特集 2015年7月16日

茨城?埼玉? 洪水と戦う「五霞町」のなぞ

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茨城県の西のはじに、茨城とは思えない謎の町がある。

その名は「五霞町」(ごかまち)。

ずっと気になっていたこの町の正体を確かめるべく現地におもむき、そのおどろきの歴史を探ってきた。
1978年、東京都出身。漂泊の理科教員。名前の漢字は、正しい行いと書いて『正行』なのだが、「不正行為」という語にも名前が含まれてるのに気付いたので、次からそれで説明しようと思う。

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茨城とつながっていない茨城、「五霞町」

埼玉・茨城の県境付近の地図を見てほしい。
両県のあいだを日本最大の河川、利根川が斜めに流れている。左が埼玉、右が茨城だ。
その間に「五霞町」とあるが、さて県境はどこでしょうか?
こたえ:県境はこの青い線!
なんと、この五霞町だけが茨城なのに、利根川に大きく分断されているのである。
河川入りの地図で見ると、互いに切って貼ったような違和感
河川入りの地図で見ると、互いに切って貼ったような違和感
普通に区切れば、この五霞町はどう見ても埼玉県だろう。なぜこんなことになったのか?

気になった僕はさっそく現地調査に乗り出した。

潜入! ここが五霞町だ!

ぱっと見「普通のいなか町」という感じ。
ぱっと見「普通のいなか町」という感じ。
行き方を調べて驚いたのだが、茨城から五霞町に直接入る道はたった一つ、国道4号バイパスしかないのだ。
この道が唯一の茨城県との直接交流路!
これが開通したのが1987年ということだから、それまで五霞町は茨城と「陸続き」ではなく、隔絶されていたということになる。

なんだそれ! 茨城のモンサンミッシェルってことか!
バスの行先は全て……
バスの行先は全て……
埼玉県内の「南栗橋」駅ゆき。
埼玉県内の「南栗橋」駅ゆき。
それが理由なのだろうか。

町内のバス路線はどれを見ても埼玉県の駅である「南栗橋」(みなみくりはし)か、「幸手」(さって)に向かうものばかりである。茨城とは国交を断絶したかのような無交渉ぶりだ。いよいよもってモンサンミッシェルである。

町役場の中にある銀行は……!

そしてぼくはとうとう、この町が埼玉である決定的な証拠を役場内で発見した。
町の指定金融機関が「武蔵野銀行」!!
町の指定金融機関が「武蔵野銀行」!!
指定金融機関が「武蔵野銀行」、つまり埼玉の地方銀行なのである。これは考えられない!

茨城は「常陽銀行」という地方銀行が非常に強く、帝国とさえ言える県なのだが、その支配を外れて埼玉の銀行が実効支配しているのである。

もはや茨城でありながら「埼玉自治区」と言ってもいい町なのではないだろうか。
茨城なのに事実上埼玉県の町、五霞町。
茨城なのに事実上埼玉県の町、五霞町。
なぜそこまでして茨城に所属しているのか。

手がかりはないかと、川沿いの土手をぶらぶらと歩いていると、一枚の看板が発見された。
む……河川の図が描いてある??
む……河川の図が描いてある??
この図に、なんと五霞町が茨城に編入された経緯を解き明かす秘密が描かれていたのだ!
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原因は「利根川の東遷」だった

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看板に書いてあったのは、「目の前の利根川は、江戸時代に人の手で掘った苦労の結晶です。すごいでしょう!」という趣旨の自慢であった。
つまり地図で言うと、図の赤いところが、利根川の流れを変えるために、江戸時代の初めに掘ったものらしい。
なるほど、それまでこの地域はふつうに「常陸国」に含まれていたものが、人工河川で分断されて、こんなことになってしまったのか。

疑問は無事解決したが、明治時代にはもうすっかり分断されていたのだから、そのとき埼玉に組み入れてあげなよ、という気もしなくもない。
さて、ここでちょっと自分の足で確かめたい、気になる場所がある。

千葉県西端のさらに頂点部へ

千葉県の西端は、細く鋭くとがっている。
チーバ君の鼻にあたるところ
チーバ君の鼻にあたるところ
じつは、この鋭くとがった半島みたいな部分、先端だけはがなぜか茨城県五霞町なのである。
この千葉の先っぽが五霞町でトッピングされている部分がどうなってるのか。へき地好きの僕としてはきわめて気になる。橋を渡り、草むらを踏み分けて見に行った。
こうだった。
こうだった。
岩井俊二の映画に出てきそうな荒れ地をもくもくと20分以上歩き、たどり着いた。この場所が千葉県の西の果てである。

空には誰かの飛ばしたラジコン飛行機がうなりを上げて舞っていた。
ブウウウウゥゥゥーーーゥゥゥゥゥ……
ブウウウウゥゥゥーーーゥゥゥゥゥ……
……ゥゥウウウウウーーーゥゥゥゥンンンン……
……ゥゥウウウウウーーーゥゥゥゥンンンン……
……ンンンンゥゥゥゥンンンン……
……ンンンンゥゥゥゥンンンン……
千葉県の果てはふかふかとした砂地だった
さらにその先端には四角い石がある。

「よし」、と満足のいく観察を終え、きびすを返そうとしたその瞬間……
ズボォォッッ!!!!!(再現画像)
ズボォォッッ!!!!!(再現画像)
砂地に突然穴が開き、太ももまで足がめり込んだ。
真剣に死ぬかと思った。

砂でできた川洲だから、目に見えないもろさがあるのだろう。なんか海でもそういう陥没事故が起こると聞いたことがある。

千葉県の果てにあともう一つ情報を追加しよう、砂地が命にかかわるほどもろい。みんな注意だ。

五霞町、その洪水との戦い

最後にせっかくなので、五霞町の公民館をおとずれて、町の歴史を教えてほしいと頼んでみた。

そしたらこの本を貸してくれた。
小中学生あたりに向けてまとめた本。
小中学生あたりに向けてまとめた本。
なるほどなるほど、面白そうだ、とお気楽にこの本をひも解いてみたら、とんでもない歴史を目の当たりにすることになった。
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自分の町の歴史を一言、「水害の歴史」と言い切るそのことばの切れ味。どういうことだと本を読み進めると、その理由がまたひどいのだ。

簡単に言うと、幕府による利根川の工事は、江戸を洪水から守るためと江戸に水運路を通すためであったので、まったくこの土地の治水を考えておらず、そのせいで五霞町付近は恐怖の水害頻発地区になってしまったのだ。
なんでも2~3年に1回洪水が起こり、全てが流されてしまっていたという。
五霞で起きた洪水一覧表
五霞で起きた洪水一覧表
これは構造的にも原因があり、五霞が、関東平野の「最底辺部」に位置するのが悪いらしい。利根川と渡良瀬川の水が押し寄せてきて、その水の逃げる先が無く、無惨に村を沈めていくのだという。
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このあとも涙の出るような洪水の話と、恐ろしいビジュアルが続く
このあとも涙の出るような洪水の話と、恐ろしいビジュアルが続く
飢餓の話のくだりは凄惨すぎて紹介する気になれない。こんな話を小中学生に教えたら町に住むのが嫌になるんじゃないかというほどであった。

そんな五霞町はいま……

さっき看板で見た「見よ!この利根川の流れを!」みたいな勇壮な郷土自慢は何だったのだ?そのせいで昔は村が壊滅してたんじゃないか? と何とも言えない気持ちになりながら公民館を去り、また少し町を回っていると、もうひとつこんな看板があった。
「ごかみずべ公園」にて
「ごかみずべ公園」にて
「湿地は本町の原風景」。いい言葉である。
昭和39年の堤防工事をもって、完全に洪水の町から脱出した五霞町は、今では工業地帯としてぶんぶん栄えている。
コンビニの駐車場もトラックでいっぱいだった
コンビニの駐車場もトラックでいっぱいだった
洪水の歴史を「原風景」と表現できる態度には、水害を克服した喜びと余裕が現れているように思う。そうか、五霞にとっては洪水はもう過去のものなのだな。

じっさい、町全体に洪水に苛まれたような悲壮感はすでになく、トラックの行きかう活気のある町だった。
圏央道の五霞インターも開通したし、これからもどんどん栄えることだろう。

五霞町、楽しい一日をありがとう!

ずっと茨城でいてね

先般の平成の大合併のとき、五霞町は埼玉県への編入を本気で目指したらしいのが、やはり県を超えての合併は実現しなかったようである。

しかし、五霞町が茨城に属することは「利根川の東遷」という大きな歴史の証左でもあるわけだ。ひとりの地理好き、水路好きとして、五霞町にはいつまでも茨城に属していてほしい。
ヤクルトの工場もあるんだよ!
ヤクルトの工場もあるんだよ!
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