特集 2017年5月22日

重要文化財になるらしい日本初のダムを見てきた

言いようのない風格を感じます
言いようのない風格を感じます
長崎県長崎市にある本河内高部(ほんごうちこうぶ)ダムは、明治24年に造られた日本初の水道用ダムだ。それ以前からあったものは基本的に「ため池」なので、日本で最初に「ダムとして造られた」ダムと言っていいと思う。そんな本河内高部ダムやその周辺施設が、国の重要文化財に指定されることになったという。

そしてなんと、そんな貴重なダムを見学させてもらう機会を得たので、長崎まで行ってきた。
1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
(動画インタビュー)

前の記事:昔の時刻表で上野発の夜行列車を見送る

> 個人サイト ダムサイト

名乗ってて良かった

重要文化財は、国の文化審議会という組織が全国の価値ある文化財を調べ、ふさわしいものを文部科学大臣に伝え、官報に告示されたところで晴れて指定、となるらしい。

本河内高部ダムは、ちょうど文化審議会が大臣にこのダム推しを伝えたところ、というタイミング。ここまで来ると近日中の重文指定はまず間違いないのだろう。マスコミ向けの説明会が行われることになり、現地の新聞社の方から「見にきませんか」とお誘いをいただいた。ダム好きとして新聞の記事にコメントを載せてもらえるうえ、説明会にも入れてもらえるというのだ。

ダムライター名乗ってて良かった。二つ返事でお願いした。
というわけではるばる来たぜ長崎!
というわけではるばる来たぜ長崎!

「報道陣」に紛れるダムライター

現地に着くと、現役の浄水施設のため通常は一般立入禁止の本河内浄水場の敷地内に案内された。浄水場の上流側にそびえる本河内高部ダムと、浄水場の配水池、そして少し下流に設置された本河内低部ダム、この3つが「本河内水源地」として今回、重要文化財の対象施設となった。
浄水場の建物の奥に見える緑の堤防が本河内高部ダム
浄水場の建物の奥に見える緑の堤防が本河内高部ダム
堤体のふもとまでやって来ると、既に多くの報道陣がスタンバっていた。ダムや浄水場を管理する長崎市上下水道局の方の案内のもと、近代化遺産に詳しい長崎大学の岡林名誉教授による解説が行われるという。楽しみだ。
「報道陣」の一員の自覚がないのでこんな写真を撮ってしまう
「報道陣」の一員の自覚がないのでこんな写真を撮ってしまう
本河内高部ダムが造られたのは明治24年。開国後、外国との交流が盛んになると、居留地のある港町を中心にコレラが大流行した。そこで上水道建設の機運が高まり、明治20年に横浜、明治22年には函館で完成した。長崎では当時の市の年間予算の7倍以上をかけて建設が進められ、横浜や函館が川から直接水を引いているのに対し、初めてダムに水を貯める方式が採られた。

飲み水を確保するために堤を築いて水を貯め、浄水場から各地に配水する。今でこそ、大きな都市はどこでもやっている当たり前のシステムだけど、それは長崎から始まったのだ。
この堤体が日本のダム開発の幕を開けた
この堤体が日本のダム開発の幕を開けた
まだセメントが国産化される前で、コンクリートのダムを造る技術がなかったため、ダムの型式は土を盛り立てて造られるアースダムという型式。しかし、中心部分に水を通さない粘土の壁を立てるなど、技術的には現代でも遜色のないレベルで建設されている。

中心部分には、取水塔から取り込まれた水が通ってくる導水管が通っていて、その管を維持管理するためのトンネル入口が口を開けている。また、その周りにはダムの上に登るための階段があって、手すりや柱などには現代のダムにはない、当時の石工の技術の粋を集めた意匠が施されている。
ダムとして決して大きくはないが重厚な存在感
ダムとして決して大きくはないが重厚な存在感
周りの報道陣の方々とともに、岡林先生からそんな話を聞いた。これまでダムを調べて来た予備知識などもあって、話がするすると頭に入ってくる。決して自慢ではないが、あそこにいたメンバーでいちばん内容が理解できていた自信がある。

ダム好き垂涎の場所へ

その後「では上に登ってみましょう」という声で、みんなが堤体の階段を登り始めた。やった!ここはふだん立入禁止で、こんな機会でなければあの階段を登ることはできないのだ。正直、このために長崎まで来たと言っても過言ではない。

重そうなカメラや音響のマイクを担いで階段を登るテレビスタッフの後ろを、あそこにいたメンバーでいちばんレジャー感覚で登った。
ぞろぞろ
ぞろぞろ
階段を上まで登りきって天端に出ると、その向こうには本河内高部ダムの貯水池が広がって…いなかった。
いちばん上まで登ってきた。目の前はこのダムの水が送られる浄水場
いちばん上まで登ってきた。目の前はこのダムの水が送られる浄水場
そして上流側には貯水池が…なかった
そして上流側には貯水池が…なかった
天端から上流側を見ると、そこはちょっとした広場で、その向こうにコンクリートの低い壁があった。

実はこのコンクリートの低い壁こそ、現在使用されている本河内高部ダムである。長崎県は1982年夏に猛烈な豪雨に襲われ、長崎大水害という大きな災害が発生した。それ以降、水道専用だったこの本河内高部ダムにも洪水調節の役割を持たせることになり、旧堤体を保存しながら、すぐ上流側にコンクリートのダムを建設したのだ。
上流側(左側)は真っ平ら
上流側(左側)は真っ平ら
旧堤体と新堤体の間の窪みは埋められ、導水管点検用トンネルの一部が展示されていた。(旧)本河内高部ダムはダムとしての役割はなくなったけれど、日本のダムの始祖ということで堤体は壊されることなく保存されていたのだ。
ほかの報道陣は誰も撮っていなかったけど、ダム好きとしては堤体と同じくらい洪水吐も気になる
ほかの報道陣は誰も撮っていなかったけど、ダム好きとしては堤体と同じくらい洪水吐も気になる
いったん広告です

半地下の配水池へ

(旧)本河内高部ダム堤体の階段を降り、浄水場の敷地に戻ってきた。ここにある配水池も今回重文指定になるとのことで見学する。
これが配水池(の上部)
これが配水池(の上部)
とは言っても、現在も使われている配水池は気温の影響から水を守るため、深さ3.9mのうちおよそ3mが地下に潜っている。美しいアーチが連続しているという天井部分も上が土で覆われ、単に一段高いステージのようなものにしか見えなかった。

当日配布された資料には、まるでヨーロッパの大聖堂のように天井が優美なアーチを描いている、水の抜かれた配水池内部の写真があった。いつか点検などで水を抜くことがあったら、ほんの少しだけでも内部を公開してもらえないだろうか。
仕方ないので何か歴史のありそうなものを、と思ったけどこれは昭和36年のもの。微妙!
仕方ないので何か歴史のありそうなものを、と思ったけどこれは昭和36年のもの。微妙!

本河内低部ダムへ

続いて、数百メートル下流に設置されている、本河内低部ダムへ向かった。高部ダムの完成から12年後の明治36年に完成したダムで、こちらも本河内水源地の一部として重要文化財の指定が内定している。

本河内低部ダムは、高部ダムの完成後、市町村の合併や埋め立てなどで長崎市の面積が大幅に拡大したことに伴って人口も大きく増えたため、水道を拡張するために建設された。12年間の間に国産セメントも登場し、明治34年に神戸市に完成した布引五本松ダムに次いで、国内2番目のコンクリートダムとして誕生した。
住宅街の奥に黒い壁が現れる
住宅街の奥に黒い壁が現れる
これはすばらしい!
これはすばらしい!
この当時のコンクリートダムは粗石コンクリートダムと言って、現在と違い、型枠として石を積み上げ、その中にコンクリートを流し込んでいる。したがって固まったあとも表面に積み上げた石が残り、重厚感あふれる外観が特徴。本河内低部ダムの場合、下流側はコンクリートブロック、上流側は自然石をブロック状に加工したものを使用しているという。
下流側はコンクリートのブロックを積み上げているので表面が滑らか
下流側はコンクリートのブロックを積み上げているので表面が滑らか
重厚な堤体を眺めながら階段を登っていくと天端に出た。ここも普段は立入禁止なので、帰りの飛行機代の元を取った感がある。堤体の脇に放流するための水路があって、そこに橋が架かっているのだけど、岡林先生曰く、この小さな橋こそ、日本で初めての鉄筋コンクリート橋らしい。意外なところにあった!
人目につきにくいこの橋が日本で最初の鉄筋コンクリート橋
人目につきにくいこの橋が日本で最初の鉄筋コンクリート橋
また、底部ダムも高部ダム同様、長崎大水害を契機に洪水調節の役割を持たせるため、改修工事が行われた。その際、耐震補強も行われたのだけど、見た目を極力変化させないため、湖に沈む上流側に肉付けする形でコンクリートが継ぎ足された。

そして、その部分になぜか歩道が作られ、天端から階段で降りて行けるようになっている。
わざわざ歩道をつけるというファンサービス(?)
わざわざ歩道をつけるというファンサービス(?)
そのおかげで上流側の自然石ブロックも愛で放題だ。
110年以上前に積まれたブロックである
110年以上前に積まれたブロックである
低部ダムはすぐ下流が公園のように整備されていて、天端に上がる歩道もある。通常は立入禁止だけど、天端と補強部分を結ぶ歩道を通って1周できるので、誰でも気軽に見学できるようにしてもらえないかなと思う。
いったん広告です

もうひとつの文化財級ダムへ

ところで、長崎市の人口増加に伴う水源の拡張は本河内低部ダムだけではなかった。すぐ近くを流れる川にも同時進行でダムが造られ、本河内低部ダムの翌年、明治37年に完成した。西山ダムである。当然こちらも見に行ったので紹介したい。
これが西山ダムだ
これが西山ダムだ
あれ、何かおかしいと感じた人は鋭い。この西山ダムは新しく、平成11年完成である。そう、西山ダムも長崎大水害を契機に洪水調節の役目を与えられ、改修されているのだ。

では明治時代の西山ダムはどこにあるのか。

新しい西山ダムの上に立って、湖の方向を眺めてみた。
湖の中に壁がある
湖の中に壁がある
この壁が、110年以上前に完成した元祖西山ダムなのだ。本河内高部ダムとは逆で、こちらはもともとあった堤体のすぐ下流に新しい堤体を建設し、元祖西山ダムは役目を終えて堤体に水を通す穴が開けられ、新しい西山ダムの貯水池内に保存されているのだ。

完成した時代も担ってきた役割も本河内高部・低部ダムと同じだけど、不運なことに、運用されているダム湖の中にあるために調査がしづらいのか、西山ダムは今回重要文化財指定とはならなかった。
いつか重文仲間に入れるといいのだけど
いつか重文仲間に入れるといいのだけど

ダムも歴史を語る

港町長崎の近代化を支えた日本のダムの始祖たち。役目を終えて新しいダムに立場を譲ったり、新時代に対応するため改修を受けたり、平地の少ない街に住む人々を守るためにそれぞれの役割を果たしてきた。

重要文化財指定を機に、ダムも長崎の歴史を紐解く観光地のひとつとして盛り上がったらいいなと思っています。
本河内低部ダムには改修でダム穴もできた。ここに水が流れ込む事態になったら大変だけど。
本河内低部ダムには改修でダム穴もできた。ここに水が流れ込む事態になったら大変だけど。
▽デイリーポータルZトップへ

デイリーポータルZを

 

▲デイリーポータルZトップへ バックナンバーいちらんへ
↓↓↓ここからまたトップページです↓↓↓