2ブロック内に5つの発祥の地
やってきたのは横浜市の日本大通り……の、1つ東隣の通り。関内地区にあるこの付近は、横浜港開港の際に外国人居留地となった場所だ。この通り、街区にして2ブロック以内のところに5つの発祥の地がひしめき合っている。ラーメンだったらちょっとした激戦区である。
この風景の中に発祥の地が5つあります
ちなみに、横浜市は開港した6月2日を「開港記念日」と定めていて、その日は市内の小中高はほとんどお休み。港は開いたが校門は閉じてしまう。
うまいこと言ってみたが、ただうちの子供たちがうらやましいだった。いいなぁ6月に祝日……と休みに思いを馳せつつ、「消防救急発祥の地」から見ていこう。
「消防救急発祥の地」。上には「旧居留地消防隊 地下貯水槽」とある。この碑のすぐそばには……
地下貯水槽が遺構として保存されている。ビジネス街の真ん中に突然の遺構
この貯水槽は明治4年(1871年)に作られ、昭和47年(1972年)まで使われていたらしい。101年使われて45年保存されている。日本初の消防車と救急車もここに配置されたと知り、へ~と思いつつ後ろを振り向くと、道路を挟んだ向かい側に「ホテル発祥の地」がある。
今はツタでもじゃもじゃの建物だけど……
「ホテル発祥の地」である。1860年にオランダ人が作った「ヨコハマ・ホテル」があった。ビリヤード室やボーリング室も備え、シーボルトやクラークも泊まったそう
ホテルといえば、朝食のバイキングでいつもパンを食べ過ぎてしまう。ふかふかでうまいんだよなぁ~とパンのことを考えながら50mほど北に歩けば、ようこそここは「近代のパン発祥の地」です。
「近代のパン発祥の地」。パンが生まれた場所ではなく、1860年に日本で初めてパン屋が開かれた場所なので「近代のパン」という名称に
当時から美味しそうなパンが焼けてたんだなぁ、と写真を見たら(イメージ)だった
現地でこの碑を見つめていると、右後方に発祥の地オーラを感じることだろう。慌てずゆっくりと振り返ってほしい。そこにあるのは「電話交換創始の地」だ。
「電話交換創始の地」。横浜電話交換局があった場所で、1890年に横浜市内および横浜-東京間で日本初の電話交換業務を開始
さらに50m北には「日本基督公会発祥の地」である横浜海岸教会が。日本最初のプロテスタント教会である
3つの発祥の地はこんなに密集している。ドラゴンボールもこれくらいの範囲にあればあっという間に願いが叶うのに
ノンジャンルで繰り出される発祥の地の波状攻撃。「あ~発祥した発祥した」と、お腹をさすりたくなるところだが、港・横浜はまだ許してくれない。お隣の日本大通りには、1つの交差点に3つも「発祥の地」があるのだ。もう、どんだけだ。
上:電信発祥の地(電報)、左下:外国郵便創業の局、右下:上下水道発祥の地。電信発祥の地の電波出てる感がたまらない
まとめるとこんな感じ。コンビニや歯医者よりも発祥の地がたくさんある。上下水道発祥の地は、みなとみらい線日本大通り駅の構内(地下)にあります。
広まってしまえば発祥の地
8つの発祥の地を並べてみると、郵便や電話、水道といったインフラが多く発祥していることに気づく。今では空気のように当たり前の存在が、だいたい同じ場所から始まっているのって面白い。
ちなみに僕の地元・宮城県では「回転寿司発祥の地」「冷やし中華発祥の地」を謳っていた。最初は面白食べ物を作った店でも、全国に広まってしまえば発祥の地である。しめしめだ。
外国郵便創業の局(横浜港郵便局)にあった「郵便は世界を結ぶ」の像がかっこよかったです