とくべつ企画「洋食」 2016年11月30日

私たちはなぜどこに行ってもハンバーグばかり食べてるのか?~洋食の歴史~

ハンバーグドリア。私たちはなぜここまでしてハンバーグを食べてるのか
ハンバーグドリア。私たちはなぜここまでしてハンバーグを食べてるのか
ハンバーグ、パスタ、フライものの定食、グラタン類……洋食屋のメニューを見ていると端にはこう書いてあった「すべてのメニューにハンバーグをおつけできます」と。

一体どうして我々はこんなにハンバーグを食べさせられるのか。本場の海外の人はハンバーグばかり食べているのだろうか。

そもそもこの洋食ってなんなんだ。この洋は一体どこの洋なのだ? じっくり聞いてきた。
動画を作ったり明日のアーというコントの舞台をしたりもします。プープーテレビにも登場。2006年より参加。(動画インタビュー)

前の記事:人はどれだけ音を立てて食べられるのか?

> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

「日本洋食協会」の岩本忠さん(写真左)とサイト「日本の西洋料理」の青二才さん(右)
日本洋食協会」の岩本忠さん(写真左)とサイト「日本の西洋料理」の青二才さん(右)

洋食の歴史サイトの人と洋食協会を立ち上げた人

話を聞いたのはサイト『日本の西洋料理』を作っている青二才さんと最近『日本洋食協会』を立ち上げた岩本忠さん。

『日本の西洋料理』は洋食の歴史を調べてるとすぐ行き着く資料のサイトで青二才さんは今もレストランに勤め、日本洋食協会の岩本さんは最近まで銀座の名店キャンドルを経営していたのだそうだ。資料と現場の経験から洋食の話をうかがった。
洋食ってなんなの?

増えていくし変わっていく洋食の世界

――そもそも洋食が何かが知りたいんですが…

青二才「洋食って幅広いですからね。どう線引きするかがものすごく難しい」

岩本「照り焼きって洋食なの? って聞かれたら、うん、まぁそーゆー見方もありますと(笑)。極端な話イタリアンでもフレンチでも自分が食べてうまいなと思ったらすぐ自分の店で出せるっていうのが洋食でもある」

――どんどん増えていっちゃうんだ

青二才「実際今でもフランスから帰ってこられた料理人が日本で店開いてフランスの味そのまま通用するかといったらそうじゃなかったりしますから。

それ用に日本にアレンジしてスパイスとかハーブを減らして醤油とか入れて、でもそれってフランス料理なのかな洋食なのかな?って事はありますよね。

あとパスタはフレンチじゃないけどやっぱり日本人に人気があるんでお昼は出すとか」


なるほど。外国の料理はそもそもそのまま出すと日本人に合わない。お店に出すものってお客さん次第で変わっていくのだ。増えたり変わったりするのが洋食なのか。
「地方にだけある洋食ってあれなんでなんですか? たとえば根室のエスカロップとか」と質問したらエスカロップという料理が当時すでにあったのだと教えてもらった。付け合せにスパゲッティがある。
「地方にだけある洋食ってあれなんでなんですか? たとえば根室のエスカロップとか」と質問したらエスカロップという料理が当時すでにあったのだと教えてもらった。付け合せにスパゲッティがある。

お米に合う西洋料理が洋食

――岩本さんの日本洋食協会では洋食を「お米に合う西洋料理」と定義付けてますね

岩本「本場のフレンチが当時の日本で受け入れ難かったというのは、僕らはやっぱりその、お米を食べたいからなんですよね。

フレンチすごく好きな人ってあんまり洋食好んで食べないんですよ。あの人たちはお酒を飲みたい。

洋食を食べる時ってシチューにしろハンバーグにしろグラタンだとドリアですね、米と合わせるというのが基準になっている」

古賀「あっ、味噌汁出てきますよね、洋食って」

――「日本になじんだ西洋料理」ってことなんですかね

青二才「いや、それがそうとも言い切れないんですよね(笑)!

グラタンとかだと場合によってはフランスで食べてもまったく変わらない料理もありますし、パスタでもそう。食材も作り方も変わらない。

でも幅広く見た中で、どっちつかずの料理が混ざってくるんですよね。海外のものでも和食でもないねって。そこが多分洋食っていうイメージを持たれてるのかな」

岩本「洋食って英語でウェスタンフードってことになるんですよ。

僕はシンガポールにも住んでたんですけど、例えば魚のフライとかぐにゃぐにゃしたスパゲッティーとかがごちゃごちゃっとあるのがウェスタンフード。得体のしれないもの。

でも日本人がそれを鵜呑みにしていて、洋食はウェスタンフードですよって言っちゃうのは違うなあって思うわけですよ。Yousyokuって言葉をつくろうよってこっちは思うんだよね」

ラーメンみたいに日本独自の進化をとげたものとして海外でウケたりしそうなものだが、今はまだなんの注目もないようだ。次のクールジャパンは洋食、あるぞ。
岩本さんは銀座の洋食の名店キャンドルを祖父母の代から復活させた。当時の資料を持ってきていただいた
岩本さんは銀座の洋食の名店キャンドルを祖父母の代から復活させた。当時の資料を持ってきていただいた
洋食の昔から今まで

洋食のはじめ すき焼きも洋食だ

――洋食の最初から今までを教えてほしいんですが

青二才「まぁ歴史をさかのぼればもともと日本全部が寺請制度で仏教になっていたので基本肉を食べないですよね。

その状態から明治維新で一気に開国して西洋の文化が入ってきた、肉料理が入ってきたというのがもともとの始まりなんですけども。それこそすき焼きとか牛鍋なんかもある種洋食みたいな気もする。


基本的には開港した後の横浜や長崎などに居留地ができたんです。フェリス女学院とかもともと日本在住の外国人のための学校ですよね。そこに外国人向けのホテルがいっぱいあったんですよ。外人ホテルといって。居留地ホテル。

中には日本で外国人向けに立てたホテルがあるんです。今でもある精養軒(※現在の上野精養軒)というのはもともと日本で1番有名な古い老舗のホテルですよね」
当時の外人ホテル。青二才さんが持ってきてくれた資料から
当時の外人ホテル。青二才さんが持ってきてくれた資料から

パンなんかいらない、米もってこいや

青二才「居留地のホテルはお客さんも全部外国人でそこに出てくる料理というのは西洋料理なんです。でも働いてる従業員の中には結構日本人がいたんですよね。

こういう人たちがホテルを出て独立して店をやったりといった時にお客さんが日本人になって、味を合わせたり、パンなんかいらないご飯持ってこいと言うお客さんも出てきたんでしょうね。

外人ホテルではご飯出てないでしょう。お客さん外国人ですから」

料理はお客さんに合わせるものだし、西洋料理は居留地から出てどんどん洋食化していくことになる。
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青二才さんは自身もレストラン勤務なので洋食の歴史を調べてるうちにサイトを作るようになった。
青二才さんは自身もレストラン勤務なので洋食の歴史を調べてるうちにサイトを作るようになった。

そもそもホテルの料理がフランス料理だった

――外人ホテルにはどの国の料理があったんですか?

青二才「どの国のコックさんがいたかによるんじゃないですか。フランス、イギリス、アメリカ系とか中国系なこともあるんですよね。上海経由で来る人が多いので半ば通訳みたいな感じで連れてくる。だから居留地に中華街とかできるんですね。


ただ高級料理の場合ですね、フランス料理が多かった。当時のいわゆる西洋の高級料理のスタンダードがフランス料理だったから。

よく言われているのがナポレオン戦争の後の会議で、タレーランというフランスの外相がカレームというすごい腕利きのコックを連れてきて接待した結果、交渉を有利に進めてそれでフランス料理が有名になったって。

それが本当なのかどうかわからないですけど、それでフランス料理がとりあえず世界最高の料理みたいになって、当時ロンドンでもどこに行っても一流ホテルの料理というのはフランス料理がスタンダードなんですね。

あとは当時日本に入ってきた外国人でいうとイギリス人が1番多かったみたいですね。

たとえばビーフシチューといいますけれどもあれも呼び方からしても英語ですよね。カレーもイギリスですよね。イギリス由来の洋食はけっこうある」
明治期に入ってきたホテルの料理はこういうものだったのでは?と
明治期に入ってきたホテルの料理はこういうものだったのでは?と

海軍から広まったカレーや肉じゃが

――海軍が洋食を広めたって話ありますね

青二才「それは絶対あると思う。カレーなんかはそれで絶対広まったんじゃないかって。

当時の軍医の方が西洋人は脚気がないから海軍の食事を洋食にした。そうしたら海軍から脚気がなくなったんです。

あと海軍は海外との接点が多いから洋食屋に行ってマナーを身につけることが義務化されていたみたいですね。精養軒のレシート何枚持ってるかっていうのがノルマだったりとかね。

そうして海軍のコックさんたちが街に広めていったんではないかと。兵隊さんもそれで洋食に慣れたりね」
ところで洋食ってこういう赤っぽいソースのものばかり食べてませんか? タンシチューとか
ところで洋食ってこういう赤っぽいソースのものばかり食べてませんか? タンシチューとか

そういえば私たちはドミグラスソースばっかり食べてないか?

――あ、これ。ハンバーグもそうなんですが、やたらにこういうものを食べませんか洋食って。タンシチューとかハヤシライスも。何の味なのか未だにわかってない茶色い味。これは海外でもちゃんと食べられてるんですか?


青二才「ドミグラスソースは当時のフランスの流行だったんです。

もともとフランス料理も宮廷料理だったので大テーブルに並べるんですよね。そうなると大量に作ってソースなんかもでっかいポットに出したりする。

そうなったときにはドミグラスソースとかホワイト、ベシャメルソースですね。古典料理のソースが5種類ぐらいに分かれてて、肉料理の代名詞がドミグラスソース。 当時一番上等なソースなのでお金はかかるんですけども、まとめて仕込みやすいというのがあったんで。

日本に入った時もドミグラスソースが西洋料理で最高のソースということで猫も杓子もドミグラスソースなんですけど。

実際ドミグラスソースを作るとものすごくお金がかかるし、まともに作ってるところは少ないんじゃないですか洋食屋さんでも。ケチャップやソースやブイヨンの素入れたりとかで」

――ドミグラスソースは本来何でできてるんですか?

岩本「店によって全然違うので牛骨入れたり鳥の頭を入れてる店もあればいろいろなんです」


青二才「何でも入っている感じですね。ポイントとしては当時はベーコンとかハムを入れるんですね。豚と鶏と牛の旨味を全部入れて野菜も入れてとにかく煮込んで煮詰める。つまり旨味を凝縮したソースです」

――それでどこもドミグラスソースとベシャメルソース(ホワイトソース)なんですね

青二才「ほんとに古い昔の洋食屋さんとかそれこそ荒田さん(※当時のレシピ本の著者)のお弟子さんがいるレストランとかはドミグラスソースだけでなく結構いろんなバリエーションもたれてますね」

なるほど、定着する前の最初の方はソースにもまだ色々あったのだろう。私たちが食べてるのは定着した洋食なのだ。
岩本さんの祖父母がやっていた銀座キャンドル。1950年創業。
岩本さんの祖父母がやっていた銀座キャンドル。1950年創業。

戦後洋食にケチャップが入ってきた

――洋食は海軍と外人ホテルのあとは?

青二才「日本は戦争があったんで洋食が一旦断絶してるんですよ。もう敵国の文化だから。で、負けました、焼け野原から、なので。

多分キャンドルさんもそうだと思うんだけど戦後は一旦アメリカの影響受けてるんです。

アメリカから物資をいっぱいもらったのでアメリカ式の洋食屋さんが増えた。ケチャップを多用するようになったのは明らかに戦後からなんですよ」

岩本「うちの祖父が米軍のベースの中で見たのが名物のチキンバスケット。だからキャンドルって昔テーブルクロスが赤白のチェックで籐の椅子で、洋食屋さんっていう雰囲気の」


青二才「アメリカンダイナーって感じがバババッと入ったんでしょうね。多分キャンドルさんは走りの方」

そういえば洋食にはケチャップを使うものというイメージもあるがあれはアメリカの部分なのだ。そしてビーフシチューはイギリスで、ドミグラスソースはフランス……ごちゃまぜになって我々の中で漠然とした「洋食」がある。
昔のキャンドルで働いていた人たち。時代!
昔のキャンドルで働いていた人たち。時代!

本物が入ってきて洋食がバレた

青二才「西洋料理の本場のものが入ってきた黒船と言われてるのが60何年でしたっけソニーさんがやったマキシムドパリ。あれがやっぱ革命って言われていて。

あと戦後は渡航制限があって日本人が外国に行けなかったんですけど60年代ぐらいからだんだん海外に修行に行くコックさんが出てきます。それが70年代ぐらいにがさっと帰ってきた。

第一次フレンチブームっていうんですけどもフレンチの鉄人とか老舗の重鎮の人たちって70年代に帰ってますよね。あの瞬間に新しい最先端のフレンチが入ってきたんです。今まで思っていたフランス料理っていうのは何だったんだって。

フランスの中では当然30年40年の間に進化してますから。ドミグラスソースなんて使わずフォン・ド・ボーですからね。ベシャメルソースもフランスの基本ソースと言われますがもう使いませんから。もう生クリームをそのまま使ってるんですよ」


岩本「だから洋食って言ってますけど日本食なんですよ」

――本物が入ってきてついに洋食がバレた!


青二才「だから今、19世紀とかの大昔のフランス料理をいまだに頑なに大事にしているっていう不思議が残っている。ベシャメルソース(グラタンなどのホワイトソース)とか」

それがすべてではないが、昔に入ってきた当時の料理がそのまま残ってるのが洋食なのだ。(なんか海外の料理っぽくないよな)という違和感はここだ!

――でもなんで日本だけずっと大事にしてるんですか? 戦争で物資も文化も止まったから?

青二才「戦争で時代が止まっために定着したのも、まず理由の一つとしてあるでしょうね。

でも当時から洋食屋の間ではドミグラスソースは金科玉条のように掲げられてた。一方、フランスでドミグラスソースが廃れたのは、飽きられたのもある。そもそもフランス料理には色々なソースがあるので。

日本人にとっては、和食があって中華があってその中での洋食に過ぎないから飽きられなかった。むしろ美味しいドミグラスソースを期待して洋食を食べにいったり」

なるほど、店も人もこれが最高だと思ってるならアップデートされないのか。しかし私の(…なんでハンバーグばっかり食ってるんだ!)という発端は今まさにそれこそ「飽きがきている」というやつではないか。洋食よ、ごめん!
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お客にもお店にもやさしい理想の料理ハンバーグ

――で、ハンバーグなんですけど。そもそもの発端は「すべてのメニューにハンバーグおつけできます」って洋食屋で書いてたことなんですよね。一体なんなんだ、なんでこんなにハンバーグ食べてるんだと。浸透度だけでいうと和食を超えてないかと。ハンバーグって実際にお店やっていても人気なんですか?


岩本「かなりの人気ですよ。大体トップ3には入る。うちはたまたまチキンバスケットとグラタンが有名だったけどやっぱり3番手がハンバーグ。

こちらがハンバーグをごり押ししてるのではなくて選ばれちゃってるんですよね。めったに外れないじゃないですか。こないだ病院の喫茶店で食べたハンバーグがまずくて『あるんだ!!』と驚きましたが(笑)」

青二才「うちの会社で中国に進出したときに、ハンバーグは全然ウケなかったんですよ。向こうの方がおっしゃっていたのはですね、レストランとかそういうところで食べるには高級感がないと。ひき肉を集めたものって肉団子的な庶民の料理なんですね。

ハンバーグのもともとの語源はハンブルクのステーキ。ドイツでも労働者向けに安い余った屑肉をひき肉にして食べる大衆向けの料理っていうのがあるからあまりステータスが上がらない。

アメリカでもハンバーガー、ジャンクフードとしては活躍しますけれどもレストランのメインディッシュとしてハンバーグステーキは出てこないですね。


やっぱり日本人はもともと肉を食べなかったから、ひき肉だからダメという考えはないんでしょうね。ハンバーグステーキと言うのはあれは日本独自の日本は肉にこだわりがないから浸透したのではと考えている」

――こだわりがない、というだけの人気ではないですよねこれ


青二才「比較的安く作れるというのがあるんですが、人気もあります。原価も本気でいい肉使うと高くなっちゃいますが、そこそこの原価で喜ばれるものができる」

岩本「お客さんはハンバーグを食べたいし、店は店で原価はコントロールしやすく高単価で売りやすい。店にもお客さんにも優しい」


青二才「もともと西洋のハンバーグステーキっていうものはフレンチにもあったんですね、一応。19世紀とか20世紀初頭の料理書にも出てくる。でも向こうではそんなにメジャーではない。

日本でも戦前とかの本を読むと、本当のハンバーグステーキはひき肉だけ、パン粉とかを入れるのは本物じゃないというのがあったみたいなんですよね。

でも日本では結構あんなガツガツした肉肉しいのが好まれるかと言ったらそうではなくて安くなるけれどパンことがつなぎ入っていたほうが柔らかくて美味しいみたいな」

なるほど、ハンバーグは日本だとひき肉への偏見がなく高く出せるのか。肉に対するファーストコンタクトが洋食だからそのまま受け入れられたのだろう。

だとしてもこれだけ人気なのはなぜだ?
岩本さんが持ってきてくれた1950年創業先代のメニュー
岩本さんが持ってきてくれた1950年創業先代のメニュー
ハンバーグは1950年当時580円。(物価は8.18倍程度と検索で出てきた。5,000円くらいか。ものすごく高い…!!
ハンバーグは1950年当時580円。(物価は8.18倍程度と検索で出てきた。5,000円くらいか。ものすごく高い…!!
スパゲッティもグラタンものきなみ現在でいうと5,000円以上!?
スパゲッティもグラタンものきなみ現在でいうと5,000円以上!?

70年代のファミレスが火付け役か?

――ハンバーグ人気の火付け役はどこなんですか?


青二才「発祥店はわからないですが、やっぱりほんと余った肉の活用方法なんで商品にしやすくて浸透したっていうのが大きんじゃないですか。実際おいしいから。

ほんとお店にもねお客さんにもお互いにとって優しい商品なんで自然に広がったんじゃないかな。


あと郊外型のファミレスが広げたっていう説も若干ありますけどね。冷凍がしやすかったんで。郊外型っていうと1970年代ですけれども。

ファミレスはもともと原点は百貨店食堂なんですよ。それこそお子様ランチの三越さんですよね。

百貨店っていうのが決まった場所にしかないですからそれがマイカーブームになって70年代以降やっぱり日本が高度成長とともにファミレスを展開していうのがあるので。

それが全国展開になったときに冷凍しないとやっぱりできないのでそういう時に向いてるのがハンバーグ、とドミグラスソースもそうだと思いますけどね、大量に工場で仕込んで。やるとなったら1番手っ取り早い。そこで広まった可能性もある」

ファミレスとともにハンバーグが大人気に。そこで定着して街の洋食屋でもハンバーグばっかり食べることになっているのかもしれない。
キャンドルに来た有名人のサイン。こちらは渥美清
キャンドルに来た有名人のサイン。こちらは渥美清
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盗まれかけたという三船敏郎のサイン。さすが! 力強い!
盗まれかけたという三船敏郎のサイン。さすが! 力強い!

そして洋食は家庭とコンビニにやってきた

青二才「今もうほんと変わってきてるって思うのは家庭に進出してきているってことなんですよね。

今の一番の敵は本当家庭だなって。思いながら。家庭の調理の設備の知識はインターネットできたからもう格段に上がってるんですよね。


岩本「あとコンビニね。コンビニ弁当なんて昔まずかったですからね。うちもコンビニ弁当プロデュースとかしましたけど今はレベルが高いなと

青二才「ほんとレベル高いもんだされてますよね。ハンバーグシリーズとかありますよね。しかもそこそこの味でね。


岩本「やっぱり味覚って騙せるものだから。化学調味料がよくないって方もいますけど、結局美味しく感じさせるために作ってるんだから。それを真面目に『うちは使いません』って店は高単価でないと利益出すのは難しい。

――家庭の洋食って何か変化があるんですか?


青二才「食材が豊かになったのと冷凍食品。あと電磁調理器が優秀ですよね。ローストビーフなんてもうポンて簡単にできちゃう。そうすると職人的なところに価値はあんまり味出したくなる。払ってくれなくなる。

それこそ戦前の本だと昔のローストビーフの職人がいたんですよ。ローストビーフの予約が入ってない日は遊んでるだけなんです。入ってる日だけ来てそれだけ一人前っていうか料理長の給料もらってるっていうのが戦前は結構ゴロゴロいたんですよね」
洋食のこれから

儲からない

――これからも洋食って増えてくるんですか? スペイン料理とか新しいものが


岩本:実際にやってる店あると思いますよ。でもメニューが増えれば増えるほど儲かんない。手間かければかけるほど利益が出ない。

青二才「レストランは人件費と手間との戦いですよね。


岩本「本当に最も儲からない飲食ビジネスモデルの一つですよ洋食って。手間はフレンチと変わらない。なのにフレンチほどの単価が取れない。お酒も出にくいでしょ。

うちの祖父母の時代っていうのは儲かってたと思うんです。戦後まもないのにフライドチキン800円ですからね。相当高級料理ですよね。やっぱり今は安すぎる洋食屋が増えちゃった」


青二才「ビーフシチューで3,000円とったら強気だって言われちゃうんですよね。フレンチと手間は変わらないのに。

ほんとにおいしいドミグラスソースほんとに大変なんで。グラタン一つとっても。その価値を評価して欲しいなと」

まず、肉がなかった

私たちがハンバーグを食べ続けるのにはこういう理由があったのだ。

まず肉がなかった。そして明治の外人ホテルに肉がやってきた。そこから各地に伝わるころにはひき肉化もした。肉を知らない私たちは高級ひき肉にも抵抗はなかった。その後ファミレスで全国の子どもたちにも伝わった。

洋食はやはり日本独自のものだった。19世紀のフランス料理を大切にして独自に進化したものだった。そして進化しすぎて本場のものがやって来たときにも生き残ってしまった。

同じ3000円払うなら本場風現在のフレンチを、というのもいいだろう。しかしフレンチと変わらない値段の洋食は昔のものではない。日本になじませたあとのものだ。味にも我々の舌にもなじんでいて日本にしかないものだ。

そうして私はビーフシチューには3,000円支払う覚悟はできたのだが、実際に食べに行くのかはまた別の話だ。ごめん、まだ覚悟はできてなかった。

取材協力

一般社団法人 日本洋食協会
https://yoshoku.themedia.jp/
『日本の西洋料理』
http://seiyouryouri.yokohama/main.html

編集古賀との振り返り

古賀:とどまりが根付いてる状態なんだよね洋食って
大北:ですよね、定着してしまったんだ。でも戦争なくても定着しちゃったのかな。それが肉類とのファーストコンタクトだから「肉の食べ方」として根付いたってのは大きそうですね
古賀:ああ、そうだね。知らなかったんだよね肉の食べ方をそもそも

大北:海外のものでありセレブリティな料理だったんですよね、洋食。庶民から二重に手が届かないというか
古賀:想像上でしか語れないもの、じゃないかな
わからなすぎて洋食ってちょっと「妄想の料理」っぽいところがあるのかもしれない
大北:今のわれわれにとって分子ガストロノミーみたいな距離感かも
古賀:「エル・ブリ」だ。遠いなそれは。
大北:エルブリが庶民に根付くみたいなことですか
はー、これが分子ガストロノミーですか?ってねるねるねるねを食べてそう
古賀:海外への「憧れ」でねるねるねるねが首の皮一枚でつながってる感じ?
大北:これがエル・ブリで出されてる分子ガストロノミーか! 練れば練るほど色が変わるぞ!! みたいな。

古賀:定着しつつ独自に発展してるから「引っ込みがつかない」って状況なのかもしれないよね。
大北:いや待てよ、今がちょうど廃れてる時なのかもしれない……と思い当たってブルッとしたんですが、考えるのは面白いですね
古賀:ほんと、考えるのがおもしろい。考える余地もあるのがすごい。
編集者古賀もおどろきっぱなしの130分。まだまだ洋食の歴史話があったんですが長すぎて大幅に割愛…!!
編集者古賀もおどろきっぱなしの130分。まだまだ洋食の歴史話があったんですが長すぎて大幅に割愛…!!

ライターからのお知らせ

主宰のコント『明日のアー』が、今度はおもしろ文化人や気鋭のバンドたちに呼ばれて一緒に出ます。
【AR忘年会2016】※売切
12/10(土)@株式会社 内田洋行(ユビキタス協創広場 CANVAS)
AR三兄弟/ IoT三兄弟/ 明日のアー/ AC部 / and more…
【えるえふる大忘年会2016】
12/11(日)@新代田FEVER
《出演》
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明日のアー
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《DJ》
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