会をやらせてもらう機会があったら、サイン練習帳に加えて段ボール製のお客さんと書店員さんぐらいはきちんと揃えたいと思う。
今回の一連、いかにも苦行…!のように書いてしまったが、サイン会も、その練習も、どちらもなかなかに楽しかったのだ。
なんせ、自分がそんな機会をもらえるとも思っていなかった出来事である。いっそファンタジーかというレベルのフワフワな非日常感があった。またやりたい。
色紙まで書かせてもらった。紀伊國屋書店新宿本店の6Fにまだあります。
あと、書籍自体も「2007~2017年の10年間で“文房具と、それを取り巻く文房具シーン”が大きく変化した(文房具ブームとか)んだけど、それは結局なにが要因だったの?そこに影響を与えた文房具を表彰してあげるべきじゃない?」という内容の、なかなかに面白い本です。
文房具のカタログ本とか使いこなし本とはまた違った読み物なので、ぜひ読んでみてください。言ってくれたらサインもします。
『この10年でいちばん重要な文房具はこれだ決定会議』(スモール出版 刊)
ブング・ジャム+古川耕 1500円+税