富山のミミズハゼ捕りが羨ましい
どうなってるんだ、富山の海よ。砂利浜にミミズハゼという魚が潜んでいるのも知らなかったし、それがイカゲソを握ったこぶしで捕れるなんて。本当に日本の出来事なのかというくらいびっくりだ。
開高健や中島らもの本で、ブラジルのアマゾン川には狂暴でニョロニョロしたカンディルというナマズがいて、人間の穴に入り込んでしまうという話を読んだことはあるけど、まさか富山にも似たような魚がいるなんて。
2009年に訪れた富山の海岸。こういう砂利浜に潜んでいるらしい。
似てるといっても、その弱々しそうな名前通り、ミミズハゼに危険性はない。富山におけるミミズハゼ捕りは、夏になるとテレビで流れるローカルニュースの定番であり、地元の子供にとっては上級生から代々受け継がれている遊びのようだ。なんでも生きたまま丸のみすると泳ぎがうまくなるのだとか。
富山にはホタルイカを網で掬いにいったことがあるけれど(
こちらの記事参照)、ミミズハゼなんていうゆるキャラもいるなんて。もっと早く知りたかったよ。
こういった地元では当たり前のことだけど、少し場所がずれると全く知られていないという、生物を捕まえる文化が大好きだ。これを体験しない訳にはいかないだろう。
あえて鳥取で挑戦してみよう
ミミズハゼが捕れるであろう海岸の調べはついているし、富山在住の友人に案内してもらうことだって可能だ。家からちょっと遠いけれど、行けばまず間違いなく捕れるだろう。
いやでもちょっとまて。その前に鳥取へ行く用事がある。富山と鳥取は東京と愛知くらい離れているようだが、どちらも日本海側に違いはない。ホタルイカの産地という共通点だってある。
ミミズハゼを捕まえて遊ぶ文化は富山だけかもしれないが(あとで知ったけど日本各地にちょこちょこあるらしいよ)、ミミズハゼ自体は全国に分布しているのだから、鳥取にだっているはずだ。よし、まずは情報ゼロの土地で挑戦してみよう。
鳥取の西寄りにある大山町のスーパーで必要な道具を買い揃えた。
そんなこんなで鳥取でミミズハゼ捕りにチャレンジすることにしたのだが、地元の方にいくら聞いても、それ知っているよという人が誰もいない。漁師さんに訪ねても、そんな魚は見たことがないという。
おやおやおや。このあたりに生息していないから誰も知らないのか、ただ見る機会がないだけなのか。砂利の中に潜む魚なので、後者なのだと信じたいが、さてどう転がるか。
できることなら、手に汗握る展開からの、手に(ミミズ)ハゼ握る結末を期待したい。
エサに買ったシロイカ。高級品であるケンサキイカのことらしい。
適当な海岸へとやってきた
ミミズハゼを捕るにあたって一番肝心なのは、適度な大きさの石で構成された砂利浜の海岸を見つけることだろう。
お世話になった地元の方の話だと、なんでも鳥取県西部の大山町周辺はゴロゴロとした石の海岸ばかりで、東の鳥取方面にいくと砂の海岸が増えるらしい。
まずは大山町の御来屋漁港の脇からスタート。
とりあえず宿から近い海岸へと降りてみると、漬物石みたいな角の取れた丸っこい石が一面に転がっていた。波は穏やかで、海中の石には緑色の藻が生えている。
ミミズハゼが潜むには石が大きすぎるような気もするが、とりあえずここからスタートしてみようか。
望んでいる砂利浜とはちょっと違うかな。
近所のスーパーで買ってきたイカのゲソを握って、波打ち際へと前進する。
ここにミミズハゼはいるのだろうか。いるような気もするし、いないような気もする。
いたらいいなという気もするし、もうちょっと探しまわりたい気もする。
緊張の第一手。
イメージだとこぶしをグイグイっと埋め込む感じなのだが、この石の大きさではそうもいかない。
藻で滑る大きな石と石の間に、そっとグーにした手を押し付ける。
この海からどんな反応が返ってくるのか、全く読めない。どのくらい待てばいいのか、どんな感触が伝わってくるのか、握る力加減はどれほどが正しいのか。
イカゲソを握ったこぶしに全神経を集中しているため、気が付けば手を水に入れた瞬間から息を止めていた。当たり前だが顔は水面より上なのだが、なぜか素潜りをしている気分になってしまうのだ。
息を止めて手を突っ込む。
プハー。息が続くまで手を沈めたが、まったく反応が返ってこなかった。
そりゃこんな浅い波打ち際で、人間の手の中にあるエサにアタックしてくる強気の魚なんて日本の海にいないだろという気になってくる。
こりゃダメかと思いつつも、一応何か所か場所を変えてみると、手にカサカサと何者かが触れてくる感じが伝わってきた。なにかいるね。
そいつは指の隙間に入り込もうとしているようだ。見えない場所で俺の手に何かが寄ってくるという、ちょっとした恐怖体験。
しかしこれは身に覚えのある感覚だ。お目当てのミミズハゼではなく、カニがエサに寄ってきたのだろうと判断したところで、遠慮気味に指の肉を挟まれた。
砂利浜を探して東へ移動する
最初の浜は早々に見切りをつけて、予定通り海岸線を東へと移動することにした。
この大きな石が転がる海岸から鳥取砂丘の間のどこかに、ミミズハゼが住むのにちょうど良い砂利浜があるはずだ。
今回初めて訪れた鳥取県で、変化にとんだ海岸線を眺めながら、レンタカーでゆったりドライブするという贅沢な時間。ただ求めているのは美しい景色ではなく、適度な粒の砂利浜である。
すごく魅力的な浜だが、求めている感じではない。
海岸線というのは、都合よく車で走れる道が続いている訳ではないので、一番海寄りの道を走っていても、海は見えたり見えなかったり。
次に見えてくる海岸こそが私の望んでいる砂利浜であるはずだと期待しっぱなしの状態で、慎重に車を走らせる。久しぶりに味わう冒険の旅だ。
最近よく思うのだが、私はこんな感じで、なにかを探し求めるという行為こそが、一番好きなのかもしれない。これで結果が伴えば完璧なのだが。
そろそろ砂利浜だろうと思ったら、それを通り越して砂浜が現れたぞ。
鳥取の海はどこも綺麗だった。どの浜も、釣りをしたり海水浴をするには魅力的であり、じっくりと探索したい海ばかり。
ただ残念ながら、ミミズハゼを捕るのに向いている海だけが見つからない。こんなに楽しそうな海を前にして、本当にいるのかわからないミミズハゼだけを探すという鳥取の無駄遣い。
堤防を挟んで、左は砂浜、右は大きな石の浜。その間の砂利浜がない!
もし今日みつからなかったら、たぶん明日も探すことになるだろう。なにやっているんだろうという気もするが、やっぱりどうしてもミミズハゼを捕りたいのだ。
このまま東へと進んでいき、ようやく理想の浜を見つけたと思ったら、そこは富山だったというオチが頭に浮かんできた。
それっぽい浜をようやく発見!
少し大きく移動しようと国道に出て、東へ向けて走っていると、パーキングの端に私が求めているのに近いサイズの石が積まれていた。
石釜のピザ屋かと思ったら違った。「鳴り石の浜」というノボリが立っているが、こういう石の浜があるということだろうか。鳴り石ってなんだ。
ちょっとまだ大きいけど、あの石はミミズハゼが住む雰囲気に近い気がする。
早速、パーキングの脇から海へと降りていくと、そこにはひまわり畑が広がっていた。
夏なのはわかった。わかっている。今日のところはその先の海に用があるのだ。
ひまわりが高すぎて浜の様子が見えないよ。
だめだ、ちょっと落ち着こう。こういうときに慌てすぎると、転んで足をくじいたり、携帯を落として割ったりしがち。
大切なのは平常心。喜ぶのはまだ早い。見事に咲いたひまわりをじっくりと眺め、息を整えてから歩き出したのだが、海へと続く遊歩道の砂利の大きさが、まさに理想とする石のサイズだった。
だめだ、もう心が落ち着かないよ。
これこれこれ、この石の大きさこそきっとベスト!
速足で理想の砂利道を下った先には、ちょっと大きめの丸い石が敷き詰められた、広々とした海岸が広がっていた。
うーん、微妙。今までで一番それっぽいけれど、ちょっと石が大きいか。
これが鳴り石の浜だそうです。
海岸というよりは下流域の河原っぽい雰囲気の浜には、「鳴り石の下から伏流水の音が聞こえますよ」と書かれた看板が立っていた。
看板の下は50センチほど掘り下げられており、耳を近づけると確かにチョロチョロと水の流れる音がする。自分の足の下で水が流れているなんて、なんだか不思議な感じだ。
伏流水とは、地下を流れる水のこと。きっと大山(だいせん)周辺の山々から流れてきた御利益のある水なのだろう。
ミミズハゼは海水と真水の混じる汽水域、あるいは地下水内を好むらしいので、この伏流水が流れ込む浜こそが安住の地なのでは。何者かの力によって、自分がミミズハゼへと導かれている感すらある目印だ。
あとの問題は石の大きさだけだが、波打ち際まで来てみると、波をかぶって濡れている場所から先は、石の粒が少し小さくなっているではないか。
これは絶対にいる。
波に濡れて黒くなっているところは、石の粒が小さい!
寄せる波で石が転がり、カラコロと鳴っている。だから鳴り石の浜。「よく鳴る=良くなる」ということで、縁起がいいそうです。
ミミズハゼを捕まえた!
状況証拠は十分にそろった。後はその姿を拝むだけ。
浜から海への斜度が結構な角度で、転げ落ちそうになるのをこらえつつ、なるべく平らな波打ち際を選んで腰を据える。
今度こそはいけるはず!
いざ、勝負。大小混ざった石の中へと、イカを握った手を突っ込む。イカ、勝負。
ふん。やっぱり息を止めてしまうね。
でてこい、ミミズハゼ!
そこそこ荒い波を受けながら、こぶしを大地に突きたてて待つ。一発目から食いついてくるかなとも思ったが、さすがにそこまで甘くはなかった。
観光客が遠くからこちらを気にしているが、声は掛けてこないので助かる。ものすごく説明がしづらい状況なので。
やっぱりこんな方法で野生の魚が捕れるわけないないよなーという考えがよぎり始める中、3度目のアタックで反応があった。
なんかいる!
ひー。うわー。うおー。
心の中で声を上げてしまった。握った手の隙間から、小指ほどの太さのヌメヌメニョロンとした生物が入り込もうとしてくるのだ。これか、これがミミズハゼのアタリなのか。
少しだけ握る力を緩めて、中へとしっかり入りこんできたところでギュッと力を込める。指と指の間でうごめく軟体動物っぽいなにかを確保!
あれ、ギンポかな。いや違う、ミミズハゼだ!うおー!ミミズハゼだー!捕った―!
イカを握った手からドジョウみたいな魚が出てくるというマジック!※捕った時の前半が撮れてなかったので、映像をつないでいますがご容赦ください。
意外と大きくて、一瞬ギンポという似た魚かと思ったが、どうやらミミズハゼに間違いないようだ。ミミズハゼとしては最大のオオミミズハゼという種類らしい。海岸の石が大きいから個体が大きいのかも。
手づかみで生物を捕まえようとするときは、だいたい逃げるのを追うものだが、こんな冗談みたいな方法もあるのか。
竿も網も針も使わないからこそのダイレクトな肌感覚に身もだえしてしまう。そしてただ強引に手づかみで捕るのではなく、罠を仕掛けて向こうから来るのを待つという作法が味わい深い。
石から魚が湧いてくる不思議な感じは、なんだか地球の裏側にあるブラジルから召喚している気分になる。漫画やアニメに詳しくないので例えるべき作品名がでてこないが、地面から蟲を召喚する術を使えるようになった気分だ。
これがミミズハゼか。体型はハゼというよりもドジョウっぽい。そして表面の質感がイワナやサンショウウオみたいだ。
今までにそこそこいろいろな生き物を捕まえてきたけれど、この達成感と感触はまったくの初めて。最高だよ、ミミズハゼ。
確実性の高い富山ではなく、情報のまったくない遠く離れた鳥取の海で捕まえたという喜びも大きい。
恥ずかしがって顔を隠すミミズハゼ。
ありがとう、鳥取の海!
一匹捕れさえすれば、この場所を信じることができるので、あとはもう何匹でも捕れる。手を三回突っ込めば、必ず一回は食いついてくるという感じ。ものすごく楽しい。
すぐに全身がずぶ濡れになったが、帰りに温泉へ入ろうと思っていたから着替えならある。水中で転がる石が手にガンガン当たってくるけど、丸いからそれほど痛くはない。
もしかしたらもう二度と体験できないかもしれないミミズハゼとの対決を、余すことなく味わった。
こんな感じで指の間に頭を突っ込んでくるんですよ。たまらん。
全身びっしょびしょ。でも最高に楽しい。
ミミズハゼという魚はものすごくアグレッシブで、手の中に握ったイカに噛みつくと、まるでウツボのようにグルングルンと体を回転させて、強引に奪い去ろうとする。
実際、何度もイカを強奪された。エサに魚の切り身などに比べて断然丈夫なイカゲソを使う理由がよくわかった。どうにかミミズハゼを握っても、ニュルンと逃げられることも多々。いやー、おもしろい。
ミミズハゼの生息できる環境が残されていることに、感謝せずにはいられない。
意外と狂暴!この姿をみてしまうと、生きたまま丸飲みする勇気はないなー。
不思議なことに、最初に訪れた浜にはカニやフナムシがたくさんいたが、この浜には生き物の気配がまるで感じられない。
波が荒いからというのがその理由だろうが、石の隙間に潜んだミミズハゼが、すべてを食い尽くしてしまうのではと思ってしまう。
この鳴り石の浜なんていうロマンティックな場所にこっそりと生息するミミズハゼに、富山の「あぶらぎっちょ」みたいな名前を付けてあげたい。水木しげるが生まれ育った鳥取らしく、妖怪っぽい名前を。まったく思いつかないけど。
妖怪っぽさがすごい。
ハゼの仲間は腹びれが吸盤状になっているのが特徴(例外もあるけど)。これはマハゼ。
ミミズハゼもハゼの仲間だけど、石の間に潜むという生活様式に合わせたのか、腹びれはとても小さい。
たっぷりと遊ばせていただき、その味を確認するのに十分な分を確保。そう、これを食べるのだ。
場所探しから捕獲に至るまで、ものすごく充実感のある一日で、長々と文章を書かせていただいたが、最初の浜に手を突っ込んでから、ここまで2時間半しか経っていなかったりする。
我が人生でも有数の濃密な時間だったと思う。
捕まえる様子と泳ぐミミズハゼの映像をどうぞ。
いやー、楽しかったなー。
ちょっとだけゴミ拾い。
ミミズハゼを食べてみる
持ち帰ったミミズハゼの料理方法だが、大きさが大きさだけに、そのまま焼くか、あるいは揚げるのが正解だろう。
とりあえず丸のまま油で焼いてみたところ、身はホロホロと柔らかく、骨が煮干しやシシャモ程度に固く、内臓に確かな苦みがあった。
食べなくてもいいような気もするが、一度は食べておきたいのだ。
この骨の硬さ、内臓の苦みをどうとらえるか次第だが、酒のツマミにはなると思う。
今まで食べた中で一番近いのは……檜枝岐村でいただいたハコネサンショウウオだろうか。
嫌いじゃないです。
続いては唐揚げにしてみよう。
内臓の苦みがちょっと気になったので、どうにかして引っこ抜き、塩、胡椒をして、片栗粉をまぶして揚げてみた。
サクッと揚げてみました。こうなるとドジョウと区別がつかないね。
やはり揚げた方が骨は気にならず、内臓を抜いた方が苦味はなくなる。ただ、特に個性も無くなっちゃうかな。サクサクに揚げれば、なかなかうまいけど、ウナギやギンポのような他に替えの効かないうまさではない。自分で捕ったという思い入れがあってこその味わいだろう。
食べることを目的にわざわざ捕るような魚ではないので、漁師さんも存在を知らなかったのだろう。だが自分の手で捕る行為は最高に楽しかった。
値段はつかないかもしれないが、とても価値のある魚、そして貴重な自然環境だと思うのだ。
ミミズハゼは条件さえ揃えば全国の海や河口にいるらしいので、今後は砂利の浜を見かけるたびに、イカゲソを握って突っ込む人生になると思う。
もしこれを読んで捕ってみようと思った方がいれば、波の荒い日を避けるなど、安全に十分配慮して挑戦してみてください。捕るのが楽しい生き物なので、無理に食べる必要はなく、持ち帰る場合も味見分程度で十分だと思います。
■参考サイト:
ざざむし。「夏といえばあぶらぎっちょ」