授業がおもしろいのではないか?
授業を受けるのが自分のなかでブームだった。
最近デイリーポータルZの古賀さんが新しい音楽文化について有識者を呼んで勉強する会を開催した。これがめっぽうおもしろかった。
知識がどんどん入ってきて、わからなかったことがどんどんわかる……開く、第三の目が開いてしまう!! ……あ、授業おもしろい。
なんてこった。今や授業がおもしろいのだ。ならもしかして学校の授業も今受けたらおもしろいのではないか。
幸いデイリーポータルZのライター仲間に中学の理科の先生の加藤まさゆきさんがいる。加藤さんに授業をしてもらった。
教室に加藤先生が入ってくる。おいおい、なんだこの緊張感は…
先生が入ってくるこの緊張感…
元学校のレンタルスペースを借りて、生徒はデイリーポータルZのライターたちに呼びかけた。満席の応募だった。おまえ達もちゃんと勉強してなかったのか。
当日、加藤さんが「教室から入ってくるところからやりましょうか」という。我々は中3として扱われるそうだ。そしてこれから先生が入ってくるだけなのだが、くわ、この緊張感……クラス替え初日のやつだ。ただ加藤さんが来るだけなのに。一瞬で中3までの23年間が早戻しされた。
そういう学校追体験、ああ、したいしたい、って思うでしょう。しかしおもしろさはこのノスタルジーだけではないのだ。
起立してみた。特に意味はなかったが、当時の感覚が蘇った。この辺りは大きな意味でのコスプレである
大人は分かってないしそれでいい
授業がはじまる。加藤先生が教えてくれるのは「イオンについて」である。「原子には原子核がありその周りを電子が回っている」くだりのやつだ。やっておくとドライヤー売り場でマイナスイオンがなんなのかわかるやつである。
中学の勉強をさぼっていた私は理解があやふやである。周りも分かってない者がほとんど。しかし恥ずかしさはない。知らなくてもここまで生きてこれたのだからもうこれでいいのだ。
なんなら今日わからなくてもいい。この面の皮の厚さが大人であり、だからこその趣味、レジャーなのだ。
中3用の授業をそのままやってもらった。イオンと水溶液について
電子が回っているだけでおもしろい
そして授業がはじまると無知な生徒たちは「へえ~」「ふ~ん」の大合唱をすることになる。
先生「原子核の周りを回っているのが電子といいます」
大北「電子は実際に回ってるんですか?」
先生「そこね、気になるでしょ。回ってるって考えたほうがいいです。回ってる方向が二方向あって、右回りと左回りで対になってる」
このやりとりだけであちこちで「へえー!」と声が上がる。「へえ」の間欠泉が噴出するちょっとした観光地みたいになるのだ。
今となっては電子が回っていることの何がそんなに「へえ!」なのかと思う。しかしそれはライブだからだ。その場で生まれた疑問がすぐにとけるのが気持ちいいのだ。
一応学生服を着てきたのだがこの辺もただのコスプレだった。特に授業のおもしろさを左右するわけではないが「せっかくなのでやってみた」である
わかる気持ちよさ
そう、大人が学校の授業を受けることの何がおもしろいのかを突き詰めるとそれは「わかる気持ちよさ」だ。とにかく「わかる気持ちよさ」の大洪水なのだ。我々は「わかる」が知識の土嚢を突き破って氾濫するたびに「へえ!」と悲鳴を上げるばかりなのだ。
大丈夫だろうか。まず「わかる=気持ちいい」が共感されてるだろうか不安になってきた。
わかる気持ちよさは年齢とともに上がっていく気がする。Web上の記事も全体の年齢層が上がってきて、知的好奇心を満たすものが支持されるようになってきたりしている。なので大人ほど共感してもらえるかもしれない。
肩甲骨の周りの筋肉を指圧すると気持ちいいだろう。それと同じようなものだ。「へえ」とか「ほお」とか言わされる「わかる瞬間」はもう問答無用できもちいい。
わかって頭がよくなって得したとかではなく、わかる瞬間が気持ちいいだけのことなのだ。大人がやる学校の授業はわかる気持ちよさのマッサージ50分コースと言ってもいい。
それにしてもなぜここまで気持ちよかったのだろうか。
質問がこわくない
なぜ大人の学校授業にこれほどわかる気持ちよさが宿るのか。一つ大きいのが「質問しまくれる」ということだろう。
実際の学校の授業ではこんなに「へえ!へえ!」と声はもれない。「5人くらいの集団に質問うけると、へえへえ言ってますね。へえへえ言える空気というのがありますよ」と加藤先生も言う。
今は10人未満、かつ全員知り合いである。それにわからないことがもう恥ではない。
「子供って、わかんないの自分だけだなって思いこみますけど、大人だとわかんなくてもいいのでどんどん質問きますね。子供もこれくらい質問してくれていいのに」と加藤先生も言う。
イオンの授業なのに「とけるってそもそも何!?」「分子の数って有史以来変わらないんですか?」「電圧ってそもそも何なんですか!?」と質問も脱線しまくる。
みんなもはや自分の知のマッサージのことしか考えていないのだ。洗髪時に「かゆいところないですか?」と聞かれて「ヒザ」と答えるようなものである。もっとわかりたい…わかりたい…知の亡者たちが這い出してきて、しかも彼らが今後日本の知に貢献することは一切ない!
「いい質問だ」とだれかの疑問を全体に返していく。これでみんなの理解が深まるらしい
学校の授業という題材のよさ
でもこれって別に何を習ってもいいんじゃないの?となるだろう。たしかに。フォークリフト運転者資格でもとればよかったかもしれない。。
しかし学校の授業という題材が本当にちょうどいい。あの日わからなかったのが今そこにあるのだ。
「授業参観に来た大人は『めっちゃおもろい!』っていって帰っていく人多いですね。教員同士でもお互いの授業を見たりするんですけど、荘園制度ってこんなにおもしろかったんだ!と思ったりしますよ」と加藤先生は言う。
なぜ荘園制度が、イオン結合がおもしろいのか。理由ははっきりとわからない。
考えてみると、中学校で習うということは基礎的な学問である。社会に出るうえで必要とされる学問があるとしたらこれだろうな、と選ばれたものである。
また中学で習うことであるからこそメーカーも容赦なくマイナスイオンとドライヤーに書いてくる。当然目にふれる機会も多い。
だからこそ今までわからないままでいて、「マイナスイオンってなんだっけ?」と数々の負い目や疑問をためこんできたのではないか。
これがフォークリフトだと私の場合、興味をわかせるところからはじめないといけない。
とにかく私達は理解できていない中学校の学問に対して、猛烈なモチベーションがある。あの日の後悔がここにある。だからこそわかると猛烈におもしろいのではないか。
小テストも実施されたがこれはあまり「おもしろい」体験ではなかった。我々は「理解する瞬間」はきもちいいが「理解できたかどうか」はもうどうでもいいのだ
しかし大人むけの学校の授業はない
うん、言ってることはわかった。おれもやってみたい。そういう人がいたとして、これを気軽に受ける手段は世の中にないのだろうか?
加藤「大人はほぼ事実上受けられないですよね。大人が学び直す科学』とかそういう本を読むくらいですかね」
――YouTuberが中学高校の授業やってたりしますよね
加藤「いっぱいいますね。中高生がテスト前にそれ見てわかんなかったとこを自習するんですよ。
テスト前にせっぱつまって学習のモチベーションがめっちゃ上がってる状態であればめっちゃ理解できるんですよ。普段は厳しいかもですね。
でも今先生たちはYouTubeよりおもしろくないとダメなんですよ。へんな授業すると『帰ってYouTube見よ』ってなりますから」
加藤先生によると映像による理解度はどうしても授業に劣るという。じゃあ学校の授業ってなんなんだろうか。授業をしてもらうとどうしてこんなにわかりやすいのだろう。
わかりやすく書いているはずなのにテキストだけだと理解しにくい。会話が必要だそうだ
生で話すからみんながわかる
――ここにある教科書だけだとわかんないんですけど、加藤さんに喋ってもらうとわかりますね
加藤「科学的なイメージって授業で黒板使いながら動いて説明しないと意外とわかんないんです。会話の中から築き上げていくものが多い。参考書だけで理解できる人は相当クレバー」
――参考書にめちゃくちゃくわしく書いてれば理解できたりします?
加藤「こう書けば全員がわかるっていうのはないんですよね。『電子を欲しがってるんですよー、要らないんですよー』っていってもぼくが理解してきた過程に寄っているので、理解しない人も多い」
――『欲しがってるんですよー』とかその辺の口語体はYouTubeとかできそうですよね?
「できなくはないけど、たぶん言ってるほどみんな理解していかない。
やっぱり人間の数学的な理解の仕方もそんなにピタッピタッてブロックが積み上がっていくようにはいかなくて、アンバランスに積み上がっていくことが多いのでそれに対応しきれないと思う」
加藤さんの話を聞くと、生徒にはモチベーションが必要で、授業にはライブ感が必要だという。「音楽のライブとライブビデオ全然ちがうでしょ」と。たしかにたしかに。
「井口さん藤原さん何も発言ないですが大丈夫ですか?」と最後尾の二人。井口さんは完全に授業に置いてかれていた
授業というものは「わかる」に最適化されている
――生の授業は質問ができるってことが大きいですか?
「質問の部分と、だれかの疑問を全員にフィードバックし直せるとか。『そうそう、それそれ』って、拾って投げ返すというコミュニケーションが生まれるので。そうするとみんなの理解が伝播していきますね」
理解が物質のようだ。生徒に伝播していく。やはり知の亡者というかゾンビ的なものではないか。
「あとは黒板がいいです。みんなの前で実際に説明するよさっていうのはぜったいありますね。動画より。授業ではプロジェクターも使いますけど生徒の思考スピードに合いませんね。先生が黒板書いてそれをノートに書くのがいい」
モチベーションがあって、目の前で人が喋るというライブ感があって、黒板書いてノート書かせるフィジカルもあって、先生も質問うけてフィードバックで理解を伝播させて教室全体にグルーヴを巻き起こして…そこまでやってはじめて理解が成立するのだ。
学校の授業というのは本当によくできているのだなあと実感する。
とはいうものの「わかる」が得られなかった人もいる。参加者の井口さんは途中授業についていけず「落ちこぼれる時の心のざわつきを久しぶりに感じることができて良かったです…」と暗い感想を残していた。その井口さんの教科書がこれ
わかりゼーションサロン、はじめたい
ああ、テストのない授業のなんとおもしろいことか。
学び直しに5000億円というニュースがあってツイッターでみんな憤っていた。おそらくそれはおっさんら5000億つかって知的に気持ちよくなってんじゃないよという憤りだろう。
それについては誤解もあるだろうから何も言わない。だが私は言いたい。知のマッサージそれ自体めちゃめちゃ気持ちいいぞと。
これは学びではなく純粋に気持ちよさを追求したものだ。体を治癒するというよりリラクゼーションサロンに近いのだろう。授業が終われば知でホックホクに蒸しあがったおいもさんが並んでいる状態なのだ。
加藤先生にバイトとして第二回どうですか?と聞いてみたところ、学校終わっても授業をしないといけないのはつらいと断られた。困った。イオンの次は電離だというのに。
いよいよ塾講師を個人で募集する時代がやってきたようだ。理科の先生は筆者のところまで連絡ください。草野球のように、草学校を開校し、草校長になろうと思う。そして朝礼をしたい。全員貧血で倒れるまで延々朝礼をしたい。
テストに関しては「もうやりたくない!」という感情が大きい。テストなき学問こそが最強の娯楽だ