雪に閉ざされた尾瀬を諦め、ミニ尾瀬公園へ
檜枝岐村を訪れた主目的は歌舞伎の見学だったのだが(参考記事「
福島県の秘境『檜枝岐村』で江戸時代から続く歌舞伎を見てきた」)、私は生まれてこのかた尾瀬にいったことがなく、できれば足を延ばしてみたいと思っていた。
しかし尾瀬はまだシーズンに入っておらず、観光の拠点である御池駐車場は雪がうず高く積もっている状態であった。
平年よりも雪解けが遅いらしく、御池駐車場は絶賛除雪作業中であった
登山道は当然のように雪に覆われており、まだ冬山といった感じである
いちおうトレッキングの装備は用意してきたものの、あいにく天気も芳しくなかったことから、尾瀬の散策はきっぱりさっぱり諦めた。
代わりといってはなんだが、檜枝岐村に尾瀬の環境を模した「ミニ尾瀬公園」なる施設があるとのことで、そちらに立ち寄ってみることにした。
檜枝岐村中心部から尾瀬側に少しいったところにある「ミニ尾瀬公園」
いくつかのエリアに分けられており、それぞれの環境の植物が見られるようだ
まずは山野草エリアへ――ほぉ、桜に渓流と実に風流じゃないか
浅瀬には水芭蕉が植えられており、尾瀬らしさを演出している
正直言ってあまり期待していなかったのだが、これが思いのほかに楽しめた。尾瀬の大自然に比べればささやかな庭園といった感じなのだろうが、ぶらぶらと散歩するのにちょうど良いスケールである。
そんなおり、ふと足元に黄緑色のポンポンが生えているのに気が付いた。
それこそが、フキノトウである。ちんまりとかわいらしいものだ
こっちにも生えている。しかも複数
おっと、こちらにも立派なフキノトウがあるではないか
……って、よく見るとうじゃうじゃ生えてる?!
ちょっと生えすぎじゃないですかね……(点々と見える黄緑色のすべてがフキノトウ)
これまでフキノトウといえば、雪を割って顔を出す春の使者というようなイメージであった。そんな健気で可憐な植物だと思っていただけに、まるで雑草の如く繁茂するフキノトウには唖然とするばかりだ。
特に桜並木の下にはドン引きするくらいに生えており、桜の為に与えた肥料を根こそぎ奪っているかのようであった。まさかフキノトウがこれほど暴力的なまでの生命力とたくましさを持ち合わせているとは、まったくもって驚きである。
お次に向かったのは、高山の砂礫地を模したエリア「ロックガーデン」だ
説明文によると、ここは土壌に栄養が少なく、雨風にさらされる過酷なエリアだそうだ。だがそのような環境をあえて好む、小さくて可愛らしいタフな花が咲くらしい。
その過酷な環境ゆえか、あるいはまだ季節が早すぎるためか、ゴロゴロと岩が転がるロックガーデンに花を咲かせる植物は見当たらない。そう、ただのひとつを除いては――。
他に花が咲かない環境でも、フキノトウは当たり前のように生えている
特に水辺には、気持ち悪いくらいに茂っていた
湿原を模したエリアでは、フキノトウの独壇場だ
これはもはや、フキノトウ畑といっても良いのではないか?
結局のところ、園内のすべてのエリアにフキノトウは生えていた。水気を含んだ場所ならばどんな土壌でも繁殖できるようで、いやはや、本当、どこもかしこもフキノトウである。
フキノトウはその名の通りフキの薹(とう、花茎)だが、フキ自身は地下茎を横に伸ばして成長する。ひとつの株から複数のフキノトウが発生するのだろう、何箇所かに密集して群生しているように見え、それはまるでコロニーを作る細菌のようでもある。
朽ちた木材にも、フキノトウは生えるものなのだ
路地にはみ出た枯草にもフキノトウ。土のない場所にも根付いている
地下茎は深く張らずに広く浅く伸ばしているようで、このような不安定な場所でも育つことができるのだろう。ちょっとでも水気と栄養があればポコポコ地表に現れる。フキノトウは貪欲だ。
側を流れる川岸にもフキノトウが花茎を伸ばしていた
護岸の石積みの隙間にも生えている。フキは綿毛を飛ばして増えるそうで、このような場所にも入り込めるのだろう
って、川の中にもフキノトウが生えてるんですけど! 急流に耐えてるんですけど!
さすがに川の中にまで生えているのには我が目を疑った。この日は雨で増水していたので普段は水に浸からない場所なのかもしれないが、それにしても冷たい激流に仁王立ちでよくぞ耐えているものである。
私が最初に思い描いていたフキノトウ像はどこへやら。健気や可憐とは対極に位置する、豪快そのものな植物である。
あまりに増えすぎたのだろう、雪の上に刈られたフキノトウが打ち捨てられていた。無残である
檜枝岐村で知った、本当のフキノトウ
ミニ尾瀬公園でフキノトウの驚異的な繁殖力を目の当たりにし、私がこれまでフキノトウに抱いていたイメージはすべて幻想であることが分かった。フキノトウの本当の姿を知ることができて、これはこれで目覚めさせてもらった気分である。
それにしても、なぜ私はフキノトウに対して健気で可憐なイメージを持っていたのだろうか。いろいろと思いを巡らせてみたところ、小学校の教科書に載っていた工藤直子さんの「ふきのとう」という詩に行きついた。
ふきのとうが雪の下から頑張って顔を出すという内容なのだが、その芽吹きの表現が面白くて失礼ながら爆笑した記憶がある。だからこそ、その詩で描かれていたフキノトウの姿が記憶に焼き付いていたのでしょうな。
民宿の夕食ではフキノトウをはじめとした山菜を頂きましたが、大変美味でございました