日本一(暫定)
今回、8か所の「道の上の駅」を巡った。
結論から言うと、西日暮里駅がすばらしかった。
本稿執筆現在暫定日本一の道の上の駅・西日暮里駅。そのホームからの眺め。向こうから道路がやってきて、足元の下をくぐっていく。とてもいい。
JR山手線線・京浜東北線の駅である西日暮里駅。とりたてて有名な商業地というわけでもなく、近くに職場があったりお住まいでない方はあまりなじみがないのではないか。谷中や千駄木が近いが、この駅から向かう人は少ないと思う。
しかしこれからは違う。日本一の(暫定)すばらしい道の上の駅として混雑が予想される。そうなるといいな、と思う。
道路から見たホーム。いい。すごくいい。
そもそもいったい道の上の駅のどういう部分に惹かれるのか。
説明したいのだが、うまく説明できない。
とりあえず、道の先の上空に、こっちを向いて人が並んでいる、という光景がおもしろいと思う。
あと、路上の人もホーム上の側の人も、おたがい相手をほとんど意識していない、という点にも興味をそそられる。
平面的にはすぐ近くにいるのに、立体的に隔てられているというだけで、全くの別世界になってしまうことが、ぼくにとってはとても面白く思えるのだ。しかも道の上の駅の場合、改札によってルール的にも隔てられているため「別世界度」がより大きい。
道路にいる人、特に自動車に乗っている人は、あっというまにこの光景から過ぎ去ってしまうが、ホームにいる人は列車が車でそこにしばし立ち止まっている。そして、それぞれの交通はいわゆる「ねじれの位置」にあって、交わらない。
強いて理屈を付けるとしたら以上のようなものになる。が、最終的には「なんか、良い」としか言いようがない。
「わかる!」という人がいますように。
日暮里駅の北にあるけど西日暮里
ところでこの西日暮里駅。隣の日暮里駅と近すぎないか。
地図上で測ったら、ホームの端と端の距離は420mしかなかった。近すぎる。東京駅ホームの長さと同じぐらい。(©
OpenStreetMapへの協力者)
11両編成の山手線の長さは220mだというから、一番後ろの車両が西日暮里を離れたとき、先頭車両はすでに日暮里までの半分以上を通過していることになる。車内アナウンスも「次は~」と「まもなく~」の両方を言う暇がない。
きけば、先にできた地下鉄千代田線との乗り換えのためにあとから作られた駅だそうだ。現在の山手線駅の中では一番新しく、
昭和に開業した唯一の駅という。日暮里駅の西にあるわけでもないのに西日暮里の名前になっている理由も、ここらへんにあるのだろう。
1963年の航空写真を見ると、西日暮里駅はなくただの高架だ。(国土地理院
「地図・空中写真閲覧サービス」より・整理番号・MKT636/コース番号・C5/写真番号・20/撮影年月日・1963/06/26(昭38)に加筆加工)
そういった経緯で、駅間が短いのだな。なるほど。品川と田町の間に建設中の駅と、どちらが駅間短いのだろうか。
まさか駅前広場にケチを付けることになるとは
話を元に戻そう。
西日暮里に匹敵するすてきな道の上の駅は他にはないものか。
「あそこ、そうだったな」と思い出したのは中野駅だ。
中野駅到着。線路に見える緑色の鋼製部材が、下に柱がないことを、つまり道路が走っていることを示している(たぶん)。高まる期待。
まずはホームからの眺め。たしかに道路がこちらへ向かって伸びている。しかし……
道路から。まごう事なき道の上の駅だ。しかし……
記憶通り、中野駅のホームは道の上にあった。
しかし。しかし、なんか、ちがう。あんまり盛りあがらない。
なぜかというと駅前広場があるからだ。
駅前のバスロータリー空間が「道の上の駅感」を損なっている。
これはちょっといただけない。
そもそもまだ「道の上の駅」の面白さを十分に説明していないにもかかわらず「これはダメ」とか言っちゃってもうしわけないのだが、これはダメだ。
たぶん、なんというか「道度」が低くなっちゃっているからだと思う。道が広場の一部的な雰囲気になっちゃっているのだ。いるのだ、とか言われても困ると思いますが、そうなんです。
ホームと道路が「別世界的」に立体交差している! という感動が駅前広場によって薄まっちゃっている、という図。図にしてまで主張するようなことか。
まさか駅前広場にケチを付ける日が来るとは思わなかった。駅前広場にしても「えっ、そんなわけわかんないことでダメとか言われるの?!」と解せない気分だろう。すまん。でもがっかりなんです。
あと「薄さ」がポイント
もともとの地割りを無視してずばっと走る中央線ならではなのか、沿線には「道の上の駅」が多い。中野のお隣、高円寺駅もそうだった。
そうだったのだが。
高円寺。またしても駅前広場つき。
ざんねんでならない。それにしても電飾、浮かれてるなー。もはやどこの駅前にもあるよね。
高円寺も駅前がちゃんとしていた。ちゃんと広場があるばっかりに「道の上の駅感」が薄い。ざんねんだ。
ただ、この駅によって「道の上の駅鑑賞」において重要なポイントに気づいたのは収穫であった。
それは「駅の薄さ」である。
高円寺駅は、道路からホームが見えないのだ。これはいかん。
こういうのが理想。
道路の人とホームの人がお互い見えてこその「別世界感」である。お互い見てないけど。
高円寺駅は高架の壁がたくましすぎる。
ただ、上の写真じっくり見ると、手前の高架と奥とで構造が違っていて、なかなか興味深くはある。
いやいや、今回はそういう楽しみではない。
その点、さらにお隣の阿佐ヶ谷駅は薄くてよかったのだが。
薄い。これはいい薄さ。しかし、ホームが道の上途中で終わっちゃってるのと、
やはり駅前広場がある点とがざんねん。
吉祥寺駅も同様。駅前ロータリーが充実しちゃってもう。
こんなことで駅前広場を目の敵にするなんて理不尽もいいところ。しかし、あたらせっかくの道の上の駅がもったいないことだ。
いわば聖地・高井戸駅
すっかり陽も暮れてしまって(西日暮里駅がすばらしすぎて長居したせい)、もう帰ろうかとも思ったが、これでは不完全燃焼過ぎる。良い「道の上の駅」を見ないことには、今夜は眠れそうにない。
そこで思い出したのが「そういえば、たしか環八を自動車で走っていたときにホームの下をくぐったぞ」という記憶。
地図でそれとおぼしき駅を探したところ、どうやら高井戸駅ではないかと。よし、吉祥寺から井の頭線で行けるぞ!
そしてやってきた高井戸駅。これはすばらしい! 高架に墨痕鮮やか駅名も神々しい。
そうだ、これだ。なんとすばらしい。駅前広場もなく、ホームもあけっぴろげによく見える。西日暮里に並ぶ出来映えだ。
前述の記憶はもう数年前のことだが、もしかしたらここでのその時の思い出が熟成して今回の道の上の駅巡りにいたったのかもしれない。いわばぼくにとっての聖地である。
駅のすぐ横に歩道橋があって、ホームの様子が間近に見えるのも楽しい。
ホームから見たその歩道橋と道路。いいねえ。今夜はここで一晩過ごしたい。
上の写真にある、ホームからの道路の光景をうっとりと眺めていて気がついたことがある。
上り坂だ。
上の地形図で分かるように、高井戸駅はその名前とうらはらに、神田川が削った低い場所にある(地名の由来には諸説ありとのこと)。環八は駅をくぐる場所が低く、南北いずれも上り坂だ。
駅の南側には神田川が平行して流れている。
ホームから見たときのこの上り坂の光景、自動車から見たときには下りきった場所で上空に浮かんでいる駅の存在感。そういうものが「道の上の駅ってなんかいい」とぼくに思わせた原因かもしれない。
おっさんは地形の話をくどくどとします
そしてなんと、西日暮里駅もまた、道路が上り坂なのだ。
西日暮里駅をくぐっている道路は道灌山通りという。いかにも江戸な名前だ。上の地形図で分かるように、この通りは細く連なる台地を切り通している。この台地の名前が道灌山である。
駅の地点から南西に切り通しを経由して再び低地(藍染川という川の跡。古くは石神井川の流路であった。ここらへんの話も面白いのだけど、長くなるので割愛)に出るまでの短い距離が上り坂だ。高井戸と同様ホームからの光景が印象深いのは、この高低差のせいだ。
それにしてもすごく変わった地形だ。西日暮里駅は、道灌山通りをまたぐためにぐぐっと持ち上げられていることが地形図を見ると分かる。
実際、ホームの端に行くと、列車が下って行く様子が分かる。
駅ホーム北西側の端、田端方面を見たところ。山手線・京浜東北線が道灌山の崖のすぐ下を走っていることがわかる。そして通りをまたぐために持ち上げられた線路が下って行くのも見てとれる。
反対方向、日暮里方面の崖線の道もすごい。
その崖線の道から見た駅。すてきな坂道。ダイナミックで良い光景だなー。やっぱり西日暮里駅すばらしい。
上の写真、崖線から駅と平行に見た時に気がついたのは、道路の部分だけ、ホームに夕陽が当たっていること。
道灌山通りの幅だけ、ホームに陽が射している。
この切り通しは「夕陽の切り通し」でもあったのだ。
切り通しの南東側、西日暮里公園から見た道灌山通りと駅。
この土留めは、道灌山の断面なわけだ。
すっかり話が脱線してしまったが、しかしながら、もしかしたらぼくが「道の上の駅」に惹かれる理由は、その周辺の地形にあるのではないか、と思ったのだ。
だって実は中野駅も似たような地形なのだ。
中野駅の北から東に向かう低い帯は天神川の跡、駅南は桃園川の跡だ。
西日暮里ほどではないが、線路に平行する脇の道はここでも上り坂。
深追い、そして諦めた頃に
人はどうして歳をとるとすぐ地形とか地図の話をするようになるのか。
話を戻そう。
高井戸駅ですっかり気分を良くしたぼくは、環八沿いには良い道の上の駅があるのではないか、という思い込みによってさらに南下。京王線の八幡山駅まで足をのばした。
環八との立体交差ではなかったが、ここも確かに道の上の駅であった。
でもなー。ここもなー。なんかちがうんだよなー。
駅前広場はないが、高架下がきれいに整えられた改札および商業施設になっており「道の上感」が薄められちゃっている。
そして高円寺同様、線路の壁が高い。住宅が近いのでしょうがない。
惜しい。
八幡山駅、ポテンシャルを感じるのだが。もったいない。
それにしてもなかなか「これは!」と思う物件には出会えないものだ。西日暮里駅、高井戸駅は奇跡なのだろうか。
もうすっかり夜。おなかもへった。これ以上の深追いはやめよう。
そう思った帰路の途中、車窓からの風景に「あっ! そういえばここもじゃないか!」ととびあがった駅があった。五反田駅である。
しばしば利用する山手線五反田駅。そうだよ、ここも道の上の駅だよ。
なじみの駅なのにすっかり忘れていた。青い鳥はいつだって近くにいるのだ。
とはいえ、ここも中央線シリーズと同様、駅前ロータリーとセットなので「純粋道の上の駅」ではない。
ただ、2つの点でかなり良い感じではある。ひとつは、広場とつながっていてもなお「ザ・道路」といった風格を漂わせる道の広さ。なんせ国道1号線である。
もうひとつは、そう、ここもまた駅を低部にした上り坂であること。
車で走ってきても印象的だし、ホームからの眺めにしてもこの高低差は印象的。
いよいよやっぱり「道の上の駅」の魅力の秘密は地形にあるのでは、という気がする。そしてますます同好の士がいなくなる気もする。
日本に10人ぐらいいると思うんです
いつにもまして共感を得づらい内容でした。いやでも10人ぐらいいると思うんだ、分かってくれる人。その人たちに、届け、この思い。
五反田を忘れていたぐらいなので、まだまだ「なんであそこが出てこないんだ」という駅があると思います。10人のうち、思いついた方はぜひご一報を。
地形図見て面白いと思ったのは、国土地理院にとって盛り土は地形だということ。この写真でいうと、鋼製の橋部分は地形じゃないが、その先の盛り土は地形。材料が違うだけなのに。