ラーメン激戦区で味玉くらべをする
「ラーメン激戦区」と言われている場所がいくつもあるように思う。
自宅の近所・高田馬場もそうだ。
歩いているだけで、相当数のラーメン屋に遭遇する
だがそんな好立地に住んでいながら、ラーメン全般にいたってうとい人間がいる。わたしである。
激戦ラーメン=行列、という先入観があった。行列並びたくなさから、ラーメン文化に体当たりすることを極力避けてきてしまった。
好きなラーメンを聞かれたら「美味しいラーメン」という、ぼんやりした解答をしてしまいがちだ
せっかく近所なのだ。激戦地で味玉、食べ比べてみようじゃないか。
1店目「やったる」
「やったる」は、高田馬場駅から歩いて2分くらいのところにあった。お昼時だったので若干混んでいたが、到着してほどなく席に着けた。
威勢のよさそうな名前
メニュー写真の中の味玉が、すでに美味そうだ
100円ガチャで何かしらサービス券が出てくるしくみになっていた
味玉が4等。ガチャの値段を考えれば相応しいジャッジなのだが、味玉好きとしては複雑な心境である。
来た。2分割されている!
ちなみに1店目の訪問にうきうきして思わず、「油そば味付き玉子付き」に味玉をトッピングしている。W味玉だ。さらには、2分割されているから4つに見えるのだ。最高すぎてしまう。
見ているだけでうっとりする
カメラを寄せずにはいられない艶
うつくしい
ビジュアルからはこってり濃厚な印象をうけていたが、食べたら思いのほかさっぱりとしていた。見た目と中身に、大きなギャップを感じる。
「自分、サバサバしている」といいながら粘着質な人の逆バージョンっぽい
写真だと黄身がかなり液体っぽいが、実際はそこまでしたたっていく感じでもなかった
2店目「よし丸」
次は、看板のラーメンの器から豚の尾尻が生えているこのお店だ。
瞬時に、材料に豚を使っているのだと悟った
店頭のメニューがごりごりの味玉推しに見える
この艶を見せつけられたらもう、頼まずにいられようか
ああ、こっちも……
店頭に、こんなグラビア出しちゃっていいのだろうか
来た!たまごと汁の色が、反転しているようにも見える
これ、発光していないか?
割り箸で割ったらひどい形になってしまったが、うるうるである
肉がほろほろ!
今回、味玉に焦点をあてるならば、肉はなんとなく食べる程度にとどめようと
思っていた。だが、この店のお肉たるや。口の中でじわっとほぐれていくさまがもう、チャーシューというよりもむしろ角煮である。
角煮がどどん、と乗っているかんじ
記憶の中のラーメン屋をなぞるような暖簾
生玉子トッピングもある
ネギが食べ放題だった。ラーメンどんぶりがネギで埋まっている姿って……壮観!
おおおお、黒い!
黒い汁の中に浮かぶ味玉は、白さとつるつる感がきわだって見える
焼き飯が気になって頼んでみたところ、視界の中、茶色が占める割合が9割超えした
生玉子にも手を伸ばした
うっとり
たまごをぶすっと刺して放つと、焼き飯とたまごの親和性の高さを感じた。と、そこで思ったのである。味玉も焼き飯の上で食べる方が、美味しいのではないかと。
のせてみた
でも、味玉は味玉だった。合うとか合わないじゃない。焼き飯とは独立して、存在しているというか……
しまった。ひとつ気がついてしまった。味玉って、そばにある炭水化物との親和性があってもなくても、あんまり関係ない気がする。ただそこに置いてあれば、絶対的な正義になってしまう。
どうしよう。今、味玉をラーメンにのせて食べる意義を見失いかけてしまっている。
花見帰りに、ふらっとやってきた
おお。なんだか全体的に、ラーメンの標高が高い
味玉あった!
さらに、半分サイズがあることも発見してしまった
標高の高いラーメンたち、花見直後のお腹に入るのか心配すぎたから無難な道をえらびます
きました。ハーフでもそれ相応のボリュームを感じる
トーンバランスが良いのだろうか。味玉は周囲にすっかり溶け込んでいるように見える
味玉を割り箸できれいに分断出来る方法、あったら知りたい(きたなくてすみません)
で、肝心の味だ。2つ上の写真のキャプションで「周囲にすっかり溶け込んでいるように見える」と書いていたが、そうでもなかった。
味玉とスープの味はそれぞれ、独立した別の存在だった。味玉はだしの効いた味わい、一方のラーメンは辛さが主体だ。目指す方向が別にある。極端にいうと、理系と文系くらいちがうんじゃないだろうか。
でも、むしろ好きだ。ラーメンを味わう合間に、別のおかずを食べているような気持ちになれる。
隠れ家居酒屋みたいなお店の入り口
しっとりと大人びた雰囲気のやつ、きました
味玉は相変わらずつるつる
余談だがメンマが大きいことに衝撃が走った。ネギの下に隠れていたのは、サプライズなのだろうか
箸で割った途端、あふれてきた黄身の液体
すごく、すごく柔らかかった。丁重にあつかわなくてはいけない味玉だと思った。
ここまで「味玉は、ラーメンとの親和性に関係なく美味い」と、言ってきていたけど、これに関してはラーメンとすごくよく合っている。味玉を食べたあと、ラーメンの汁を飲んでうっとりとしてしまった。
この灯り加減、夜遅く仕事終わったあとに見るとたまらない
待っている途中、たまねぎがぽんと置かれていった
おお、きました
巣の中のたまごのよう
さいごまでとっといたところ、うつくしい景色ができあがっていた
思わず接写
そして開封
ああ、良い。時間を止めたい
ぼうっとしていると黄身がどんどん垂れて行っちゃうんだが、呆然とながめていたい気持ちになる。ちなみに味だが、全体としては薄味でさっぱり、黄身はわりとこってりとしていた。
気がついたことには
味玉はお店によって少しずつ異なる味ではあるものの、大きな変化はなかった。なんせ安定性がある。ありすぎていたのだ。
それに対して、ラーメンの振り幅は広い。広すぎていた。6店行ったが、この食べ物のすべてを「ラーメン」という名称1つでくくってしまっていいものなのか、不安になるくらいだ。1つ1つのラーメンが、まったく別の食べ物であった。
結論
味玉はやっぱりどのお店もだいたい美味しいので、どこが1番とかは全く決められなかった。だからむしろ、ラーメンの好みでお店を選ぶのがいいんじゃないだろうか?
「それ、もう知っていた!」という人が沢山いそうな結論に行き着いた気もする。でもこれって、それぞれのお店の気合いのたまものなんじゃないだろうか。
「味玉、どこで食べてもだいたい美味い」というざっくりとした感想を抱けてしまうのは、その気合いの恩恵ゆえなんだと実感として思った。
お金で買える幸せは、味玉だけじゃなかった
やっと。今になってやっとラーメンってこんなに美味かったのか!と開眼した。すべてのラーメンに対してお詫びしたい気持ちだ。
時間を外せば、並ばずに入れるというのも発見だった。お金で買える幸せは味玉だけじゃなかったのだ。小銭にものを言わせて、幸せを買い続けたい。
あとラーメンを食べている時に飲む水、ふだんの5割増ぐらいで美味しいきがするので飲みつづけたい