本能寺に行った
現在の本能寺は、天正十年に明智光秀に火つけられて焼けちゃった所とは違った場所に建っている。
上の地図で言うと、赤っぽい方が今の本能寺で、青っぽい方が昔の本能寺だ。
京都の地理にあまり明るくないので、地図を確認しながら書いている。
もともとは四条堀川の近くにあり、そちらには、石碑があるだけらしい。現在の本能寺は、地下鉄京都市役所駅のすぐ近く、寺町通のアーケードの端っこにある。
本能寺の門
門に掲げられている寺の名前をみてみるとこう書いてある。
能の字が変わってる
やっぱり能の字がかわってる
よく見てみると、能の字の「ム月」の右隣の本来「ヒヒ」となっているところが、「去」に似た字となっているのだ。
本能寺境内にある「ほんのうじ」と書かれているものは、極力「去」の「ノウ」になっている。
ちなみに、観光客向けの案内看板の能は普通の能であった。
普通の能だ
あくまで、寺でのみ使われている表記であり、一般的には「本能寺」と書いてさしつかえないようである。
この「寺でしか使っていない」というオートクチュールな文字は、ラグジュアリー感があっておもしろい。
せっかくなので、境内のなかから、目についた本能寺の「ノウ」を拾ってみた。
※右側が「去」となっている能は「ノウ」と表記します。
毛筆の「ノウ」
よくみられたのが、毛筆で書かれた「ノウ」だ。
寺務所の「ノウ」、横棒二本のかき分けにメリハリがあってかっこいい
資料館の看板の「ノウ」、真ん中の縦棒にしなりがあって躍動的
自販機にかかれていた「ノウ」、最後の「ム」の部分が上に向かってて縁起がいい感じがする
駐車禁止看板の「ノウ」、消えそう
本能寺の敷地内にあるホテル「本能寺」の「ノウ」、あの「能」がほしい
石柱の「ノウ」、流れるような筆使い。みててきもちがいい
横棒二本の上の横棒は左にはらってあるものが多い中、これは筆使いを見ると、左払いではないようにみえる。
交通安全祈願シールの「ノウ」。横棒二本がきれいに並んでおり、端正な形
さらによくみてみると、右側のつくりのぶぶんは、二本線を突き抜ける縦棒と、「ム」の左部分の斜め線が一体化しているものが多く、単純に「去」という字でもないようだ。
とはいうものの、他に表現しようがないので、便宜的に「去」とあらわすけれども、この「去」部分に関しては、字形があいまいなのか、それぞれ微妙に違っていて面白い。
明朝体の「ノウ」
境内には、明朝体の「ノウ」もいくつかあった。
資料館の看板の「ノウ」、シュッとしてて男前。
レタリングされた文字だと思うけれど、ウロコの部分(明朝体の横棒の右についている三角形のところ)が丸っこくてかわいい。
資料館のポスターの「ノウ」、太めの明朝体がしぶい
「去」の上の横棒2つのうち、上の棒がはらう感じで描かれていることが多いのは先ほども説明したが、中にはこんなのもあった。
二本線がまっすぐひっぱって書いてある。
二本の横棒に強弱をつけず、そのまままっすぐ引っ張って書いてあるタイプの「ノウ」このタイプはかなり珍しく、ここにしかなかった。
寺務所の看板の「ノウ」、手書きの味わい
もはや「去」には見えない「ノウ」
なかでもいちばん独特だった「ノウ」は、掲示板の下にあった「ノウ」だった。
掲示板の下にあった「ノウ」、日本庭園を抜ける爽やかな涼風といった感じ
もはや「去」ではない。
ここまで形が違うのはここのみであった。これを見つけた時は「やった!」と思わずガッツポーズした。
ファーブルが珍しいゾウムシを見つけたら必ずガッツポーズしたと思うが、そういうことだ。
で、いったいこの「ノウ」はなんなのか?
さて、この本能寺でのみ使われる「ノウ」だけれど、いったいなんなのか?
これは、本能寺のウェブサイトをみると答えがあっさり書いてある。
また現在「能」という寺をに替えて使用しているが、これは五度も火災に遭遇したので匕(火)を嫌い「ノウ」の字に替えたものである。
本能寺ホームページより
本能寺は15世紀に日隆によって建立されてから、現在に至るまで5回も火災に遭い、火(ヒ)は勘弁しとくれという、そういう意味でちょっと変わった「ノウ」を使っているのだ。
こういう、ちょっと変わった文字を異体字という。同じ意味、発音をもつ漢字だけど、書き方が違う文字のことで、まさに、この「能」と「ノウ」のことだ。
ここで『五體字類』という字体がわかる書籍をひもといてみたい。
一番右の部分をみてほしい
『五體字類』とは、さまざまな書体をあつめた書道の見本書のような本だ。
いろんな書体をみることができるすぐれものの本だが、これを見ると、本能寺の境内の中でみた「ノウ」の字は、お寺が勝手に作り出した文字ではなく、どの字もちゃんと元ネタがあるということになる。
本能寺の「ノウ」は、五體字類でいうと「六」と書かれている「ノウ」に近い。
「六」とは、六朝諸碑ということなので、中国の南北朝時代、4世紀から5世紀ぐらいにかけての石碑にある文字だということらしい。
バリエーション豊富
柏書房の『異体字解読字典』をみてみると、いろんなパターンの「ノウ」が載っている。
つくりの部分が完全な「去」になっているもの、「長」になっているもの、そして、掲示板のところに一個だけあった「上ム」のつくりだけという文字も載っている。能のバリエーションが多くてビビる。
そして、そのほとんどに「俗」のマークがついてる。いわゆる俗字というやつだ。
正しい字体ではないけれど、俗に書かれている文字であり間違いではない。というフワッとした位置づけの漢字たちである。
能ひとつとっても、これだけさまざまな書き方あるとおもうとワクワクしてしまう。
珍しい漢字を探す散歩
能なんて文字、もう知ったつもりで40年間生きてきた。しかし、思った以上に能に見えない能の字があることがわかった。漢字の奥深さを垣間見た思いがすると同時に、自由であるという気もしてきた。
ヒ(火)をみたくない。という理由で、本来とは違う漢字を使うという自由さが、漢字にはあったのだ。
漢字は、形の違いや間違いがあってはならないという強迫観念のようなものを感じていたけれど、逆に自分がわかって使うのであれば、なにをどう使おうが、自由なのである。
極論をいうと、今後「凸」を「うんこ」という意味で使ってもいいわけだ。それをそういう意味で使うか使わないかは自分の問題であるから。
ただ、自分以外の人がそう読んでくれず、コミュニケーションが閉じてしまう可能性もある。
言葉や漢字というものは常に、自由でありつつも、多数決で意味が決まっていくものなのかもしれない。