納豆のタレを納豆以外にかける
納豆を食べるとき、開封後のタレの袋に付着するわずかな残液(残タレ)を、ついチューチューしてしまう。むしろ、あれをなめたくて僕は納豆を食べているといっても過言ではない。
からしは使わない派です
その調合は思ったより複雑そうだ
死ぬ前に口にしたい食べ物は納豆ではないが、「死ぬ前になめたいタレ」であれば納豆のタレは有力候補の一つである。
そんな「納豆のタレ」から「納豆の」という枷を外す。ただの“うまいタレ”として、その可能性を探ってみたい。
というわけで、タレを集めた
10袋で約50ミリリットルだった
試しにスプーンでひと口すすってみる。すると、フグ刺しを箸でまとめてかっさらうような興奮と背徳感を覚えた(そんな長嶋茂雄みたいな経験はないのだが)。最初の口あたりはガツンと濃い。その後、だ液と混ざることで濃い味が中和され、甘みと旨みが口いっぱいに広がっていく。やはり旨いタレだ。
さて、まずは「ちくわ」にかけてみる。
ちくわにかけます
ちくわがおかずとしてそのまま出てきたら少しわびしいが、タレを数滴たらすだけで、グレードアップしたような気がしなくもない。僕がこのタレを特別視しているからそう感じるだけなのかもしれないが。
肝心の相性はというと、悪くはない。醤油をかけると醤油味、マヨネーズだとマヨネーズ味になってしまうが、このタレは本来のちくわ味を損なわず、それでいてほんのりとだしの風味をプラスする粋な働きをしている。
なかなか好相性
次にソーセージやアメリカンドッグにたらしてみたら、見た目がなんだか色っぽくなってしまって焦った。念のため女性社員がランチに出ているタイミングを見計らっておいて正解だった。
ふいうちのエロス
まずは不必要になまめかしくなってしまったソーセージを頬張る。これも元の食材の味がしっかりしているためか、タレは脇役に徹している感じがした。
一方、アメリカンドッグだが、こちらはタレの存在感はほとんど感じられず。ころもの甘さにねじ伏せられてしまったか
バイプレーヤー的な働きも渋いが、このタレのファンとしてはもっとタレ自身が前面に出てきてほしい。ならば、相方はもっと控えめなやつのほうがいいだろう。
合わせてみるのは豆腐だ。
豆腐
これはいい。タレの味わいもしっかり感じられるし、それでいて豆腐の甘みも引き立っている。醤油やポン酢には出せない、広がりのある味だ。ワンランク上の冷奴という感じがする。高いビールを開けたくなる。
あとは、もうご飯にそのままかけちゃうのもよかった。
こうなるともはや納豆の立場がないが、納豆のタレは納豆なしでも十分ご飯とやっていける
というわけで、納豆のタレは相方の個性に合わせて押し引きのできる、想像以上に懐の深いタレだった。そういうタレに僕もなりたい。
おまけ
さて、これを書くにあたってそれなりの量のタレを集める必要があったため、しばらくはタレなしで納豆を消費する日々を送っていたわけだが、そのうちにタレに頼らなくてもうまい納豆の食べ方を編み出したので最後に報告しておきたい。といっても、大したテクニックではないが。
(1)納豆をホカホカのごはんにのせる
(2)よく混ぜる
(3)よく混ぜた納豆ごはんに醤油を小さじ2~3杯たらす
(4)また混ぜる
(5)ごはん全体に色がつくまで繰り返す(汚くてすみません)
こうすると、納豆の苦み、えぐみがまろやかになって大変おいしい。タレを使わず醤油だけで、甘い納豆ごはんになるのでぜひお試しください。
タレの可能性を広げよう
誰にだって自分の推しタレがあると思う。それはウナギのタレかもしれないし、玉子豆腐のタレかもしれない。だが、一度「〇〇のタレ」という常識から離れ、その可能性を探ってみるといい。きっと新たな食の扉が開くことだろう。