埼玉県出身の漁師さんに会いに、鳥取県へとやってきた
友人のチャンキー松本さんというアーティスト(切り絵で似顔絵を作ったりする素敵な人)から、鳥取県大山町で素潜り漁師さんと日常をクロスさせながら作品を作るというアートプロジェクトの話を聞いた。
正直、なにをやろうとしているのかさっぱり理解できなかったのだが、なんだかやたらと楽しそうなので、一緒に鳥取まで行って、海に潜ったり、じっくりと話を伺ったりしてきた。
素潜り漁師の中村隆行さん。43歳で漁師歴は16年。
この記事では、埼玉で生まれ育ち、東京に就職し、紆余曲折を経て鳥取で素潜り漁の漁師となった中村隆行さんへのインタビューと、その前日に行われた素潜り体験の様子、そしてチャンキーさんの作品を同時に紹介していく。
以下、本文がインタビュー、写真が素潜り体験レポート。中村さんの過去と現在をパラレルに眺めてもらえればと思う。
中村さんと一緒にアートプロジェクトをおこなっているチャンキー松本さん。
最初は新宿中村屋で接客業をしていた
――中村さんは埼玉出身ということですが、鳥取で素潜り漁師になるまでの経緯を教えてください。
「まず埼玉県内の高校を卒業後、飲食の接客業がやりたくて、東京の新宿中村屋に就職しました」
――中村さんが中村屋って、親戚かなにかですか?
「よく聞かれますが違います。フロアスタッフやバーテンダーとして勤務してたのですが、3年目くらいからシフト管理など周りをまとめる立ち位置になると、だんだんと自分の数十年先の姿が見え始めてきたんです。それに違和感を感じるようになって、結局4年間勤務して、今までやったことのない仕事をやってみようと退職しました」
――社員として優秀だったからこそ、はっきりとした未来が見えて、それが退屈に映ったんですかね。
中村さんの職場である海で、一緒に素潜り体験をさせてもらった。
「周りの方には本当に良くしてもらっていて、先輩からは新宿中村屋に勤めているからこそ意見も言えるし、意見を聞いてくれる。辞めて外にでた瞬間、その意見は通らなくなるぞとも言われていて、実際に辞めてみて、それは痛い程感じました」
――あー。一種の転職あるあるですね。
「それで自分からなにも行動ができなくなり、実家に引きこもるようになったんです。でもこれじゃいけない。こんな自分を打破したいと、とりあえず伊豆の旅館で住み込みで働きました。フロント業務ではなく、布団の上げ下ろしとかの雑用係です。そこの休憩時間に、歩いて1分のところにあった海へと毎日入るようになりました」
「チャンキーさん、頭が長くないですか?」「髪の毛や」
――もともと海とか、泳ぐことが好きだったんですか?
「埼玉県民なので、海は18歳まで触れたことがなかったくらい縁遠い存在でした。泳ぎは小さい頃、母親から無理矢理スイミングスクールに入れられていたんですけど、イヤでイヤで。水着を水道で濡らして行ったふりをしたりしてね。プールの塩素の匂いがしないから、すぐばれるんですけど」
――じゃあ、伊豆にいた頃はそんなに泳げなかったんですか。
「水に対する恐怖もあったし、今の玉置さんよりも泳げなかったですよ。それでも、スイミングでは自由時間にプールの底に潜って、じっと這うようにしているのは好きだったかもしれない。今思えばですけどね」
ジャック・マイヨールとの出逢い
「伊豆の旅館では1年間働いたんですが、毎日のように海に入って、さらに煙草をやめてジョギングをするようになり、たいぶ体力がつきました。そんなときに映画『グラン・ブルー』のモデルになったジャック・マイヨール(人類史上初めて素潜りで100メートルという記録をつくった人)の『イルカと海に帰る日』という本を読んだんです」
――まさかマイヨールからの潜り繋がりで、素潜り漁師という展開ですか。
「ラジオのパーソナリティをやったり、水族館でイルカを育てたり、仕事を変えながら自分のやりたいことをやっていくマイヨールの姿に憧れて、そんな風に生きたいなーと思ったんです。でも友人から横浜でバーをやるから一緒にやらないかと誘われて、それをとっちゃうんですよ」
――あら、マイヨールから離れちゃった。
「ブレブレで軸が無かったんでね。伊豆で体が強くなったから、変に自信が湧いちゃって、やったことないけど立ち上げからでもできるだろうと受けました。でもその店を7か月間やったくらいから、空き時間に深海の本を読むようになりました。深海魚が大好きで、猛烈にインスピレーションを掻き立てられるんです」
準備運動をしたら、海水を口に含んだり、ちょっと飲んだり、耳を濡らしたり、鼻に入れたりして、海と体を馴染ませるのが大切。
その様子をチャンキーさんが貼り絵にしたものがこちら。
「そうなると、もう心はここにないなという想いが生まれ始めて、横浜のお店はやめさせてもらいました。そこからどうしようかなーと考えて、勉強をしようと。自分は何が一番好きなのか、海のどこを知りたいのかを確認したかった。大学も社会人入試なら小論文と英語と面接だけと聞き、どうにかなるんじゃないかと。新聞配達や日雇いの仕事をしながら、受験勉強をしました」
なにがあっても体がびっくりしないように、目にも海水を入れておく。スキーでまず転ぶ練習をするのに似ている。
富山まで入試を受けに自転車で
「勉強の息抜きに、新宿中村屋時代に買ったロードバイクでの旅行を始めたんです。最初は近所の河川敷を走り、少しずつ距離を伸ばして、泊まりがけでいろんなところにいくようになりました。そして自転車の乗り方もだいぶわかってきたので、富山大学の入試に自転車で行ったんですよ。お金もなかったし」
――え、埼玉から富山ですか? 車でも結構大変な距離ですよ。
「行ったんですよ。山道を1日200キロ漕いで、3泊掛かって。それで自分のことを好きになれたけれど、ただでさえ学力がないのに、そんなフラフラの状態でテストを受けても、受かる訳ないですよね。当然落ちました」
――あー。一芸入試だったら受かってたかもしれないですけどね。
続いては息をこらえる練習。まず15秒、そして30秒。45秒まで止められれば、水深5メートルくらいまで潜れるそうだ。ここでちょっと45秒止めてみてください。まあまあ辛いですよ。
スキンダイビングでは無駄にはしゃいだりせず、心拍数を下げておくのが肝心とのこと。「みんなコツがわかってきてますね!」といわれて、あいまいに頷く。
そうだ、素潜り漁師になろう!
「入試に落ちて、自分に残ったものって何かなって考えると、海への気持ちと体力だったんです。そこで素潜りの漁師になろうかなと思うようになりました」
――漁師にもいろいろあると思いますが、なぜ素潜りだったんですか?
「マイヨールもそうですが、冒険家の植村直己や大場満郎も好きだったんです。自分の手と足と頭をフル活用して、人に影響を与えていく人間力。私も一歩ずつ苦労を楽しんでいる生き方をしたい。それなら一番シンプルな素潜り漁師がいいかなと」
――なるほどー。でも素潜り漁師って、なろうと思ってなれるものなんですか? ああいうのは先祖代々で受け継ぐ漁業権があってこその職業というイメージです。
「そうなんですよ。素潜り漁師になるために、どこに行けばいいのかわからない。窓口がない。とにかく行動力はあったので、とりあえず農林水産省の建物までいって、窓口で『素潜りの漁師になりたいんですけど』って相談したんですけど、ニタニタニタって笑われて。……そこは遠洋漁業の課だったんです」
――ぎゃふん。
ゴーグルが曇るとそれだけで慌てるし不安になるので、ヨモギやつばをしっかりと塗っておく。
まずは立ち泳ぎの練習。力を抜けば必ず立てるというが、どうしても体をバタバタさせてしまい無駄に疲れる。ちなみに昔はまったくのカナヅチで、シュノーケルがしたくて数年前に水泳教室に通い、なんとか泳げるようになった。
運命を変えた求人情報
「そんなこんなで、その後もバイトをしながら情報を探していると、キヨスクで買ったビーイングっていう当時の就職雑誌に、中山町(現在の大山町)で『素潜り漁師をして暮らしませんか?』みたいな募集があったんですよ!」
――そんな願ったり叶ったりの求人が。
「バイト先のレストランへ行く途中だったんですが、それどころじゃないと公衆電話からすぐに連絡すると、『来週面接にこられます?』って言われて。これは私を試されているのかなと思いましたね」
――本気ならすぐに来られるでしょう? みたいな。
「私には行動力しかないので、もちろん行きますと。ちょうど青春18きっぷの時期だったのでこれでいってやろうと」
――自転車じゃなくてよかった!
「なんとか目的地の中山口駅まで一日でいけるかなーと思ったんですけど、始発よりちょっと遅い電車に乗ったら、途中の鳥取駅までしかいけなくて」
――そこは時刻表を調べてから行きましょうよ!
「とても寒い時期でした。ローソンで始発まで時間をつぶして、駅の固いベンチで無理矢理寝て、起きたらたくさんの人が誰だこいつと見守っていてね。ようやく中山口駅に着いたときは、富山大学の入試よりもはるかに疲れてました。でもどうにかその面接で採用されて、漁師への道が開けたんです。これが平成13年、27歳の時です」
仰向けに浮く練習。私はこれが下手で、すぐに腰や足からズブズブと沈んでしまう。海の中でリラックスがまったくできない。
ぷかー。私も自然体になりたい。こちらもチャンキーさんの作品。
見習い漁師の過酷な生活
――無事に採用されてからは、どんな生活だったのでしょう。
「10か月間の契約期間中は研修生の扱いで、月に10万円いただきながら漁師見習いをやりました。家賃も安いところを紹介してもらったし、埼玉ではカスカスの生活をしていましたから、10万円っていうのは私にとってありがたい数字でしたね」
海とすっかり馴染んでいる中村さん。
ゴーグルに水が入ってきて、慌てて一旦離脱する私。台風の影響でうねる山陰の海とちっとも仲良くできないよ。
――定置網とか巻き網の漁は大人数でやりますけど、素潜り漁だと個人単位ですよね。仕事を覚えるために誰かに弟子入りするんですか?
「素潜り漁は海女さんの仕事というイメージがあるかと思いますが、こっちでは男の仕事です。すっごい怖い顔をした、すっごい体格の良いの漁師さんを漁協から紹介されて、『この子か』っていわれたんですよ」
――子ども扱いですか。
「それに対して言い返せるような状況じゃなくて、『……はい、よろしくお願いします』って小さな声で返事をしてね。その親方と一緒にいると、周りの漁師からはカルガモの親子かってからかわれて」
――中村さんにもそんな時代があったんですね。
「教えてもらうのはウエットスーツの着方くらいで、すべては目で盗むという世界。今までやってきた接客業とは全く違いますよね。ろくに立ち泳ぎもできなかったから、一日に1リットルは海水を飲んでいました」
――そんな状態で、よく続きましたね。
「幸運なことに、イギスという10年に一度つくかつかないかの幻の海藻があって、それがついた年だったんです。このイギスが生えるとアワビやサザエが海に湧くんですよ。だから私でも貝が採れて、3か月目くらいから素潜りが少しずつ収入になってきました。イギスの年じゃなかったら、すぐにやめていたかもしれません」
少し深い場所で潜る練習。息を吸って肺に空気が入っているときと、吐いた時のバランスの違いを意識できると、状況に応じて体が判断ができるようになるそうです。
海に体が慣れるとはこういうことかという身のこなし方。水の中の中村さんは、人間よりもマナティとかジュゴンに近い気がする。
「この頃は鳥取県内のヨガ教室を回って、金曜以外の週6で通っていました。もうヨガ教室荒らしですね。ヨガは呼吸と心の訓練になりますから、素潜りの力になります。おかげで1年目から、20メートルくらいは潜れるようになりました」
――あの水中の滑らかな動きと乱れない呼吸は、ヨガのおかげだったんだ。
中村さんと私の距離感、まさにこんな感じでした。
素潜り体験会はまだ続いていたけど、体力が限界を迎える前に勇気ある撤退。
漁師として、ここの住人としてやれること
「そんなこんなで研修期間を終えて、晴れて漁協の一員となりました。素潜り漁で採るのは、春は大山の雪解け水が育てた海藻がメインで、夏はサザエ、アワビ、イワガキですね。秋以降は波が高くなってくるため、漁に出られる日がだんだんと減り、2月なんかは3日も海に入れないこともあります」
――たとえ入れたとしても、冬の日本海って寒くないですか?
「いくらウエットスーツが進歩しても、やっぱり寒いんですよ。凍えるとはこのことかと。でもそれはそれで自分を試されているのかなーなんて」
――その辛さを楽しめているんだ。それにしても中村さんが転職組だからなのか、漁師とは思えない程に物腰が柔らかいですね。
「都会の方が思う漁師のイメージと比べると物足りないのかなとも思いますが、ここまで渡り歩いてきたものとして、移り住んできたものとして、東京で身につけたものはあくまで残そうと思っています。都市部で多様性に揉まれたからこその良さというのもありますから」
朝のうちに中村さんがとった岩ガキをご馳走になりました。
鳥取の岩ガキ、張りと甘味がすごいな。
――ちなみに漁がお休みの日は何をしているんですか?
「素潜り漁師の仕事は午前中だけだし、漁に出られるのは年間120~150日くらい。年間200日も自由になる時間があるから、それをどうするか。このあたりは茹でて干す板ワカメが特産品なのですが、湯通しをしないで水洗いだけで干し上げる製法に挑戦したり、また地域づくりに時間を使うこともできます」
――このアートプロジェクトもそうですね。中村さんの漁師としての活動は、魚や貝や海藻を採って売るだけじゃないと。
「田舎で長く生活するには、自分で自分の環境を作らないといけない。これは16年間で学んだことですね。田舎は自分で変えることができるんだなとわかると、やるべきことがたくさん出てくる。自分が追い求めたいフィールドがここにはあり、やろうと思えばなんでもできます。素材はいくらでもありますから」
静岡や山梨の人が富士山に特別な思いがあるように、鳥取の人は大山(だいせん)が大好きでした。
中村さんとチャンキーさんのアートプロジェクトで生まれた作品は、11月3日~5日の「イトナミダイセン芸術祭」で発表されるそうです。
詳しくはこちらから。
中村さんが漁師になったのは偶然の積み重ねかもしれないが、ただの偶然でなれた訳ではない。ここだって思った時に動ける行動力とインスピレーションを持ち合わせていたからこそ偶然が必然となり、ここまでが一本の道になっているのだろう。それは私が選ばなかった、選ぶことの出来なかった道でもある。
現役漁師に教わる素潜り体験も、ぜんぜん吸収できなかったけど勉強になった。中村さんと知り合ったのが私にとっての必然だとすれば、次はもう少しゆっくりと素潜りを楽しみ、海水が体に馴染むまで滞在したいと思う。