DPZ、つくば好きすぎ
我らがデイリーポータルZはたびたびつくばに取材に行っている。安藤さんは
ムクドリの群れを探しに、T・斎藤さんは
つくばエクスプレスの駅を見に(なんだか桃太郎の出だしみたいになった)。
安藤さんとT・斎藤さん、それに加藤まさゆきさんのお三方は
つくばにゆかりのある方々ということもあるが、
地主さんや
ヨシダプロまでもがつくばでひとネタしたためているとなると、DPZとつくばの間に何かあるのか、と思わざるをえない。
この手のウェブサイト(ってどういう手かうまく説明できないが)でここまでつくばを取り上げるサイトは他にないのではないか。
そして今回これらにさらにもうひとつつくばネタを追加しようというわけである。
団地で。
今回見て回ったつくば駅周辺のすてきな団地の数々。かわいい。
なんだよ団地かよ、と舌打ちしているかもしれないがちょっとがまんしてほしい。いやたしかにぼくという団地マニアの訪問であり、どうしてもそういう内容に片寄りがちではあるが、けっこうこれでつくばの街の面白さがわかったと思うのだ。
おいおい、団地がすてきだぞ!
結論から言うと「もはやぜんぜん『未来都市』じゃないぞ!」という面白さだ。もちろんこれは悪口じゃない。とんでもない。「あっぱれ!」という気持ちだ。
それはいったいどういう面白さか。ぼくの年齢前後の人でかつ、つくばに住んだことのない方にはよく分かっていただけると思うが、つくば=未来だった。だから、実際訪れてみてその「ふつうに歴史を重ねてきた街っぷり」に感銘を受けたのだ。
そしてこの感慨って、たぶん団地鑑賞でしか得られないものだと思う。
周辺の植栽含めて「ふつうの団地!」って思って感動した。「未来」じゃない!
そうなのだ。とにかく樹々がすごい。
もちろん団地自体にも貫禄がそなわっている。これとかすごくかわいいかっこよかった。持って帰りたい。
この樹々もすごかった。団地がちゃんと見えないのがくやしい。
あー、この団地はほんとうにかわいかったなあ。
ご覧の通り、まあ、言ってみれば「ふつうの団地」だ。ぼくがこれまでめぐってきた団地とそんなに変わるところはない。
それも当然と言えば当然で、これらの団地ができたのはおおむね70年代後半から80年代頭だ。優に30年はたっている。
ダイナミックなL字の折れ曲がりと壁で囲われた駐車場に心躍った。
いつまでも「未来」と思っていたので「熟成された団地はあそこにはないだろう」と思い込んでいた。しかし数えてみれば30年だ。反省。ちょう反省。
タワー型の棟もあって見どころ満載だ。また行きたい。
なお、写真が妙に冬景色なのは行ったのが昨年末だから。いつかDPZの記事にしたいな、と思っていて、でも何を書くべきか悩んでお蔵入りになっていた。
このたびようやく「そういえばつくばって未来だったよな……」と思いついて書く次第である。
これとかちょうかっこよかった! なんでもっと早く来なかったんだろうと反省。ばかばか!
で、「団地鑑賞でしか得られない感慨」というのはどういうことかというと、団地の外に出ちゃうと、やっぱりなんだかんだで「未来」っぽいのだ。未来っぽくないのは団地ならではなのだ。
未来ってなんだ
前出の記事「
筑波大学が広すぎる」冒頭で安藤さんはしきりに「つくば、広い」と書いている。うん、広い。
かっこいい団地の敷地外はこのとおり。広い。これ、未来だ。
この道路の広さとまっすぐさはたしかに今でも「未来」だと思う。一方団地は時を経てしっかり「歴史」になってる。と思う。
前述のように、季節が冬だったせいで、たくさんの樹々がもたらす落ち葉の量がすごくて。これがまた「未来都市」とは呼べない雰囲気を醸し出してた。
人が住んでカスタマイズしていくのでこなれていくんですよ、団地ってえのは。
ともあれ、だとすると、ある街を「未来的」だと感じるかどうかの決め手は、建築ではなくて道路の引かれ方のほうにあるのではないか。
ある規模でもって図面的にびしっとまっすぐに線を引かれている様子。そしてそれができるのはもともと街がなかった場所ならではだ。
今回めぐったつくば駅前の航空写真。ピンがつくば駅。赤い線がつくばエクスプレス。つくば駅を中心に北西から南東にかけて「未来」な感じの道路が引かれている。西側の国道408号線を境に道がぐにゃぐにゃで「未来」じゃない感じ。
たとえば渋谷の駅前ががらっと再開発されても「未来」だとは感じない。つまりそれまでの文脈を一掃する道路の引き方が「未来」なわけだ。そのことにここつくばで気がついた。
だいたい同じ範囲の1948年の様子。国道408号線以西はこの時から地割りのパターンが変わっていない。特徴的なのは写真西端の街道筋の集落だ。ひとつ前の現在の航空写真を見るとこれが今でも同じように残っているのが分かる。ここは「一掃」されなかったわけだ(国土地理院「
地図・空中写真閲覧サービス」より・コース番号 R793 写真番号 10 撮影年月日 1948/01/05(昭23)をトリミング)
仮に日本で今後このような、なにもないところに一気に街をつくることがなくなり、既存市街地の再開発だけが行われるとすると(そうなる可能性はすごく高いと思う)、それはこの国に「未来都市」はもう登場しないということを意味するのではないか。
だいたい同じ範囲の1972年の様子。道路が引かれはじめている!なんかすごい! 未来!((国土地理院「
地図・空中写真閲覧サービス」より・整理番号 MKT721X コース番号 C10 写真番号 8 撮影年月日 1972/09/18(昭47)をトリミング)
つまり「未来都市」ってある時代の特徴的な様式だ。それって言葉の意味的にはもはや「未来」じゃないよね。これはおもしろい。
おもしろいよね。おもしろいんです。
もちろんつくば万博のせいもある
これらの屁理屈を考えついたのは今回訪れて見て思ったことで、それとは関係なく、子供のことからつくばには「未来感」を感じていた。
もちろんそのイメージをつくったのは「つくば万博」である。
前出の
ヨシダプロの記事(それにしてもライターの名前を挙げるとき、どうしてもヨシダプロだけ呼び捨てにならざるを得ない。すみません。だって「ヨシダプロさん」ってなんかへんじゃないですか)はまさに万博跡地を再訪する記事だし(この記事自体がすでに10年前)、それ以前に乙幡さんが「
つくば万博 あの夢の跡地へ」という記事を書いている。
前出の記事たちに何回も登場するこのロケットモニュメント。
今回ぼくがめぐったつくば駅周辺と万博開催地は4kmほど離れているので、正確にはこのつくばの街は万博による「未来感」とは関係がない。
そもそも、東京への一極集中を軽減するというお題目で、万博以前からこのエリアに都市をどーんとつくるという計画が閣議決定されており、むしろ万博はそれをアピールするために開催した側面がある。
つまり、ぼくが感じていた「つくばってなんか未来」というイメージはそもそもこのつくば駅周辺の街とはあまり関係がなかったのだ。なーんだ。
「つくばって未来」→「でも団地は未来じゃない」→「まあ確かに周辺の道路は未来」→「でもまてよ、万博の未来感とここは関係ないのか」って、もうなんだか話がよく分からなくなってきているが話を続けたい。最後にはどうにか上手くまとめたい。
で、「街ではなかった場所に道路をどーんと引いた」でいうと、地形図を見ると面白い。
さきほど「文脈を一掃」と言ったが、それでも地形が豊かだと道はまっすぐになりづらいものだ。
しかし、ここはその点もクリア。この通り平らだ。さらに面白かったのは、街全体、道路の向きについてだ。
西の鬼怒川、小貝川と東の霞ヶ浦に注ぐ桜川に挟まれた台地の向きが、すなわちつくばの街の向きだったのか!
大通りに対して45度の道を入れていくっていうのは、いかにもふた昔ぐらい前の「ザ・都市計画」って感じでなつかしいよなー、って思ったけど、これって案外台地の向きに対して住宅の陽当たりを確保するために南向きにしたら45度が発生した、っていうことかもしれない。
って、なんかほんとに理屈っぽい事書いてるなぼく。
えーと、つまり、過去の文脈を一掃し、地面のデコボコの影響も受けず「未来都市」って感じで作られたように見えて、実は大きなスケールで見ると台地の向きに影響されてたっていうのが感動的だった、ってことです。
デコボコなので「未来」じゃない感ある
いやもうほんと、この記事誰が読んでるんだ、って感じになってきておりますが。かまわず続けますが、再び団地スケールに話を戻すとこの「デコボコ」っていうのがおもしろくて。
このスケールで見ると、かなり起伏に富んでるのが印象的だったのです。
いたるとことにちょっとした段差が。
棟の目の前がちょっとした山に。あとこの棟がつくばにおけるぼくのベスト団地。かっこいい。色もかわいい。この山の斜面でこれ眺めながらピクニックしたい。
けっこうな高さの築山がちらほらある。
公園にも敷地のデコボコを活かした滑り台などが。
この「団地+起伏」っていうのは多摩ニュータウンや港北ニュータウンでおなじみであり、なんか「なつかしい!」って思った。これもまた「団地の中は未来じゃない」を感じた大きな原因のひとつ。
「未来」じゃないものが終わっていきます
もはや収拾のつかないまま最後の話題だ。
いちばんの「未来じゃない」感は、これらの団地の多くが実は空き家だという点にある。
実は財務省による国家公務員宿舎削減計画で、このエリアの公務員宿舎を含む約 2500戸が取り壊される。
このかっこいい団地も無人でした。いらないんならぼくがもらいたい。
柵で囲われてしんとしてて、すごく不思議な雰囲気だった。
「未来」だと思っていた街へ行ってみたら、なんと団地の取り壊しが始まろうとしていた。この衝撃をお伝えしたかったわけです。
団地入り口には退去期限を告げる貼り紙。
みんなで行きたいです
新しく作られた人工都市! って思ってたのに、実際訪れて見ればいい感じの団地雰囲気で、それどころかもう取り壊しの段階かよ! っていう、なんというか何周も取り残された感じが、ほんとうに衝撃的でした。
イメージの中では中学校の時のままの同級生が、会ってみたら2回目の結婚しててそれも現在離婚調停中、っていうあの感じ。
少しでもこの衝撃が伝わればいいのだけれど。
30年ということは、ここで生まれ育った方がもう立派な大人ということなわけで、きっとここが故郷で今は別の場所に住んでいる人も大勢いるはず。なによりこの「故郷」になってるっていうのがいちばんの「もはや未来都市とかじゃない」っていう証かもね。そういう方々と改めて再訪して、道中色々お話聞いてみたいです。