特集 2015年7月10日

創作「ニューヨーク来い来い物語」

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今回の記事のために、喫茶店と飲み屋さん2軒のお店にアポを取っていた。2軒のお店で何をやりたかったと言うと、公衆電話のピンク電話同士で会話をしてみたかったのだ。

飲み屋さんの方は知り合いだったので快諾いただき、もう一軒の喫茶店は飛び込みでピンク電話の使用をお願いしてみた。 バイトの男性から「今日は店長がいないので、後日連絡をください」と言われた。

後日、電話をかけるとバイトの男性が出て、「店長に話を通しておいたので月曜日に来てください」と明るい声で返事が返ってきた。
1970年神奈川県生まれ。デザイン、執筆、映像制作など各種コンテンツ制作に携わる。「どうしたら毎日をご機嫌に過ごせるか」を日々検討中。


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> 個人サイト すみましん

聞いてない

約束の月曜日、知り合いの飲み屋さんで友人に待機してもらい、僕はその喫茶店に出向いた。僕が喫茶店のピンク電話から飲み屋のピンク電話に電話をかけて、友人とピンク電話同士で会話をするつもりで。会話の内容は少しピンクな方がいいかな、などと考えながら、500円分の10円玉を持って。

喫茶店に入ると、約束を交わしたバイトの男性がいない。代わりにカウンターの中には初老の男性が立っている。この人が店長だろう。

「ピンク電話の件をお願いしていた者ですけど」

と店長らしき人物に声をかけた。神経質そうな口元が気にかかったので、できる限り明るい声で礼儀正しく。すると、

「何、それ?」

と冷たい声が返ってくる。こっちを向いてもいない。

「先日、ここにいた若い男性から許可をもらっているのですが」

声のトーンを明るい状態にキープしたまま僕が答えると、

「だから、何、それ?」

とさらに冷たい返事が返ってきた。ようやくこっちを向いてくれたが、目を細めてこちらを睨んでいる。ここがサバンナだったら、僕は次の瞬間に食われているに違いない。

これはマズいパターンだ。デイリーポータルで書き始めて10年以上、何度かこういう危機があった。こういう時はひるまずにアポを取った正当性を主張した方がいい。そうすれば、「ああ、あの件ね」と打ち解けるものだ。

「若い男性に許可を」

と、僕が言いかけると、

「ダメダメ、帰って」

と食い気味に僕の言葉をさえぎる。もう1回企画趣旨を伝えようと試みたが、店長は「帰れ」の一点張りだ。今にも塩をまかれそうな勢いである。

結局、店長は僕の話を一切聞いてくれず、ピンク電話を使うことはできなかった。あの若いバイトは何だったんだろう。

僕の心のデスノートに若いバイトと店長の名前を刻もうと思ったが、2人の名前を知らないことに気がついた。

創作「ニューヨーク来い来い物語」

「はい、アイ・ラブ・ニューヨークです」

私はこの言葉を口に出す日を長い間夢にみてきた。しかし、その夢は叶うことなく、私の髪には白いものが目立つようになり、今では立派な初老のおじさんとなった。

今から25年前、あの人と私は、いや少なくとも私は、それから始まる新たな人生に大きな希望を抱いていた。思い切って会社を辞めて、かねてからの夢であった喫茶店を開業したのだ。10坪にも満たない狭いスペースではあったが、一国一城の主になれたことを心から喜んだ。

あの人も私と一緒に喜んでいるようにみえた。だから、お店の名前もあの人の言う通り「アイ・ラブ・ニューヨーク」としたし、お店の電話番号もあの人が決めた。

「03-7249-5151。いい番号が取れたわよ」

あの人は得意げな顔をして私にそう言うと、取れた電話番号に「みんな、ニューヨークに来い来い」と語呂を合わせた。

何かと「ニューヨーク」を絡めてくるあの人に、最初のうちは「この人はニューヨークのファンなんだな」と自分を納得させていた。しかし、あの人の「ニューヨーク」はどんどんひどくなり、私の得意料理のナポリタンを「ニューヨーカン」というネーミングに変えるまでに至った。メニューに書かれた「ニューヨーカン」に、お客たちは必ず戸惑った。これは、何だ? 新しい羊羹なのか。仕方なく私は「ニューヨーカン」の横に手書きで(ナポリタン)と書き足し、それがあの人の心を傷つけてしまった。

「かっこ付きで説明が必要な『ニューヨーク』なんて意味がないわ」

それから2週間と3日間、あの人は一言も言葉を発しなくなってしまった。それまで口ずさんでいたフランクシナトラの鼻歌も聞こえてこない。私は(ナポリタン)を修正液で消すことを思いつきあの人に伝えた。あの人は僕の提案を小さく頷きながら聞いて、こう言った。

「それはそうと、このお店の真ん中にポールを立てることはできないかしら?」

私はあの人が何を言っているのか分からなかった。ポールを立てる?

「そう、私、ポールダンサーになることに決めたの」

唐突な決断を聞かされて、私はあの人の言葉を繰り返すことしかできなかった。ポールダンサーになることに決めたの?

「この店でポールダンスができないのなら、私はやっぱりニューヨークに行くわ」

今思い返すと、それがあの人から聞いた最後の言葉であった。

私はやっぱりニューヨークにに行くわ。

ポール業者に見積もりをお願いしている間に、あの人は私のもとからいなくなってしまった。本当にニューヨークに行ったのか、それとも日本のどこかでポールダンスを踊っているのか。あの人の行方をつかめないまま、25年という年月が過ぎた。そして先週、おかしな訪問者の訪問を受け、私は決めた。店を休んでニューヨークに行こう。あの人はきっとニューヨークにいる。根拠はないが自信はあった。
ボーイング777でニューヨークへ
ボーイング777でニューヨークへ
ニューヨークに向かうボーイング777は地響きのような音を上げている。私は目を閉じてその音を聞いている。ボーイングのエンジン音が高速道路を走る車の音に聞こえてくる。助手席にはあの頃のあの人が座っていて、バックミラーに映る私の顔も25年前の私に戻っている。

「『自由の女神』は『自由で女神』くらいの名前にした方がいいのにね。私だったら気が重いもの」

あの子はそう言うと私の顔を覗き込んだ。私は、そうだね、と適当に相槌を打ってアクセルを強く踏み込み、追い越し車線へと車線変更した。その時のあの人のがっかりしたような表情を、今ならしっかりと思い出せる。「俺だったら、『自由に女神』の方がいいな」きっとそう答えるべきだったのだ。

目を開けると、私は飛行機の狭いシートに座っていることに気づく。成田を飛び立って1時間もしないうちに機内食を食べ終えて、前方モニターには「目的地までの飛行時間:11時間16分」と表示されている。空を飛んでも12時間。途方もない距離に私は身震いした。

あの人がいなくなって1年が過ぎた頃、私は電話回線をもう1つ契約した。店名を「摩天楼」に変えて新しい番号を「摩天楼」で使用するためだった。「03-7249-5151(みんな、ニューヨークに来い来い)」の番号は残し、ピンクの公衆電話でだけ受けられるようにした。あの人から連絡があるとしたら、「みんな、来い来いニューヨーク」の番号にかけてくるはずだ。その時、もし店の電話が話し中だったら、あの人はもう二度と連絡をしてこないだろう。ピンク電話はあの人からの連絡を待つためだけに残すことにした。

「摩天楼」になってからしばらくの間は、ピンク電話にたまに着電があった。ワンコールもしないうちに慌てて出ると、それはあの人からの連絡ではなく、カラオケの機械を入れませんか? という営業電話の類がほとんだった。そんな勧誘話の最中にあの人から電話がかかってきたら…。そう考えると私の語気は自然と強くなった。「二度とこの番号にかけてくるな!カラオケはいらない!」勢い良く受話器を戻し、再びあの人からの連絡を待った。「はい、アイ・ラブ・ニューヨークです」とあの人に伝えるために。
ニューヨークが見えてきた
ニューヨークが見えてきた
それから数年が経ち、ピンク電話は全く鳴らなくなり、最近ではその存在すらも忘れかけていた。古いアルバムの中の色あせた1枚の写真。知らぬ間にあの人は「思い出」に変わっていき、気づけば25年という月日が流れていた。

そして先週、私の店におかしな訪問者がやって来た。取材でピンク電話を使わせて欲しいと言っている。私はおかしな訪問者の口から出た「ピンク電話」という言葉に、全身の血が逆流するのを感じた。記憶の中でフリーズしていたあの人の表情が動き出し、摩天楼はアイ・ラブ・ニューヨークに戻っていった。おかしな訪問者はしきりに「若い男性から許可をもらって」と言っている。きっとまた、アルバイトの川端がいい加減なことを言ったのだろう。彼のせいで、私の店は喫茶店なのにカラオケの機械が置いてある。誰が喫茶店で歌いたいと思うのだろうか。

しかし、今回ばかりは川端の安請け合いが役に立った。おかしな訪問者のおかげで、私はあの人ともう一度向き合う覚悟ができたのだ。ニューヨークであの人を探そう。ニューヨークであの人と再会できたら、「俺は『自由に女神』の方がいい」と告げよう。
J.F.K.空港
J.F.K.空港
タイムズスクエア
タイムズスクエア
タイムズスクエア
タイムズスクエア
スクールバス
スクールバス
1週間のニューヨーク滞在を終えて、私は再びJ.F.K.空港に戻ってきた。

1週間前、ここに降り立った時はあの人と再会できるものと決め込んでいた。だが、現実はそう甘くなかった。ニューヨーク市内にあるポールダンスのお店を片っ端から周り、私のつたない英語で、

「私と同じ年くらいの日本人ダンサーはいるか?」

と聞いてみたが、大抵は英語が通じないし、通じたとしても肩をすくめて鼻で笑われるのがオチだった。ニューヨークに着いてから気づいたのだが、私はあの人の写真を1枚も持っていない。あの人を探すには、手がかりが少な過ぎたのだ。

空港の待合ロビーで、あの人がニューヨークでポールダンスを踊っている姿を想像してみたが、うまく映像が浮かび上がらなかった。何度想像してみても、結果は同じだった。

自由で女神よ。
当時のあの人が今の私にいじわるな微笑みを投げかける。
自由の女神
自由の女神
誰も知らない夜明けが明けた時、あの人は東京のどこかで他の誰かと恋に落ちて私のもとを離れた。ニューヨークになんて来なかったし、ポールダンスを踊るつもりもなかったのだ。
自由過ぎる女神
自由過ぎる女神
J.F.K.空港で、長年私の心の中にかかっていた靄が一気に晴れていくのを感じた。あの人とからの連絡を待つためだけに残したピンク電話は、何の意味もなかったのだ。帰国したらあの電話を解約しよう。その前に、ニューヨークからあのピンク電話に電話をかけてみるのもいい。長年の役目を終えるピンク電話に、有終の美を飾らせてあげよう。

私は、携帯電話を取り出し、J.F.K.空港から「みんな、ニューヨークに来い来い」の番号を押した。店は閉じてきたから誰も出るはずはない。すると、受話器の向こうから意外な音が聞こえてきた。

「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」

私の店のピンク電話は、知らぬ間に解約されていた。

受話器の向こうで繰り返される「おかけになった電話番号は」というアナウンスを聞いているうち、25年分の徒労感が一気に私を襲った。携帯電話を地面に叩きつけたい衝動をグッとこらえ、おかしな訪問者の顔を思い出していた。あの訪問者さえ来なければ、こうしてニューヨークにまで来ることもなかったのだ。帰国したらアルバイトの川端をきつく叱ろう。
I love NY
I love NY
(終わり)

今回、諸般の事情から創作物をお送りいたしました。「ニューヨーク来い来い物語」はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。ピンク電話の取材が出来なかった喫茶店の店長に、このようのな物語はないものと思われますので、ご了承ください。
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