我が家の老老介護問題
何でも母親が2泊3日の旅行に出るらしく、留守の間犬をみて欲しいと弟に連絡があったという。弟は実家の近くに住んでいるから、何かと犬の世話を手伝っている。
いつもならそのまま弟が快諾して、母親は気持ち良く旅行に出るのだが、その日は違った。弟の脳裏に、「何で俺ばっかり」という考えがよぎったのだろう。弟と母親は電話で揉めた。
母親と揉めた後、弟はすぐに僕に電話をかけてきた。
「お前はどう思っているのか!」
大変なことは分かっている。
70才を超えた母親が、人間に換算すると103才の痴呆が始まった老犬の面倒をみているのだ。我が家の老老介護問題である。それでも、僕は犬の世話をあまりしていない。
僕が言葉に詰まっていると、弟はどんどん強い口調で攻め込んできた。あまりにも攻めてくるのでこちらもカチンと来て、
「俺は、腰が痛いんだ!」
と大きな声をあげた。それを聞いた弟はしばらく黙っている。
腰が痛いのは本当だけど、声を荒げて自分の正当性を主張する理由としては間抜なフレーズだった。
結局、僕と弟で1日ずつ犬の面倒をみることで話は落ち着き、電話を切った。
実家にバリケードが出来ていた
母親の旅行初日に、僕は1人で実家に泊まって犬をみることになった。お昼過ぎに実家に行くと、リビングの様子が変わっていて驚いた。
床には犬用のおしっこシートが敷き詰められていて、リビングを囲うように椅子と段ボール箱でバリケードが組まれている。
リビングの床におしっこシート
簡易バリケード
犬はもうヨロヨロとしか歩けないのだが、ヨロヨロなりにウロウロするらしく、リビング以外の場所でおしっこしたり物にぶつかったりしない為に、母親が作ったバリケードである。
元気だった頃の犬だったら、こんなバリケードくらいすぐに飛び越えていたと思うが、今の犬にはそんな元気もないのだろう。バリケードの中で、18才の老犬がスヤスヤと寝ていた。
この犬は18才にもなって、これといった病気にかかっていない。ただ、脚は弱ってしまっていて、まともに歩くことが出来ず、このように一度寝てしまうと自分の力で起き上がることが困難だ。痴呆が始まっているので夜中に目を覚まし、起き上がろうとするがそれが出来ない。出来ないから遠吠えに近いような鳴き声を上げ、夜中に母親は目を覚ましてしまう。ここのところ、その繰り返しで母親も疲れてしまっている。
眠っている犬に近寄ると、ムアっと異臭が鼻をつく。
糞だ。
犬は母親が出かけた後、寝たままの状態で糞をして、その上に寝てしまっている。首から下の右半身に結構な量の糞がこびりついていた。
これは大変だ。
センチメンタルな気持ちの僕を噛む犬
僕は糞にまみれた犬を抱え上げて風呂場に向かった。以前だったら風呂を嫌がる犬だったが、もう抵抗する様子もない。風呂場で糞がついたリードを外し、シャワーのお湯で犬の体についた糞を流した。
グターと横になった犬は、お湯をかけられてもおとなしくしている。シャンプーで犬の体を泡立てた。犬はすっかり痩せてしまっていて、肋骨が浮き出ているのが分かる。洗濯板のような体のお陰で泡立ちがいい。抱え上げた時にも感じたが、きっと全盛期の半分くらいの体重なのだろう。
リードについた糞も洗い落とした。洗剤のありかが分からず、風呂場にあったカビキラーを使った。
リードを洗い終えて、犬の体についた泡をシャワーで流す。お湯を流しながら体を撫でていると、うっかりセンチメンタルな気分になっていく。自分の糞を自分で踏んでしまっても、洗い流すことさえ出来ない犬。お前も年を取ってしまったんだな、と顔を撫でようとした瞬間、犬が僕の右手をガブリと噛んだ。
痛っ!
そうだった。昔からこの犬はすぐに人を噛む癖がある。
103才になってもまだ噛むか! 犬の生命力に驚いた反面、噛まれても昔ほど痛くなかったことが少し淋しかった。
カビキラーで洗ったリードを干した
僕は敵じゃない
実家を出てから20年以上経っているから、実家には僕の物がほとんどない。昔、ここで暮らしていた実感が薄い。
風呂からあがった犬はリビングのバリケード内をヨロヨロと歩いている。
風呂上がりの犬
5、6分ウロウロしてから、ドスンと身を投げるようにして横になった。足の力がきかないから、ゆっくりと横たわることが出来ないのだ。横になってすぐ、犬はスースーと寝息を立て始めた。
寝ちゃった
寝てしまった犬の顔を撫でようとして、今度は噛まれないようにゆっくりと右手を顔に近づけてみた。すると、犬が薄目を開けて自分の手で顔をガードした。
自分の顔をガードする犬
犬にとって僕は敵じゃないということを、いい加減分かって欲しいと思う。
再び寝息を立てる犬
犬が年を取るということ
1才の頃の犬
犬がまだ若かった頃、犬は散歩を心待ちにして、「散歩に行くか?」と言うと我を忘れたかのように喜んだ。リビングで食事をしていると、横に座って人間の食べ物を常に狙っていた。
103才になった犬には、そういう感情の起伏がなくなったように見える。気持ちはあるけど体がついてこないだけかもしれない。しゃべらないから分からない。
この18年、犬にとってはどんな年月だったのだろうか。
僕にとってはあっという間だったような、すごく長かったような18年間だった。最初に就職した会社から独立したり、父親が死んだり、子供が二人生まれたり、腰痛が再発したり、6回引越したりした。その間に、僕は犬に年を抜かれ、犬は103才になった。
この18年、犬にとってはどんな年月だったのだろうか。
しゃべらないから分からないけど、「昔からお前のことが嫌いだった」とか言われたら嫌だから、幸せな18年間だったということにしておきたい。
というか、まだ生きているんだけど。
今から12年前、「
色々なモノにオンボードカメラ」という記事を書いた。その記事の中で当時6才だった犬にカメラを搭載していて、「確実に年を重ねている愛犬に淋しさを覚える」と書いていた。あれから12年、犬はまだ生きている。
犬の長寿記録を調べたら、オーストラリアのオーストラリアン・キャトル・ドッグが29才5ヶ月でギネスに載っていた。日本では雑種の「プースケ」くんが26年と248日生きたのが最高齢らしい。上には上がいる。凄いな。