冗談好きの牧師さん
その牧師さんは日本ナザレン教団三軒茶屋教会にいるらしい。三軒茶屋の駅から徒歩で5、6分、世田谷通り沿いにある教会だ。煉瓦造りの建物に十字架がそびえ立っているのが見える。この中に、落語をやる牧師さんがいるという。
日本ナザレン教団三軒茶屋教会
僕の中の牧師さんのイメージは非常に乏しい。結婚式で「誓いますか?」と片言で聞いてくる、ひょうきん族の懺悔のコーナーで聖書を持って立っている。主にその2つだ。落語をやる牧師さんは、僕が抱く2つのイメージに当てはまらない。
一体どんな人物なのだろう。
牧師館、と書かれた扉のチャイムを押した。
この中に
落語をやる牧師さんがいる
出てきた牧師さんと名刺交換をした。「日本ナザレン教団三軒茶屋教会、牧師、石川博詞」と書いてある。本物の牧師さんだ。僕も名刺を渡すと、名刺に書かれた住所を見て、
「麻布ジュボーン(僕の事務所は港区麻布十番にある)ですね。蛸の足8本、イカの足ジュボーン。子供の頃、そんな冗談が流行ってました」
と言って笑った。
牧師さんが冗談を言う。そんな想定をしていなかったので、「イカの足ジュボーン」に対して的確に突っ込むことができなかった。
いきなり冗談を繰り出す石川牧師
そうだった。この牧師さんは落語家でもあるのだ。冗談ベースの話ができる人なのだ。牧師さんから話を聞くという初めての経験に緊張していたが、イカの足ジュボーンで一気にそれが解けた。
「冗談が好きですか?」
石川牧師に聞いてみた。
石川さん「私は下北沢の商店街で生まれ育ちましてね。家が密集した地域だったんです。お隣さんがすごく近くて。そんな所で生活していると、いちいち白黒つけてたらキリがないんですよ。だから、大人たちも喧嘩をせずに冗談で受け流してました。それを見て育ったので、自然と冗談が身についていったんだと思います」
石川さんのご実家は商店街の電気屋さんだ。短大を卒業後、石川さんも一旦は家業を継いだのだという。
石川さん「学校を出てから2年くらい、実家の電気屋で働いたんです。でも、もっと外の世界を見ないとダメだと思って、サラリーマンになりました」
実家の仕事を2年手伝った後、石川さんは派遣社員として会社勤めを経験する。
石川さん「会社では電気関係の監視プログラムを作ってました。2年ほど経った頃、自分がやりたいのは今の仕事じゃないって思い始めまして。会社を辞めて、神学校に通うことにしたんです」
電気関係の仕事を辞めて神学校へ
電気関係の仕事からいきなり神学校。なんで?
石川さん「私が子供の頃、教会の日曜学校がブームでしてね。商店街という土地柄から、親は日曜日に子供を預けられて便利だったんだと思いますが。私も下北沢の教会に通ってたんです。そこで出会った牧師さんや神学生にずっとあこがれを持っていて。17才の時に洗礼を受けたんです」
子供の頃からのあこがれを実現するため、石川さんは会社を辞めて神学校に通った。3年制の神学校を卒業し、伝道師として8年間の修行を経て、32才の時に牧師となった。
牧師として講壇に立つ
石川さん
石川さんが牧師になるまでの経緯は分かった。
落語家としての石川さんの経緯は? そもそも、本当に落語家なのだろうか?
石川さん「ちょっと、待ってくださいね」
そう言って石川さんは席を立った。
落語家としての石川さん
礼拝堂に一人残され、石川さんを待つ。
礼拝堂にて
普段は来ない場所だけに、色々なものに興味を惹かれてしまう。
立派なパイプオルガン
ホワイトボードに書かれたことば
美しいステンドグラス
ステンドグラスの下が礼拝堂入り口
そこに現れた
和服姿の
石川牧師
さっきまで牧師だった人が、和服姿で礼拝堂に入ってきた。
そう、これが石川さんのもう一つの顔。落語家としての石川さんである。高座名は、濱の家真砂。石川五右衛門の辞世の句「石川や濱の真砂は尽きるとも 世に盗人の種はつきまじ」から付けたのだという。なぜ石川五右衛門なのかというと、子供の頃のあだ名が石川五右衛門だったから。
落語家 濱の家真砂
礼拝堂で落語を披露することもあるというが、「感じが出ない」とのことで教会内にある和室に案内された。
教会の中に和室があるのか!
和室へ
和室に入ると、押し入れから座布団を取り出す濱の家真砂さん。
押し入れから座布団が
前かがみにすると町人
胸を張ると武士
さらに扇子を持つとお奉行様
濱の家真砂さんは古典落語から創作落語まで、幅広いレパートリーを持っている。古典落語では、「けちくらべ」、「うなぎ屋」、「勘定板」など、創作落語には「長屋の国際会議」、「うらめし屋」、「怒り問答」などのネタがある。
せっかくなので、軽い小話を一つやっていただいた。濱の家真砂さんがいつも使用している出囃子は後から編集で乗せている。
なぜ、牧師さんが落語なのか
濱の家真砂さんの口上にこんな一節がある。
「ちなみに、本業の職場は?って申しますと・・・。
これが、なんと、キリスト教会の牧師なんです。いわば、西洋坊主でございます。牧師の落語家なんて取り合わせは、まるで回転寿司屋に流れているプリンアラモードみたいな感じでございましょうが、牧師は説教することが仕事ですので、落語の話術に興味を持つ者は結構多いのでございます。」
牧師をやりながら落語などの話芸をやっている人は結構いるのだという。三軒茶屋の隣駅、駒沢大学の教会には牧師でありながら講談師という方もいるらしい。
とにかく明るい石川さん
石川さん「私はプロの落語家ではありませんが、中にはプロでやっておられる方もいます。牧師も落語も、言葉で人の心に訴える職業ですから、意外と親和性は高いんですよ」
聖書の話を落語に落とし込む、ゴスペル落語というジャンルもあるらしい。
石川さん「ゴスペル落語をやる方は、そのままそれが教えになっていたりしますね。私は説教と落語は切り離して考えてますから、私の落語を聞いて信仰を持つようなことはないでしょうね(笑)」
石川さんが三軒茶屋の地に来て6年、その前は長崎県の諫早で8年間、牧師と落語家の二足の草鞋を履いて活躍していたのだという。
石川さん「小学校や病院などから声がかかりましてね、毎週のように落語をやっていました。FM諫早(レインボーFM)にレギュラー・ゲストとして毎週出演もしていたんですよ」
子供の頃から、「お前は口から生まれてきた様なやつだな」と言われてきたという石川さん。おしゃべりが好きで冗談が好き。好きが高じて、牧師でありながら落語を始めた。
石川さん「今は世の中がギスギスしてますでしょう。そんな時だからこそ、笑いや冗談で受け流すことが大事だと思うんですよね。白黒はっきりさせない技術と申しましょうか。キリストにはそういうところがありまして、ウイットに富んだ返しといいますか、はっきりさせずに相手に委ねるんですね。そんなところが落語に共通する点だと思いますね」
お後がよろしいようで
石川さんは、神学校を卒業後、北海道の弟子屈町で5年ほど伝道師として過ごしていた。その頃に俳句の会で俳句を詠んでいて、それが言葉の大切さを知る良い経験になったのだという。
石川さん「氷原帯という現実主義の俳句の会でしてね、その時に褒められた句を今でも覚えています」
朝日新聞の投稿欄にも載ったというその句で、今回のレポートをしめたいと思う。
至福とは 秋刀魚の煙 飯の湯気