合計50回「でかい」といいました
結果的に取材陣2名(筆者の編集部古賀と同じく編集部の石川)で道中合計50回「でかい」とつぶやいた。
思ったよりも少ない。私は興奮しやすくおしゃべりなたちなのでへたすると1000回くらい「でかい」と言ってまだいいたらず足をばたばたしたり手をぶんぶんしたりといったうっとうしい行為にまでもおよぶのではないかと予想していた。
高さ120メートル。世界最大のブロンズ像だそうだ。興奮しないわけはない。いや、確かに興奮は大きかったのだ。「でかい」の回数が少なかったのには訳がある。
「でかい!」という衝撃からの感想が仏像との距離を縮めるにつれ「エモい(興奮)」「こわい(畏怖)」に変化したのだ。
「でかい」という言葉が途中から出なくなった。
でかい!
エモい!
こ、こわい!?
でかさについては過去に詳細なレポートが
心情の変化については後述するとして、まずはあらためて茨城県は牛久市にある世界最大のほとけブロンズ像「牛久大仏」である。
実は当サイトでは
2007年にライター小野法師丸さんが訪問し、そのでかさについて詳細にレポートしている。
最終的には東京の六本木ヒルズからもその姿が見えるという噂を聞いてたしかめている(明らかに「あれだ!」という姿は記事ではキャッチできなかったが条件がそろえば本当に見えるようだ)気合の入った記事であった。
なにしろ高さ120メートル
120メートルというとビルで何階建てくらいなんだろう…。疑問を検索窓にぶちこむと
Yahoo! 知恵袋がヒットするのが現代である。
知恵の袋はおおむね30階建てくらいではと回答している。
まずはなにしろ「でかい」
今回は牛久駅到着からレコーダーを回しながら旅した。
道中の「でかい」の数は以下のとおりであった。
・牛久駅からタクシーで大仏に到着するまで:10回
・到着してから胎内に入るまで:24回
・胎内に入ってから:2回
・帰るまで:10回
バスの時間を逃しタクシーで大仏まで。牛久駅近くのニトリがIKEAだった
「でかい」の数をかぞえるとともに会話内容を聞きなおしてみる。すると運転手さんが
・林があって見通しがそれほど良くないところにあるからそこそこ近づくまで見えない
・遠くから大きさが想像できないままポンと現れるので「あ、大きい」と思う
ということを教えてくれている。
小野さんの記事によると駅からも見えなくはないようだったが、駅から車で向かうあいだは林にうもれて大仏の姿は見られないのだ。
そして1キロ圏内へ。急に、いらっしゃった!
石川:あ、でかいなあ
古賀:でかい?
石川:でかいですね
運転手さん:頭のらほつの部分が人間1人分くらいですよ
古賀:あっ、それはでかいですね!
これはでかいぞ
古賀:あ、でかいね
石川:でかい
運転手さん:お顔が見えると大きくみえますよね
石川:逆にこの大きさでも向かう間ずっとは見えないんですね
古賀:ほんとほんと、こんなに大きいのに
ここで注目したいのは、いよいよタクシーから降りんとするときの私の発言だ。
古賀:でかいでかいでかい!! あははははははははー、おー、はー、なるほどなあ、あ、つい笑うなあ
大仏さまの胸をかり、あまりの大きさについ笑う。
つい笑う
案内板に写ってる大仏をみつつ本物も視界に入るところに大きさを感じる
牛久大仏三段活用
ここあらためて説明すると、「でかい(衝撃)」「エモい(興奮)」「こわい(畏怖)」の三段活用は以下のように近づくにつれ起こった。
タクシーから正面のかなり手前までが「でかい」、近づくにつれ「エモい」になり、足元のあたりにまで進むと「こわい」になる。最後の「ありがたい」は胎内に入ってからの感情
タクシーから、また到着して拝観料を支払い入場しつつ、真正面までたどりつくまでは「うわー、でかいなあ、すごいなあ! こんな興奮なかなかないぞ、楽しいぞ」というわくわくした思いばかりが先にたつ。
石川:ふとむくとぬって居ますね。建物の向こうとか。背景なんですよね
そう、その姿が背景のうちは「でかい」のだ。
しかし対面しながらじわじわとその姿に近づくとなると「でかい」を通り越したエモーションが湧き上がってくる。エモい。
最後の最後、首をぐっと傾けて見上げる段になるとその感情は「怖い」「恐れ多い」に変る。
顔はめで手のまねもできるようになった。でかいうえに気も利く
上記顔はめパネルのあたりはまだ「でかい」のフェーズである。
その先、真正面から大仏さまと対面する段になると迫力に圧倒され若干口数が減りつつ興奮が確実に高ぶっていく。ここから先が「エモい」フェーズだ。
対面するとじわじわとエモーショナルゲージが上がり始める
エモーショナル拝観
古賀:こんなの観たことないよね
石川:ないですね
古賀:まぶしい、仰ぎ見ると。あと、どこまでいっても、見てる
石川:月がついてくるのと同じだ。でかいから
月がついてくるように
目線がついてくる
古賀:なんかでかさをもてあましている感じあるなあ。もっとでかさを全身で感じたいんだけど、ちょっと感じられる以上のでかさがある。
石川:園内一周走ってきたらいいんじゃないですか
古賀:(走らない)人間が感じられる大きさって限界あるのかなって気がしてきた。ここまででかいと…
石川:何億円、みたいな
古賀:ああ、そうだね。億いかれちゃうと実感わかないみたいな
石川が道の脇に設置されている鐘をつくという。「ゴーン」
古賀:なんかもう全然意味わかんないわ。同僚が鐘ついててでかい大仏さんがいる。すごい、この分からなさはすごい。
(「カーン!」別の場所にある鐘の音)
石川:遠くからちょっと高い鐘の音してますね
古賀:なんだろうこれは
大高炉、というものもあったがほかにもっとでかいものがあるのでなんととらえていいか分からない
どうしていいかわからず、大仏さんと3ショットを自撮り
今年度最大級の合成っぽさである。
石川:コラージュですね、完全に
古賀:これ明らかに牛久に来てないね! すごい。この来てなさすごい。だってちょっとこれほら、浮いてるもん。切り抜いてはってるもん。来てるんだけどなあ、本当に。
全身でも撮った
石川:ヒップホップだ。BUDDHA BRAND(ヒップホップユニット)じゃないですか
はしゃいではみるが興奮は静かである。私が予想していたような、全身をばたばたさせてわーわー騒ぐタイプの興奮ではない。
石川:そういえば「でかい」ってあんまり言ってなくないですか
古賀:あ、そうだね
石川:「でかい」っていうよりも「エモい」ですよね
古賀:おお、ああ、そうだね、感動的、エモーショナルだよね。
仏像とはいえ、人型が巨大ということがダイレクトに感情をゆさぶってくる。困惑するし、気持ちがおぼつかない。
外から見てるのと違って、中に入って急に仏教の世界観が迫ってくる非日常感に慣れないタイプの興奮がある。
後になって、お盆に行われる「万燈会(まんとうえ)」という法要でライトアップが行われることを知った。
そのライトアップ。そうきたかという切り口のエモさ
たまらん
あらかじめマッピングされているプロジェクションマッピングのようなとんでもないかっこよさである。
そういう商業的な作られたエモーションをももたらしているとは。
からの、畏怖
さらに歩みを進めるうちに明らかに沈黙が深まった。
石川:手がでかい
古賀:すごい、なんか…、かつてなく手がでかい
石川:手の肉感っていうか、ふくぶくしいですよね
古賀:手、人間っぽいよね。パーツごとに見ると人間なんだよね。仏像だと思ってたのが近づくと人間に近くなる
手がリアルで大きい
石川:これ、敵だったらヒットポイントが手にもあるやつですよ。ボス本体と手が別になってて、手を倒してからじゃないと本体を攻撃できない
古賀:ついゲーム脳起動するね。むしろ敵っぽさあるね、でかいものがここまで近いと。本当はありがたいものなのに。
ありがたさがスパークするはずが、恐ろしさでいっぱいに
ふもとの植栽ばうねうねかっこよくカットされていた
おなじみの七味が、いつもよりほんのちょっと大きかった(写真はトップバリュ商品でご機嫌をうかがっております)
石川:はいはい
古賀:ちょっと大きかったんだよ。ちょっと大きいと、それに気づいたときにその大きさを強く感じるんだよね。あっ! ちょっとでかい! って。そういう興奮があった。
そのときの感じと、大仏さんがでかいのと、価値的、感じ方が似てる気がする。ほんのちょっとでかいという気づきと超でかいのと。
ふもとまできて、話題が一味のこの話にもどってきたのだ。
石川:さっき話してた、七味がでかいのとこれやっぱ違いませんか
七味がちょっとでかいどころでは、たしかにない
古賀:違うかな、そうかな、なんか…なんていうのかな…そういう…職に貴賎なしみたいな気がしたんだよな
石川:大きさに貴賎なしみたいな
古賀:でもそうだよな、七味がちょっと大きいくらいじゃこんなにびびんないか
石川:こんなに近づくまでは(七味のちょっとした大きさと大仏のでかさの感覚が)変わんない気もしたんですけど、下にきて見上げる確度になってこれはさすがに違うんじゃないか
古賀:うん。生命の危機を感じるのかな、これ倒れてきたら絶対死ぬじゃん
石川:倒れてきたら、はありますね
古賀:さっきの、近くにきたら敵っぽさが出てくるっていうのもそういうことかな、ちょっと身を守る体制に入るというか。七味でかいのとは…違うね。
石川:こわいですよね、やっぱり近づくと。でかいものにありがたみを感じるのって、日本の文化なんですかね。個人の感覚としては大きいものへのありがたみってなくないですか? やっぱりむしろこわいというか
古賀:シュークリーム大きかったら超うれしいけど「大仏さま大きくてラッキー!」みたいな、仏像が大きなことに対して喜び、みたいなものはないね。
石川:山を拝んだりするじゃないですか
古賀:山岳信仰。ああそうか、これ「畏怖」なのか。
胎内でトリップ感を満タンにする
胎内にも入ってみた
さて、大仏との距離を縮めきり畏怖を肝から実感するにいたった拝観ツアーであるが、牛久大仏は中に入ることができる。胎内、というやつである。
なかは展示や写経席、展望台などがあり、お寺としての機能の本堂部分もある。
おおむね、入ってしまうとでかさは感じない(広い胎内、オール土足禁止なのででかい人んちに来てる感さえちょっとある)のだが、胸の高さ85メートルから外を眺めることができるのだ。
これが、胎内から出たあとにじわじわくる。
人間でいうところの胸と背中と腕のBCG接種跡ぐらいのところから世界が見られる
この、肩の部分に入ってたのか~という感慨
あそこにいたのだという感慨はなかなかだった。
あと、「蓮華蔵世界」と名づけられた天井までびっしりの仕切りに3,400体の胎内仏が安置されている場所がとんでもない迫力だったのでこれから行く方はぜひ注目してほしい。
仕切りが牛久大仏の細胞のように思え、そこに小さな仏像が安置されているため仏教的サイケデリック感、トリップ感を全身で味わってまた黙った。
出口の裏口っぽさも良い
トリップ満タン、飛びます
外に出てしみじみとあそこにいたのか…とかみしめるうち、石川が「この大仏、動きますよ」といいだした。
おい大丈夫か。
30秒間みつめるとなんとなく動く気がするという
さらに回り込むように歩くと右手がぬーっと出てくるように見えると。ちゃんとした撮影機材を持っていけばよかったです!
どちらも実は私も「あ! ほんとだ!」と思ってしまった。最終的に我々が得た感想は「大仏がでかい」から「でかい大仏は動く」にまで変化したのだった。
いわゆる、飛んだ、という状況なのか。これが仏像の力か。なんともありがたいことである。
うさぎがやたらめったらかわいいので小動物公園にも行ったほうがいいです
その後我々は大仏の背後に設置されている小動物公園でウサギの背後に巨大仏の背を眺めた。
石川:この辺に家があって暮らしてるとどう感じるんですかね
古賀:慣れるんだろうね、あでも富士山が窓から見える家の人って毎日拝むとか聞くね
石川:東京とか出て行って、帰省したときに大仏があって、どう思うんですかね
古賀:「やっぱでかいなあー」って思うんじゃない?
石川:「やっぱでかいなー」が郷愁なんですよね
古賀:大仏のでかさという種類の郷愁があるのか
石川:うさぎがひざにのぼってくる!
古賀:ここのうさぎすごい人なつっこくない?
石川:かわいい写真撮れましたよ
古賀:かわいい~
来た道を帰り外へ出て、今度はバスの時間に間に合った。車窓から見る牛久大仏はやはり「でか」かった。