いくつもの不安材料を抱えてスタジアムへ
かつてはイチローや佐々木が在籍し、今は岩隈投手が在籍するシアトル・マリナーズ。本拠地のセーフコ・フィールド球場はシアトルのダウンタウンから電車で30分ほどの場所にあるという。最寄駅の名前は「Stadium」。とても分かりやすい。電車は乗り換えもなく駅までは簡単に着けそうだが、問題は駅からスタジアムまでの道のりである。
「駅からセーフコ球場まで人の流れが出来ているので、迷うことはないだろう」
と、現地のガイドブックに書いてあった。随分とざっくりとした道案内で不安だったが、駅を降りて歩き始めるとすぐ、大きなスタジアムが見えた。
セーフコ・フィールド
これで、球場には着ける。次の不安材料はチケットだ。
前日にネットで調べた情報によると、この日はデーゲームで対戦相手はオリオールズ。12時半頃プレイボールらしい。ネットでのチケット購入も可能らしいのだが、現地のサイトを見ても良く分からない。
行けばなんとかなるだろう。当日券が買えなかったとしても、最悪、ダフ屋的な人がいるかもしれない。いや、アメリカにそんな人はいないか? いなかったらどうしよう。
ダフ屋さん?
いた。
駅からスタジムまでの道に何人かダフ屋っぽい人たちがいた。「券ないか、券あるよ」とダミ声で繰り返す日本のダフ屋とは違い、「I need ticket」というプレートを掲げて黙って立っている。
ん? I need ticket?
もしかしたらあの人はダフ屋じゃなくて、チケットがなくて困ってる人なのか? だとすると、当日券購入は厳しいのか?
少し気持ちが焦ってきた。買えなかったらどうしよう?
チケット売り場
自動端末で購入する仕組み
バグッてる端末もあった
自動端末機が並ぶチケット売り場でチケット購入を試みた結果…、
余裕で買えた。
やっぱりあの人たちはダフ屋だったんだ。I need ticketの裏にはGive you ticketとか書いてあるのかもしれない。
席の値段は50ドル。もう少し安いチケットもあったのだが、せっかくのメジャーリーグ観戦である。マリナーズのベンチがある1塁側の内野席で観戦することにした。チケットには123セクションの37列目9番と書いてある。
初めてのメジャーリーグ観戦、ここまでなんとかクリアしてきた。だが、まだ不安材料はある。席まで辿り着けるのか問題と、現地のファンと混ざって観戦して気まずくないか問題だ。僕は1人でやって来ている。
とりあえず、球場の中に入ってみよう。
球場内へ
僕が入った入り口は三塁側だった。グルっとまわって一塁側まで向かう。
初めてのボール・パーク
立ち飲みできるスペース
大魔神のパネル
途中、立ち飲みできるスペースがあって、みんなビールを飲んで試合が始まるのを待っている。それ以外にも、大体の人が片手にビールを持ってウロウロしている。
この日は平日である。平日のお昼過ぎ、球場でビールを飲んでいるこの人たちはどういう人たちなのか? そもそも平日のお昼から試合をやっているマリナーズはどういう了見なのか?
細かいことを気にするのはやめよう。
今日は僕もビールを飲みながらボール・パークを楽しむつもりでやって来たのだ。
球場をほぼ半周して、チケットにあった123セクションに到着し、席を見つけることに成功した。
無事、席に到着
ここまでで、メジャーリーグ観戦の7割くらいを達成したような気分である。しかし、最後まで残っていた不安、「現地のファンと混ざって観戦して気まずくないのか」問題が残っていて、どういう訳か、僕の席は5人組の男性グループの真ん中にあった。
左に3人
右に2人
左の男性が僕越しに右の男性にお菓子を渡したり、右の男性が左の男性に僕越しで声をかけたり。
「詰めましょうか?」
と言いたいところだったが、どう英語で伝えたらいいのかも分からず、結局試合が終わるまでこのフォーメーションで観戦することとなる。気まずさしかない席順だ。
どうしてこういう席になったのか。あのチケット端末はポンコツか?
ボール・パークを満喫
何はともあれ、無事に自分の席にたどり着いた。野球観戦といえばビールである。席に向かうまでの間、生ビールとピーナッツを買っておいた。生ビール1杯10ドルでピーナツは5ドル。シアトルは物価が高い。
生ビール1杯10ドル(約1200円)
あまり美味しくないピーナッツ5ドル(約600円)
試合はすでに始まっていて、1回の裏、マリナーズの攻撃に入り客席が湧き始めた。
甘栗みたいなものを売っている売り子さん
頭でジュースを運ぶ売り子さん
なんだか分からないものを売っている人
前の席にイチローを着た少年
試合は2回を終わって0対0。3回裏にマリナーズが2点を先制し客席が更に湧く。
マリナーズ先制で湧く客席
セーフコ・フィールドは屋根が開閉式らしく、試合の途中で屋根が動き始めた。
屋根が
徐々に閉まっていく
あれ、岩隈じゃないか!
屋根が完全に締まり、球場内に照明が灯る。
ちょうどその頃、マリナーズのマウンドに立つ投手を改めて確認すると、何と岩隈が投げているではないか。4回の表になるまで、この日の先発が岩隈だったことに気づかなかった。観戦にあたり不安材料が多すぎて、そこまで気が回らなかったのだ。
マウンドには岩隈が
たまたま来て岩隈の登板にあたるなんて、僕はラッキーだ。スコアボードを見ると4回を終わって被安打0の表示がある。
そうか、今日は岩隈調子がいいんだな。
とその時思ったわけだが、調子がいいなんてレベルではなかった。5回以降も岩隈の快投が続き、あの歓喜の瞬間を迎えることとなる。
4回を投げ終えてベンチに戻る岩隈
だんだんザワザワし始める
ボール・パークでは攻守交替のタイミングでスコアボードに色々なコンテンツが流れる。
カーレースのCGが流れて何色の車が1位になるか当てるゲームだったり、1985年にグラミー賞を獲った曲は何か? という三択クイズが出されたり。メジャーリーグの歌が流れるとスコアボードに歌詞が表示されてみんなで大合唱したりして、とても楽しい。
音楽トリビアの三択クイズ
カラオケのようになるスコアボード
ボール・パークならではの雰囲気を楽しみつつ、僕は岩隈のことを気にしている。
6回を投げ終えて、まだ被安打0なのだ。フォアボールを何個か与えてはいるが、6回までノーヒットノーランである。
快投を続ける岩隈
これはもしかしたらもしかするかも。
僕の心がザワザワし始める。すると7回、先頭打者にセンターへの大飛球を打たれた。
ダメか?
いや、大丈夫なのだ。大きな当たりではあったが、センターフライである。
このセンターフライあたりから、客席もザワザワし始めた。ここまでノーヒットノーランであることが球場全体に浸透し始めたのだ。
僕の後ろに10代くらいの女の子三人組が座っていて、彼女たちは何が起こっているのか分からず、僕の隣の男の子に状況を聞いている。
「何が起きてるの?」
「クマがノーヒットを達成しそうなんだ」
「それはすごいことなの?」
「とんでもなくすごいことさ」
これは僕の意訳だが、大体そんな会話をしていたと思う。
状況を把握した女の子三人組は、そこから急に盛り上がり始める。
えらいこっちゃ、えらいこっちゃ
8回までノーヒットで盛り上がる観客
いよいよ最終回。
マウンドに向かう岩隈に声援が飛ぶ。
最後のマウンドに向かう岩隈
クーマ! クーマ! クーマ!
観客総立ちで岩隈のノーヒットノーランを心待ちにしている。1球投げるごとに大きく盛り上がり、審判がボール判定をするとブーイングが起こる。
そしてついに、歓喜の瞬間が訪れる。
最後の打者をサードへのファールフライに打ち取ったのだ!
やったー!
マウンドにナインが集まる
おめでとう、岩隈
岩隈のノーヒットノーラン達成に、球場内に割れんばかりの歓声が鳴り響く。クマコールに帽子を取って挨拶する岩隈。僕は心の中で、「えらいこっちゃえらいこっちゃ」と慌てている。大変なことが起きてしまった。
そしてなんだろう。知らないうちに僕の頬に涙がつたっている。
岩隈が投げることも知らず、色々な不安材料を抱えながらやって来たこの球場で、僕は今、猛烈に感動している。
両隣りのアメリカ人たちと一緒になって盛り上がりたかったのだが、そこまでにはなれない自分がいた。岩隈のノーヒットノーランをしても、この席の気まずさは解消されなかったのだ。
岩隈ノーヒットノーランのハッシュタグ
岩隈のパネルの前で記念撮影する人たちがたくさん
岩隈のユニフォームが一番売れていた
勢いでマリナーズのキーボードを買いそうになったけど、とどまった
翌日の新聞では一面を飾っていた
きっと、こんなラッキーなことなんて今後もそうは起きないだろう。
日本人選手として野茂投手に続いて2人目。岩隈がノーヒットノーランを達成した瞬間を生で見ることができたのだ。ボール・パークの雰囲気を楽しみたい。ただそれだけの思いでやって来たのが良かったのかもしれない。無欲の勝利である。僕の人生にとって、忘れられないエピソードの1つになったのは間違いない。
しばらくは自慢していきたいと思い、帰国後、友人にこの話をした。すると、その友人のお母さんは人生で唯一観戦した試合が王さんの756号の日、という話を聞いた。
なんだよ。僕の上をいくエピソードなんていらないのに。